池の遂道を探す

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矢筈山の懐に広がる池地区には、かつて「大池」と呼ばれた湖がありました。

約5,000年前の大室山噴火の際、南側に流れた溶岩流が川を塞き止めたのです。

そのため、大池のそばにあった集落は今でも「池」と呼ばれています。

「池」では昔から農耕が始まり集落が出来ましたが、雨が降るたびに増水し

集落の人々を悩ませていました。 しかし、江戸から明治にかけて造られた

遂道によって大池の水が抜かれたと言う事です。



矢筈山(中央)と大池の跡










その懐にある池山神社には下記の碑文(↓)








昔ここには大池があり、雨が降るたびに増水し村に住む人々を悩ませたが
安政の頃、治水の大事業が持ち上がり、遂道を掘って大池の水を抜いてしまおうと言う事になった。
しかし工事は40年に及び、明治34年にようやく遂道が完成した。
そして大池の水は抜かれ、そのあとに実り豊かな農地が開かれたそう・・・(概略)









さてそこで「水抜きの遂道」は現存しているのか? と言う疑問が湧きました。

地図上、水路が途切れている所が遂道と言うことらしいが・・・早速調査開始!








池側は直ぐに判りました、、この新しい水門が目印です。








遂道に清冽な水が滾々と流れ込んでいました。

外装は近代のものになっていますが、内部はどうなんでしょう?








そばには古い記念碑が、








反対側の八幡野は、地元の人に教えてもらいました。

場所は、何と新しく出来たバイバス橋下・・・


昔のことですから全て手作業だったことでしょう。

固い火山岩を40年間も掘り続けた昔の人々を思うと

感慨が深いものがあります。