渓魚もおいらも生きるの大変の巻
in水窪戸中川6月

水窪ダムの戸中ゲ−トへ土曜夜10時着、途中のダムサイトでへら釣り師の集団が宴会をしていた。ワシ等も負けじと2人宴会を始める。いつもツマミがワンパタ−ン、ちょっと工夫が必要な事を感じるが、酔ってしまえば何でもよいのである。早朝まだ暗い内に車の音に起こされる。中年おじさんandおばさん山登り集団出現。そそくさと支度を済ませ暗い中、林道を歩き始めている。元気が宜しい。考えて見たらワシ等も同じ中年釣り師であった。負けじと釣り支度をして林道を上流へ向かう。近年は釣り師より登山者の入山の方が多いのかも知れない。かく言う私もここから不動岳へ登ったり、ロクロ場峠を越えて逆河内へも通ったものだった。今日は東俣の奥まで入る予定である。中俣の下から入る。堰堤を越え上流へと釣り上げる。最初15cm程のイワナ。所々で当たりはあるが、魚が小さそう。次の堰堤も簡易なロ−プ梯子が掛けられていたので、利用して堰堤上へ降りる。昔はこんな便利な物はなかった。上流は山からの土砂や流木で埋め尽くされ大きな出水の跡があり、川が大分荒れている。こんな状況の渓で魚はよく生き延びていると思う。生命力の凄さに感心する所を通り越して呆れちゃう。人間世界より過酷なのだ。のんびり上流に釣り上がりアマゴの結構な型を見た。二又までで大小合わせて12,3匹は釣れた。全部放流する。葵沢との出会いから8m位の滝まで釣って納竿とする。出会いから滝まででもアマゴは確認できた。イワナも居るかと思ったが今回は遭遇せず。中俣の下の吊橋より林道へ上がり、テクテクと歩き車へと戻る。そう言えば吊橋のたもとに30年前に来た時、「自然を大切にしよう。」と書かれた明治大学か何かの釣り研究会の看板が掛かっていたのを思い出した。あの頃から未だに渓流へ通っているのだから、わしも物好きである。他にもっと高尚な趣味を持てないものか、成長してないね。この頃はホルモンや肉、ビ−ルの取り過ぎ、渓宴会のやり過ぎで痛風を患ってしまう失態を犯してしまった。どえらい痛くて歩けず、這いつくばって動く始末。懲りたなあ〜〜。でも喉元過ぎれば何とやらで、渓流詣and七輪宴会は止めれん。ゲ−トに戻るとえらい車が停まっている。8台はあるか、殆んどが登山の人たちと思われる。紅葉の時季になったら、さぞや混む事だろう。その時季にも遊びに来たら楽しいかも。もちろん七輪持参でなくてはなりませぬ。

最初に釣れたイワナ、過酷な環境で生きている証、片目が潰れていた。出水の際何かが当たり潰れたのかな?人間も魚も生きて行くのは大変だ。

戸中東俣のアマゴたち、けっこいのや幅の広いのもいる。一日楽しませて貰ったので流れへと帰ってもらう。

東俣奥の8mの滝、この少し下までアマゴは確認できた。今度はこの上流へ足を伸ばして見よう。

沢と東俣の分れ、荒廃が酷い。それでも魚たちは生き延びている。感心しちゃうと言うか呆れちゃうね。必死に頑張ってるから釣れた魚には、一日遊んでくれた事を感謝し、流れへとご帰還頂く様にしている。俺って優しいじゃん。

お懐かしや、中俣へと向かう吊橋、もうあの某大学釣り研究会の看板は跡形もない。昔は幾多の釣り師がロクロ場を越え逆河内の源流へと胸躍らせ、この吊橋を渡った事だろう。今はそんな釣り師もいないだろうね。

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