帰 省

 今年も、お盆の季節がやってきた。
 タケシは帰省の準備を始めた。年々混雑がひどくなるので、今年は早朝から出発しようと決めたのだ。
 準備と言ってもたいしたものは必要ない。実家に戻るだけなのだ。必要なものは向こうにそろっている。
 まだ暗いうちに出発した。さすがに真っ暗で、遠くに明かりがポツポツと見えるだけだ。
「お早いですね」
 声がしたので振り向くと、隣のアオヤマさんだった。
「途中までご一緒しませんか」
「アオヤマさんも早くに出発ですね」
「ええ、近頃はこみあいますからね」
「早く戻られたら、お子さんたちが喜ぶでしょうね。僕なんか、あいかわらず両親と妹だけですよ」
 アオヤマさんは単身でこちらに来ている。
「ええ、子供は、帰るたびに大きくなっていましてねえ」
 ふと、アオヤマさんの顔がくもった。
「別れて暮らすのがなんだか不憫で……。こちらに呼ぼうかと思ったりもするのですが」
「そうですか」
 ホームに電車が滑り込んできた。もう、乗客が席のほとんどを埋めている。帰省ラッシュは始まっているのだ。
 タケシはアオヤマさんと一緒に乗り込んで、なんとか、2人分の座席を確保した。
「でも、向こうには向こうの生活があると思うと、なかなか踏み切れないんですよ」
「そうですね。お子さん達は、友達と別れるのを嫌がるかもしれませんからね」
 こちらに無理やり連れてこようというのは無謀だ、とタケシは思ったが、アオヤマさんの心情を考えて、むげに反 対するのはやめておいた。アオヤマさんだって、わかっているはずだからだ。
「家内に、最近、男ができたみたいなんですよ」
 ポツリとアオヤマさんは言った。
「えっ」
 意外な展開に、タケシはおもわず声をあげた。
 駅に停まるたびに、客が次々と乗り込んできている。周囲に立っている数人がタケシの声に振り向いた。
「だって、そんなふうには……」
 あわてて、タケシは声をひそめた。
 以前に一度、アオヤマさんに写真を見せてもらった事がある。にこやかな優しそうな奥さんだった。
「いえいえ、それは仕方がないかなと思っているんですよ」
 アオヤマさんは気弱そうに首を振った。
「ただ、これから、帰って行く家がなくなってしまうかもと思うとさみしくて」
「そんなことにはなりませんよ。お盆に帰るところがないなんてことは」
「そうですよね」
 それきり、アオヤマさんは黙りこくってしまった。乗客はますます増えてきた。乗車率は120パーセントといったと ころか。昼過ぎの電車だと200パーセント近くになるはずだ。早めに出てよかった、とタケシは思った。
 アオヤマさんの降車駅が近づいてきた。
「じゃあ、これで。またお盆あけに会いましょう」
 アオヤマさんは立ち上がった。
「お子さん達によろしく」
「はい、ありがとうございます」
 アオヤマさんは降りて行った。今年も幸せなお盆をすごせるように、とタケシは願った。

「おい、タケシ、降りるぞ」
 肩を乱暴にゆすられて目をあけた。早起きしたので、居眠りしてしまったのだ。
「え? あ、じいちゃん?」
「そうだ。おまえのじいちゃんだ。乗り過ごしたらどうするつもりだ、タワケ」
 危ないところだった。降りそこなったら、戻りの電車は盆あけまではない。家に帰れなくなってしまう。
「ああ、ありがとう、じいちゃん。……ばあちゃんは?」
「あいつはのろいんで、置いてきた。次の電車で来るだろうさ」
 あいかわらずせっかちだ。
「ほれ、降りるぞ」
 ドアがプシューッとひらいた。
 タケシはじいちゃんの背中をあわてて追った。
 外に出ると、灯りがたくさんともって見えた。今年も帰ってきたのだ。目がしらがジインとした。
「まったく、いい若いモンが、何をセンチになっとるんだ」
 じいちゃんにどつかれた。
「オレ、まだ3回目なんだから仕方ないだろう。じいちゃんなんか10回以上じゃないか、盆帰り」
「フン」
 じいちゃんはさっさと先を歩き出した。
「明日の朝は早出をして、ディズニー・シーに行く。おまえも来るか?」
「だって、明日は坊さんが来る日だろ?」
「ばかもの。経なんぞ聞いていられるか。盆は短いんだぞ。ディズニーのパレードが終わったら、そのままおさわり パブに直行だ。おまえも来るか?」
「じいちゃん! それで何回ばあちゃんを泣かせたよ、生きてる時。いいかげんに心を入れ替えろよ」
「タワケ。人間、死んだくらいじゃ変わりゃあせんわ。ほれ、見えたぞ」
 家の前に火が見えた。母さんが迎え火を燃やしているのだ。
「このタワケが。バイク事故なんぞで早死にしおって。母さんを泣かせるとは、とんだ親不孝ものだ」
 じいちゃんにまたどつかれた。
 タケシは一言も言い返せなかった。

 また、お盆の季節がやってきたのだ。

おわり

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