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それでもボクはやってない

2007年 日本映画 143分
監督・脚本:周防正行
出演:加瀬亮 瀬戸朝香 山本耕史 小日向文世
鈴木蘭々 もたいまさこ 役所広司

劇場公開日 2007年1月20日  配給 東宝
DVD発売日 2007年8月10日 販売元 東宝
DVD仕様
日本語ドルビーデジタル5.1chサラウンド 16:9LBビスタサイズ
特典映像
2枚組スペシャル・エディション

  • 特報
  • 予告編
  • テレビCM
  • キャスト・スタッフプロフィール(静止画)
  • ビデオポッドキャスト「周防監督 日本あっちこっち 完全版(DVDバージョン)」
  • メイキング「周防正行、裁判を撮る」
  • コラボレーション番組「What is チカン?」
  • 周防正行のいつもデジカメ撮ってます(静止画約1,000枚)ほか
    その他、1枚組スタンダード・エディションも発売

  • リアリティ、多角的な切り口を備えながらも、しっかりと娯楽に根ざした傑作

    評価★★★★★★★★★☆

     「Shall we ダンス?」で日本のみならず、リメイク等で世界をも制した周防正行監督の「Shall we ダンス?」以来となる11年ぶりの新作。周防監督の作品だからコメディタッチになるのかと思っていたけど、笑いの要素はほとんどない、かなり本格的な社会派作品に仕上がっている。演出や脚本、美術からはリアリティにこだわったことは非常に伝わってくるし、様々な登場人物の口から、それぞれの立場を多角的な切り口で切り取っている。描くべき要素の描き残しがほとんど見当たらない社会派映画の決定打ともいえる作品だろう。

     フリーターの金子徹平は、会社の採用面接に向かっていた通勤ラッシュの電車で女子中学生から痴漢と訴えられてしまう。まったく身に覚えのない金子は、話せば分かってもらえると思い、駅の事務室に行った。しかし、無実の訴えもむなしく、そのまま警察に連行されてしまう。その日から、留置所暮らしを余儀なくされた金子の無実を訴える戦いが始まった…。

     周防監督の新作のテーマは「痴漢冤罪」。この映画は、満員電車の中で痴漢に間違えられた男が巻き込まれた悲劇を描くものだが、実際に起こった事件がこの映画の着想になったということでかなり現実味のある話である。私も満員電車のすし詰め状態の中で採用面接に向かったという記憶があるので、他人事ではない話であるのはひしひしと伝わってきた。

     実際、そうした満員電車の中で、人は他の人のことをじろじろ見ることはしないし、満員電車という密着した環境も手伝い、痴漢をされていた人に痴漢をしたと間違えられたら最後、たとえ冤罪だったとしても、そのアリバイを証明することは至難の業なのである。そうした自分自身の身の潔白を主張した刑事事件の場合でも、97%は有罪になる、これが日本の裁判の現実なのだという(トータルで見たときの刑事裁判の有罪率は99.9%)。だから、痴漢に間違えられたら、その場から逃げ去り、絶対に駅の事務室に行ってはいけないのだそうだ。

     それもよくよく考えてみれば当然のことで、痴漢の疑いを持たれた人の中で、痴漢を実際にした人と間違えられた人、そのどちらが多いのか、と考えてみれば、痴漢を実際にした人なので、間違えられた人がいくらやってないと主張しても、嘘だろうと高をくくられてしまう。この映画の中のように、痴漢の被害者が可愛い15歳の女子中学生だったとしたら、26歳にもなってフリーターをしているうだつの上がらなそうな男の主張とどちらが心象がよくて、どちらを信じようかと思うか、といえば、裁判官も男なのだから、いくら公平に物事を見ても、女子中学生の主張を受け入れる方向に向くと思う。それに加え、被害者にとって痴漢の被害を直接訴え出ることは大変勇気のいる行動であるし、その後の本人の苦痛やトラウマ、家族の憤り等も考えれば、そうした面も条件に付加されてくる。さらに、電車にどんなことを思って乗り込んで、どんな位置関係になっていたとか、記憶は曖昧だし、その曖昧な記憶が裁判を左右することにもなる。

     実際、本当にやっていないのかどうかということはこの痴漢の場合、本人しか分からないので、裁判官は言葉尻の中からそれを類推するしかない。裁判官は人を信じているようでは騙されてしまうし、最初から疑ってかかって、嫌われても当然というくらいの気概でやっていかなければならない。だから、劇中での冷静で、ある種恐くなるほど冷酷な印象を与えた小日向文世さんの演技は的を得ていたのだろう。

     さらに、裁判官も人で自分の生活がかかっているわけだから、1人の被告人ばかりに構っていられず、裁判の数をこなしていけなければならない。なので、ある程度、裁判を形式的に進めようとするのは当然の成り行きだろう。「疑わしきは罰せず」と言うが、起訴されたということは既に疑わしいと判断されたわけで、疑わしいのだから罰しましょうという原則の反対のことが自然になってしまう。そして、起訴までには、警察、検察を介しているわけだから、そこで無罪を裁判官が決めてしまえば、警察、検察の面子は丸つぶれというわけだ。そうした決定をする裁判官はやはり、仕事はやりにくくなってくることも考えられる。警察も誤認逮捕では面子が潰れることから、自分たちの都合の悪くなるような証拠は隠してしまうし、警察も検察も自分の役割の管轄以外には無関係を貫こうとする。

     人は誰もが自分自身のことがかわいいわけだから、自分中心に自分を守るために行動してしまいがちになる。そうした保守姿勢が本来の裁判制度の意味を馴れ合いにさせ、「有罪率99.9%」がいつしか裁判の前提になってしまう。これはある程度は仕方がないことであるとしても、最も裁判を必要としているであろう無実の罪を問われた人たちから、無実を明らかにする場を奪ってしまうことになる。それは裁判システムそのものがまるで機能していないということになる。そうした矛盾を、周防監督は鋭く突いている。

     痴漢冤罪の張本人はもちろんのこと、弁護士、警察、検察、張本人の家族、裁判官、被害者といったそれぞれの思惑や苦悩・葛藤といった部分をうまく脚本に振り分けて多角的に表現している。この映画のいいところは、主要な登場人物に極端な人格の人がいない点である。誰もが人を思う善意を持ち合わせた実際にいそうなキャラクター設定になっており、裁判シーンの演出、脚本、美術等の映像的リアリティとともに内容としても現実味を帯びて、見る者に訴えかけてくる。そうした人並みの善意と正義という大義名分への渇望を持ち合わせた人たちによって、現在の矛盾した裁判システムが形作られてしまったというのが深刻さを物語っている。

     周防監督の演出に関しても、もっとエンターテインメントにしてくるのかと思ったのだが、かなり演出は抑え気味にしてあって、裁判のシーンでは音楽は重ねずに、台詞の応酬で全てを見せ切ってしまう。ここには裁判を疑似体験させたい、という意図があったのだろうと思う。

     そうは言っても、周防監督は娯楽作の監督だし、製作がフジテレビということもあり、エンターテインメントであることは忘れていない。リアリティにこだわって、無名役者ばかり使おうとする映画はよくあるものの、この映画は重要な役柄には必ず顔の知れた役者を配しているし、その役者も役所広司さん、竹中直人さん、田口浩正さんら、過去の周防組の面々を配すなど、ファンサービスも欠かさず、娯楽作の体裁をしっかりと保っている。そうした有名役者を数多く使いながら、それらの人たちに過剰な演技をさせず、それっぽく演じさせたというのは周防監督のバランス感覚はとても優れていた。

     まあ、もう少しエンターテインメントになっていてもよかったのかな、と思ったりもしたし、無実の人の人生を狂わせてしまったかもしれないという被害者側の感情も多少は描きいれてもよかったのではないかと思う。こうした若干の不満は残るものは確か。ただ、こうした社会問題は多くの人々の思惑が連関することによって形を成しているので、多角的な切り口が肝心だし、その誰かが悪いという偏った見方も許されない。そう考えれば、この映画は押さえるべき要素はしっかりと押さえていて、こうあるべき社会派映画の形になっていた。

     周防監督は大変運のよろしい方で、11年も映画を撮っていなくても、すっと映画界に戻ってこれるというのはこの人以外には考えられないことだろうと思うので、これだけじっくりと映画を練り込むことを、他の監督に要求するのは酷なことだろうと思う。奥さんが草刈民代さんという憧れの有名人だったということも大きかったと思うし。ただ、周防監督の空白の11年間はムダではなかったというのは、この映画を見ればよく分かるだろう。

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