〜TOPICS〜 2004/10/21 | ||
9月の新聞で国立天文台の縣助教授らの調査によれば、小学校4〜6年生の40%以上が『太陽が地球の周りを回っている』と答えたのがショッキングだと述べられている。 僕なんかは、「え?太陽って動いているの?」と言われなかったことに胸をなでおろしちゃったのだ。 だいたい、太陽と地球の動きは相対的なものだから、「地球が回っているのはジョーシキだ!」と頭ごなしに教え込まれない限り、むしろ『太陽が地球の周りを回っている』というのは正常な感覚だろう。 中学理科の教科書ではいとも簡単に、恒星間の(星座の)間隔が変わらないことをもって、「地球が回っていないとは考えにくい」と『説明』されているがこれだって子どもたち、カンタンに納得するのはムリよ。 ま、天文学の人がこの結果を悲しむ気持ちはよくわかるけど、コトは単にどっちが回っているという次元の問題ではなく、自分や自分のまわりの社会を客観的に考え・感じることができるかどうかということに直結する問題なのだ。 例えば、地球は丸い一個の天体だということさえ、ふだんのぼくらの感覚では失われいてる。その証拠には、この地上に毎日のようにミサイルで死んでいる子どもたちがいても、学校では何のカンケイもないのだ。 地動説の獲得されてきた歴史は何よりも、自分や自分たち、ヒト全体も『動いている』という思考と感性を獲得することであったわけで、『それでも地球は回っている』と教科書に書き込んですむ問題ではないんじゃないの? 個性の重視といいながら、なお学校ではストップウォッチをもって計算競争させるとアタマが良くなるといった話が話がのたうちまわっている。子どもたちにとっての地動説とは、太陽を、月を、星座を観察する中で、友だちどうしの討論の中で、ひとりひとりが身につけていくものでなくっちゃ、ね。 最後のお口なおしに美しいファンタジーを。古代の人々は、もしかしたら地球がごうごうと回っていることを心の深くから感じていた、かもしれない。 『時どきナルガンは世界がつくられる時の、長い苦しみを思い出してうなった。時どきナルガンは怒りを感じた。木が倒れ、淵が干上がり、侵入者がやってき、あるいは飢えたからだった。それからまたナルガンは泣いた。ナルガンは愛ともよべるものをいだいていた。それは地球の重おもしい、ゆるやかなリズムに対する反応だった。月の引力で地殻がふくれあがると、ナルガンはうっとりとして声をあげた。』 『星に叫ぶ岩ナルガン』(パトリシア・ライトソン著:評論社) 他に、おすすめの本として |
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