下田富士 (静岡県 下田市 標高 187.2m)

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下田富士の所在地下田市は伊豆半島の南東部の人口約3万人、観光と漁業の町、そして

幕末の動乱期に、黒船やアメリカ合衆国総領事ハリスなどの物語で脚光を浴びた町です。

下田市内には九つの海水浴場があり、これは数十万年前に浅い海底で堆積した

白浜層(伊豆各地で観察できます)と言う地層が、伊豆半島の北上に伴い隆起、

そして浸食され、河川から海岸に運ばれ、その砂が砂浜を形成したと言います。

長い年月の間の浸食により、柔らかい砂岩や凝灰岩の白浜層が削られ

地下火山活動の貫入で固まった安山岩の火山岩塊「下田富士」が残ったと言われています。


下田富士へは、伊豆急行下田駅下車徒歩二分、ここ下田富士登山道入り口から。



(登山道入り口)


石段を登り切ると直ぐに、浅間神社下社。

昔は女性が登れるのは此処までとされていたそうです。

しかし昭和の初め頃には、そのしきたりも無くなっていった様です。

女人禁制の風習は昔から全国各地に見られましたが、

それは女性をいたずらに差別していたからで無かったのです。

昔の日本人は、偉大な恵みを産み出す「山」を女性ととらえ、

女性である山には男性が登った方が喜ぶだろうと考えていたからなのです。

山を敬う心が作ったしきたりといえましょう。


石段と安山岩摂理やウバメガシの林を抜け約20分で山頂到着。



(山頂のみすぼらしい祠)


山頂の浅間神社の祭神は意波與(いはよ)姫という神様。

そして後世になってからは、富士山の浅間神社にならって

木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)もまつられるようになりました。


展望は、途中に下田湾南部から西部方面にひらけているが、山頂は雑木に囲まれています。

しかし、木々の隙間から天城山や下田市内を見渡すことが出来ます。





(山頂祠左側の立て看板には、1854年ペリー・アメリカ艦隊船員の刻印の説明書き)

H・R・D
1854
WDE
DSG tep.s

とある。

米艦船員が、異国下田をあちこち散策したことが伺い知れる。


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【富士山がだんだん高くなった話】

駿河の富士と下田の富士はきょうだいでした。下田富士が姉さんで、駿河の富士は妹です。

とても仲良しで,小さい時からかばいあって来ました。姉さんの下田富士はいろいろと妹の

面倒を見て、雨が降ればからかさ雲をかけてやり、風が吹けば長い雲の手をのばして覆っ

てやりました。やがて年が経つにつれ、駿河の富士は段々と美しくなりました。長いすそを

麓一杯に広げ、朝日夕日に輝き、頬は紅色に染まり、その艶やかさは誰も適いません。

それにひきかえ姉の下田富士の方は、丸く膨れたボタモチのような顔で、とても美人ではあ

りませんでした。妹の駿河富士に比べて自分が美人ではないことに気がついた下田富士は、

むすめ心にそれがたまらない悲しみになって、段々妹と顔を会わせなくなりました。そして、

とうとう伊豆と駿河の間に大きな屏風をたてて、妹がのぞいても見えないようにしてしまいまし

た。その屏風が天城山です。

妹は悲しそうに、「お姉様、伊豆のお姉様お顔を見せてください」と叫びながら、つまさきで立っ

て背のびをしました。でも下田富士は妹の顔を見ながら、ますます体を縮めて顔を見せません。

妹はますます背のびをするし、姉はからだを縮こめました。そのため下田富士はますます背が

低くなり、逆に駿河の富士はどんどん背が高くなり、とうとう日本一の高さの山になりました。
      
                                    富士市発行「ふるさとの昔話」

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