正長公と武ヶ浜の防波堤



[大正時代の武ヶ浜と防波堤]

今村伝四郎正長公は、江戸時代の初めの徳川幕府の二代目下田奉行でした。船番所の

整備や、町の区画整理、防風林の植林、また八幡神社の大修理と儀式や祭りを決めたり、

防波堤を作り下田のために骨身を削った郷土の偉人です。


当時の下田の町並みは海に直接面していて、大風が吹くと大波がおしよせ岸をくだき、

民家が水びたしになったり流されていました。また諸国からきた船が港に停泊することも

できませんでした。

正長は、このありさまを心配して、1643年(寛永20年)武ガ浜に防波堤づくりの大工事を

始めました。工事の費用は自分の給料や財産までも惜しげもなく投げだし、雨の日も風の

日も先頭に立って家来達と苦労をともにし、二年後(正保二年八月)に完成しました。

長さ約540メートル、かぎの手約73メートル、高さ約3メートル、幅約3.6メートル、費用は

このころのお金で983両もかかったと言われています。




[今村伝四郎正長公の碑−武ガ浜]

下田の人々は、今村伝四郎の功績をたたえて武山の権現神社の境内に碑を建てました。

のち祠とこの碑は、武ガ浜の防波堤の根もとにあたる現在の地に移されました。


防波堤は、それから幾度もつくり直されましたが、今も当時の面影を残し下田の町を守り続

けています。

防波堤の上から下田の町並みを眺めると、正長公の偉大さと約360年前出来事への感慨

と感謝の気持ちが湧いてきます。

今は、高度成長期に栄えた造船所は跡形もなく無く、マリンタウン開発工事が始まっています

が、防波堤は下田市の「大切な宝」として残してゆくことが大事だと思います。



[現在の武ヶ浜地区と防波堤]


[下田市観光協会編 下田物語参照]

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