星砂  相田ともみ                       

                                                        
                                                       
    
   店のガラス戸に、高校野球放映中の張り紙がある。                      
   
   誠二は休みの日、大抵昼食とも夕食ともつかぬこの時間帯に、小さな四川料理店へ来 
  る。                                                    
    一昨年だかのグルメ番組の人気投票でグランプリを獲ったあんかけ麺が、誠二のひい 
 きである。
  「エッちゃん、甲子園の話してよ」                                  
   
   常連客の中年男が席を立ち、厨房を囲むガラスをコンコンと叩く。ややあって、フライパン
  の火 を止めた主人が小窓から顔を出す。                             
      
  「しょうがねぇな、花川さんは」                                    
   
   主人は毎回こうである。一応面倒くさそうな声で言ったあと、テンポの良い漫談を始める。
   
   内容は本場中国で修行をしていた時の苦労秘話だったり、三十年前の学生時代にしで
かし た悪事の数々だったりしたが、主人の口のうまさに誠二はいつも感心した。気持ちのいい
ほど 頭が禿げ上がった花川の半畳も面白く、誠二は料理を待つ間文庫本を読む振りをして、
耳は二人のやり取りに夢中だった。                                   
    
   今日のお題は、甲子園である。                                  
   
  「いい加減にしなさいよ」                                       
   
   と言う奥さんの声で、ミニ漫談はおひらきになる。                       
   
   奥さんが誠二のテーブルにあんかけ麺を置いて厨房へ戻って行くと、テレビの甲子園か
ら試合終了のサイレンが聞こえた。                                   
   
  「いいなエッちゃんは。ここに出たんだもんな」                           
   
   花川が爪楊枝をくわえながら、誠二を意識して呟く。                      
   
   主人は元高校球児で、夏の甲子園に出場したのだと言う。そしてその時、開会式で主人
のチームを先導したプラカード嬢が、奥さんだった。                          
   
  「開会式のリハーサル前に対面して俺の一目惚れ」                       
   
   と、おどける主人を紅い顔の奥さんが小突く。すかさず花川が、                
  
  「人生も奥さんに先導されて」                                    
   
   と言った時、誠二は思わず吹き出してしまった。瞬間奥さんと目が合い気まずかったが、
いつ も来てくれるからと、勘定を五十円値引きしてくれた。                      
   
   帰りは遠回りに歩いた。                                      
   
   見た所五十に手が届くぐらいの夫婦なのに、お互い初々しい。客に冷やかされ、のろけた
態度で拗ねる奥さんも可愛い。                                      
   
   誠二と妻には、あんな風にふざけ合って愛情を確認する時間などなかった。        
  
   一時間も歩くと、鼻の頭に汗があぶり出てきた。夕日がやけに眩しい。           
   
   夏の終わりに誠二は四十三になる。妻も生きていたら、同じ年であった。          
  
                                                        
  
                                                        
  
   誠二は社会部の新聞記者である。                                
  
   入社して七年間地方の支局でしごかれたあと本社に戻り、官庁づめ、そして業界用語で
言う "兵隊"の警視庁記者クラブを経験し、やっと"遊軍"と呼ばれる今の立場にたどり着いた。
   
   自分の追う事件を半ば自由に捜査できるのは嬉しいが、空き時間に思い浮かべてしまう
のは、亡き妻と手元にない娘のことだった。                              
  
   タンタタタンというノック音がした。万年床でうつらうつらしていた誠二は飛び起きる。壁時
計は、夜中の一時である。                                         
 
  「オジサーン、開けてよ」ほしこ                                   
    
   ドアの向こうの声は、 星子であった。寝酒でふらつく頭で考えて、おかしいな星子に住所
まで教えていなかったよなと思ったが、手は星子を招き入れていた。               
   
  「結構きれいだね」                                          
   
   モデルルームを見学する主婦の素振りで、星子は顔をきょろきょろさせている。     
   
  「どういうこと」                                             
   
   と誠二が言おうとした途端、唇に星子の人差し指が当たった。星子は、ドキンとした誠二
の鼓動をずる賢く聞き取ったようだ。子悪魔的に微笑んで、                     
  
  「朝まで付き合って」                                          
  
   と,強制的な口調で言った。                                    
   
   明日は休みである。仕方ない付き合ってやるかと誠二は決めた。星子は目ざとく車のキ
ーを見つけ誠二に渡した。                                        
   
   助手席で早速星子は仕事の愚痴をこぼし始めた。あの局のプロデューサーはいやらし
い、 今のマネージャーは性格が悪いから新しいのと代えて欲しい、同期デビューの誰それは
頭が 悪いなど、ソーダ水の炭酸がプツプツと浮かび上がるように、悪口を吐き出した。    
    
   十八の若い娘が芸能界で生きているのだ、不満のひとつや二つ無い方がおかしい。誠
二は いつも黙って聞いてやる。                                     
    
   星子は、トップアイドルである。清純派で売っているが、誠二の前では時折はすっぱな態
度もする。                                                  
   
  「あれ、確か星子、車の運転できるんじゃない」                          
  
   CMで真っ赤な車をおしゃれに乗りこなしていた。星子は、オジサンそれでもブンヤさんと
笑い 転げる。                                                
   
  「"社会部"のね」                                            
  
   と誠二が言い切ると、星子はまた笑った。                           
   
   星子との会話に気を取られ、普段なら絶対に通れない道を走り過ぎてしまう。妻が死ん
だ病 院の前である。                                            
   
  「わたしはブンヤの女房よ」                                     
   
   妻は死ぬ二日前に、長患いの病室のベッドで誇らしげに微笑んだ。それは、切れる寸前
の蛍光灯に似た、白ぼけた弱々しい笑顔だった。                          
   
   本社に戻り、やっと結婚できて、待望の長女が生まれたばかりであった。         
   
   ハンドルが嫌な汗で湿った。                                   
   
  「こういうトラックよ、こういうの」                                   
   
   星子のはしゃぐ声で、誠二は思考のフレームを切り換えた。前に大型トラックが走ってい
る。
   車のCMは、大型トラックで赤い乗用車を牽引して撮影したと言う。荷台にカメラを積ん
で、あ たかも星子が運転しているかのように、作成したのだ。                   
    
  「サイン色紙、ありがとう」                                      
   
   誠二のまじめな呟きに、星子は無口になって左手の夜景を見る振りをした。       
   
   妻の両親と青森に住む娘が、星子の大ファンである。お父さんは星子ちゃんを知ってい
ますか、知っていたらサインをください。暑中見舞いに娘が書いてよこした文章だ。純粋で元気
な文 字が、誠二の胸を打った。すぐに星子に書いてもらい、速達で送ってやった。       
   
  「大事な孫まで死んだら困りますから」                               
   
   喪服で叫ぶ姑から、赤ん坊の娘を取り返すことはできなかった。              
   
   この手で育てられない娘は、今年八歳になる。                         
   
                                                        
  
                                                        
  
  「オジサン、山作ろう、山」                                      
   
   夕暮れの遊泳禁止の浜辺には、他に犬の散歩をする老夫婦しかいない。         
  
   今日は星子のオフと誠二の休みが重なった。星子をほおっておけない。         
   
   砂を積み上げてはしゃぐ星子に、娘の面影を見ているのだろうか。違う。誠二が星子を
見放せない本当の原因は、酷く深刻な物であった。                         
   
  「あれ、全部捨てたのか」                                       
  
   誠二は真に迫った声で訊き、砂山の中腹のトンネルを通して、向こう側にいる星子の手
を強く握った。立膝の星子は一瞬動作を止めて張詰めた表情になったが、すぐに誠二をおち
ゃらかす態度を取った。                                          
    
  「捨てたよ。オジサン、心配性だな」                                 
  
   手を離して、星子は波打ち際まで歩いて行った。風がほんの少し涼しくなった気がした。
   
   "あれ"とは、麻薬のことである。春先に初めて偶然に会った時、星子は真夜中の公園で
一人ベンチに坐り、ビニール袋の中の麻薬を吸い込んでいた。白い粉が、暗闇に浮いていた。
  
   トップアイドルの星子とすぐに判ったが、かまわず誠二は殴りつけた。そして、憂さを晴ら
した いのなら卑怯な物に頼るな、愚痴なら俺が聞いてやる、いつでも連絡してこいと啖呵をきっ
て、名刺を星子に渡したのだった。                                    
   
  「久しぶりに砂遊びしちゃった」                                   
   
   不意に振り向いた星子は、健康的な笑顔だった。安心した誠二は、足元の砂をひと握り
すくっ た。                                                  
    
  「故郷の砂、今度見せてやるよ」                                   
  
   誠二は、竹富島の生まれである。島の南側の浜、カイジ浜、アイヤル浜の砂は星砂であ
る。有孔虫の殻が、丁度星の形に見える。星砂の白い浜辺は、美しすぎる。           
    
   パラパラと、ねずみ色の砂が誠二の手から滑り落ちた。                   
   
  「故郷か、いいな」                                           
   
   星子は、唄うようにやさしく何度も言った。
              
                                                        
  
   気の張る取材があり、疲れて帰宅したら、娘からハガキが来ていた。            
   
   八月の終わりに姑と二人で上京すると言うのだ。誠二の誕生日を一緒に祝いたいと、姑
の字で追伸してある。                                            
  
   今まで八年間会うことも電話も許されなかった娘が、来る。                  
   
   ハガキを手に、誠二は号外を出したい心境であった。娘と会えるんですよと拡声器で叫び
ながら、駅前で人々に号外を配りたい。                                 
   
   ここしばらく星子からの連絡はない。仕事がうまい具合にいっている証拠だ。あの愚痴を
聞け ないと手持ち無沙汰な感じもしたが、二人はトップアイドルとブンヤのやもめ男である。こ
のまま音信不通になった方がいいと誠二は軽く思った。嬉しさの余り、思考が楽天的な方向へ
回路してしまう。                                               
    
   返事のハガキを出しに行く途中、四川料理店へ寄ることにした。確か深夜まで営業してい
る。 だが、今晩はシャッターが下りていた。無表情な横縞摸様のシャッターには、高校野球放
映中 の代わりに、能筆なおわび文が張ってあった。                         
    
   誠に勝手ながら、店じまいしました。                               
   
   少し先の街灯の下に、見慣れた男が洗面器を片手に立っていた。花川だった。誠二に気
付く と人懐っこく近寄ってきて                                      
   
  「エッちゃん、だいぶ借金あったみたいよ」                            
   
   と小声で言った。銭湯帰りの花川の禿げた頭から、湯気が立ち昇っていた。        
  
   漫談では、もうすぐ二号店を出す予定だった。妙に口のうまいエッちゃんの、ジョークだっ
たの だろうか。                                               
    
   空腹を持て余して部屋に帰ると、ズボンのポケットにハガキが残っていた。変なタイミング
で花 川が登場したため、本末転倒になってしまった。                         
   
   それでも機嫌のいい誠二が、サンダルを突っかけて鼻唄混じりにもう一度出かけようとし
た 時、ドアがタンタタタンとノックされた。                                
  
   星子である。                                             
   
  「オジサーン、ヤッホー」                                       
   
   足元がもつれて、ろれつの回らない喋り方だった。                       
  
   誠二は顔色を変えた。星子の肩を揺らし、                           
   
  「おい、どうした、おまえ」                                       
   
   と、問いただす。星子は、壊れた操り人形のように三和土に倒れ込んだ。右手に紐を絡め
たポ シェットから、ビニール袋が覗いた。                                
   
   麻薬の粉が入っている。                                      
   
  「星子」                                                 
   
   息を呑んだ誠二は、殴るより先に星子を抱きかかえ、急いでバスルームに運んだ。   
   
   頭からかけた熱いシャワーが気付けになったのか、星子は一分も経たないうちに脱衣所
との間仕切りカーテンを掴んで、自らむっくと起き上がった。                     
  
   うつろな瞳が誠二を見上げる。                                  
   
  「捨てたって言ったじゃないか、おまえ」                              
   
   星子は一瞬微笑んで、誠二の前をふわりと過ぎ、台所に行った。そして棚からガラスの
ボウルを手に取った。                                           
   
  「星子」                                                 
   
   誠二が声を荒げても、星子は背を向けて換気扇の紐に手をのばすだけである。たまらず
誠二 が一歩近寄ると、                                          
    
  「ホットケーキを作るのよ」                                      
   
   星子は答えた。もう普通の口調だ。                                
   
  「あっ」                                                  
  
   誠二は思わず間抜けな声を出す。                                
   
   ビニール袋から、白い粉がガラスのボウルに一気にこぼれ落ちた。            
   
   ホットケーキミックスであった。                                   
  
  「オジサン、それでもブンヤさん」                                  
   
   卵を割り入れ、菜箸でボウルを一定のリズムでかき混ぜる星子は、背を向けてひとしきり
笑っ た。                                                   
   
   誠二は、あの晩の公園を含めて二度も星子にだまされたのだ。そう言えば星子は酒臭
い。今 度は誠二が笑う番であった。安心してポケットからハガキを取り出すと、先程のシャワー
の水滴が所々飛び散って、青いインク文字が滲んでいた。                      
    
   オジサンをからかうなよと、肩を小突くつもりで星子の背後に行って、誠二ははっとする。
   
   星子は泣いていた。                                         
  
  「どうしたの」                                              
   
   誠二が訊くより一二秒早く星子は振り向き、フライ返しを絨毯に投げ落とすと、両手で顔
を覆ってしゃがみ込んで、大泣きに泣き崩れた。                            
  
   星子は孤児であった。生年月日も、本当の名すら判らない。戸籍上のデータは、三歳ぐら
いの 夏に保護された場所の市長が決めた物だと言う。孤児院で育ち、中学に上がると東京の
外れ喫茶店を営む夫婦に里子で貰われたのだが、星子は融通の効かない四角四面の里親に
どうしても馴染めなかった。十五の春、オーディションの優勝賞金百万を手切れにし、里親とは
絶縁した。                                                  
  
   中卒の星子は今や、日本を代表するアイドル歌手である。                  
   
  「虫が良すぎるのよ」                                         
   
   絨毯にへたりと坐る星子は、そこでまた嗚咽を漏らした。                   
   
   先週、実の母親が名乗り出てきたと言うのだ。それも、"今の夫"が事業を起こしたいの
で資金を用立てて欲しいと言う厚かましい願い付きだった。                     
   
   誠二は青森に住む娘を想い、拳を強く握る。そして星子の実母に激しい怒りを覚えた
が、激情は空回りして、目の前にいる星子への同情に姿を変えた。                
    
   本名がなんであろうと、星子は星子である。市長は十五年前、星のきれいな晩に保護さ
れた 少女を星子と名付けた。                                       
   
  「オジサン、ありがとう」                                        
   
   誠二がそっと肩を抱くと、星子が胸のあたりで囁いた。濡れた星子の体は、ひんやりと冷
たかった。                                                  
   
   少し焦げたホットケーキは、丁度腹が減っていた誠二の夜食になった。           
  
                                                        
  
                                                        
  
   今日、娘が来る。                                          
   
   東京駅へ迎えに行くには、まだ時間があった。                         
   
   前から誠二が追っていた政治家の汚職事件も一応落着がつき、二日まとまった休みが
取れ た。                                                   
    八年分の償いをしたい。あの子ののぞむ全てのことをしてあげるよ。誠二は、心で妻に誓
った。
   竹富島でみやげ物屋をしている幼なじみから急きょ送って貰った星砂の小壜を、窓際の
仕事用の小机に飾った。今度連絡が来た時、星子に見せてやろうと思った。           
   
   テレビ画面が、CMからワイドショーに変わる。                         
   
  「あっ」                                                  
  
   と,誠二は声に出して言った。オープニングで使われているいつものテーマ曲ではなく、星
子の ヒット曲が流れる。                                          
   
   すぐあと、星子電撃挙式のテロップが出た。中継先の教会で、ウエディングドレス姿の星
子は笑顔で新郎に腕を絡め、人々から黄色い紙ふぶきを浴びている。さながら、ミモザの花が
舞う カルナバルのパレードである。                                   
   
   傍らに、星子と顔の作りが似た仲睦まじい中年の夫婦が付き添っている。新郎は、有名
な新進デザイナーであった。                                        
  
   誠二がボタンを押すと、星子達は瞬時に暗闇に消えた。                   
   
   ベランダから、小壜の星砂を風に乗せる。パラパラと星の粒が飛んで行った。       
  
   駅前で、星子結婚の号外を配っていた。他社の物だが、目を通す。星子が"演じていた役
"は、 じきにクランクインする主演映画のストーリーであった。                    
    
  「オジサン、それでもブンヤさん」                                  
   
   また星子は笑うだろう。                                       
   
   星子は婚約者と喧嘩するたびに、誠二をだまして憂さを晴らしていたのだ。        
   
   東京駅に着いた誠二は、工事中の構内でヘルメットをかぶった男と目が合う。      
   
   エッちゃんだった。                                          
  
   作業着のエッちゃんはすぐに目を逸らして、セメントの袋をどこかへ運んで行った。今晩、
一 杯飯屋で作業仲間を相手にまたあの漫談をやるのだろうか。                  
  
   二ヶ月もすれば、星子の映画が完成する。麻薬におぼれる、孤児院出身の女優の物語
だ。 
   誠二は、改札の所で嬉しそうに手を振る女の子と、品のいい老婆を見つけた。誠二は負
けずに手を振り返し、全力で駆け寄った                                
   
                                                        
  
                                                        
  
                                  了

                                                        
  
                                           
                

                                        
                                             

                                        
                                                        
  
                                                        
  
                     

        

































                             
   





                              



                                                        
                                                   
                                                        
                                                       
南瓜
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