個性的

「先生、お願いですからなんとかしてください。本当に困っているんです」
彼は、さっきからペコペコし続けていた。
しかし、その美容整形外科医はとりあおうとしない。
「そうおっしゃられてもねえ。別に、あなた、問題のあるお顔ではないですよ」
「だから困っているんです」
彼は、それで何度目かの”困ってるんです”を口にした。
「平凡すぎるんです。特徴も個性もまるでなくて存在感がゼロ。いわゆる影が薄いというやつで、誰も覚えてくれないんですよ」
決してオーバーに言っているのではなかった。
中肉中背、平々凡々、同窓会に行っても、誰一人覚えていてくれる者がいない。
見合いの相手は、二度目に会う段になると彼の顔がわからない。
実の親でさえ、母親がかろうじて彼を息子をわかるだけで、父親となるとまるで駄目だった。
「しかしね、あなた」
あきれ顔で医者は言った。
「人間誰しも、いくらかは個性を持っているものですよ」
「それじゃあ、先生」
いきなり彼は立ち上がった。
医者はおもわず、両腕で頭をかばう。
「な、なんです」
「失礼します」
彼はドアを開けて診察室を出た。
「いち、にい、さん、しい」
声を出して十まで数え、またドアをあける。
医者はポカンとしていたが、彼が入ってきたのを見ると、たちまち職業的微笑を浮かべて言った。
「あ、初診の方ですね。どうぞ、こちらへ」
「ほら、忘れてる」
「えっ」
「さっきまでここに座っていた鈴木保夫(仮名)ですよ、先生」
彼は再び医者の前に腰をおろした。
「そう、ですか? ははあ、なるほど。そう言われてみれば…。いや、そうでしたかな、ははは」
医者は笑ってごまかした。
「ね、このとおり、まるで記憶に残らないんですよ。個性が欲しいんです」
「はあ」
医者は、しばらくボーールペンをもてあそんでいたが、やがて、彼の顔を見た。
「頬にキズでもつけられては」
「それじゃあ会社にいられません」
「では、服装で個性を出す……」
「等身大の広告用人形みたいになるんです」
彼は医者に迫った。
「なんとかしてください。先生だけが頼りなんです」
医者は、ボールペンを右手にきちんと持つと、カルテに何か書いた。
それから、
「紹介状を書きましょう。ええと」カルテの名前欄を確認して、「鈴木(仮名)さん」
「でも、先生」
「考えようによっては結構なことじゃないですか。犯罪を犯して目撃されても顔を覚えられないんです。ね?」
「先生っ」
「はい。では、そういうことで」
彼は、ていよく追い出されてしまった。
「ああ、僕はなんて不幸なんだ」
とぼとぼと歩きながら、彼は街行く人々を見た。
皆、個性的な顔を首の上に乗せている。
「犬も歩けば個性に当たるという時代に、僕だけが何の特徴もないなんて」
嘆きながら家につくと、飼い犬のポチが彼に吠え立てた。
どうやら、体臭にも個性がないらしい。
彼はさらに落ち込んだ。
「ただいま」
戸を開けると兄嫁が、
「きゃあ、誰っ」
「義姉さんったら。保夫(仮名)だよ」
「あら、ごめんなさい。でも、ほんとうに?」
朝、別れたばかりだというのに。
もっとも、彼も、あまり人を責められたものではなかった。
自分という意識があるからこそ、自分を認識できている。
もしもそうでなかったら、鏡を見るたびに悩んでいただろう。
個性だらけの世の中で、個性がないというのも個性の一つではないかと、時々思ってみる。
が、それが慰めにもならないことを、彼はよく知っていた。
朝、会社に行けば、同僚から新入社員の扱いを受ける。
何かの間違いで、女の子とデートする事になっても、相手は、映画館で照明が落ちたとたんに、彼をチカン呼ばわりする。
夕方、家に帰れば、家族の者に知らぬ顔をされ、頼みの母親も、年のせいか彼がわからない事が増えてきた。
これが彼の毎日だ。
生まれてから28年間、毎日続いた忘れ去られる生活。
どうしてそうなのかわからない。
とにかく、存在感が希薄なのだ。
「こんな人生には意味がない」
彼はとうとう嫌気がさした。
自殺した。
鉄道自殺を選んだのは、めだつと思ったからだったが、彼の死体はバラバラで、結局、身元不明死体にされてしまった。
もちろん、成仏できなかった。
彼は、あの美容整形外科医を恨むことにした。
あの医者が顔をなおしてくれなかったせいで、人生に絶望してしまったのだ……。
化けて出る事にした。
幽霊、お化けといえば、古今東西、めだたないわけがない。
お岩さまやお露さん、お菊に化け猫、狼男に吸血鬼。
個性の塊だ。
彼はいさんで、医者のところに出て行った。
「うらめしやあ」
案の定、医者はあわてふためいた。
医者の妻は、ベッドの中で失神した。
ざまあみろ。
彼は心中、快哉を叫んだ。
医者がわめいた。
「き、君は誰だ。何の恨みがあるのだっ」
彼は、ここぞとばかりに凄みをつけて医者に迫った。
「わたしは、先週、先生に見離された、あの個性のない男ですうー。先生が個性的な顔にしてくれなかったために自殺したのですうー。うらめしやあ」
医者は少し考えてから、ああ、あの時の、とうなずいた。
それから、突然ゲラゲラと笑い出した。
「な、何がおかしいんです。わたしは今やお化けですよ。どうです? 怖い、個性のある姿でしょう? う・ら・め・し・や・あ〜」
医者はなおも笑っていたが、腹をおさえて苦しげに言った。
「いや、さすがに個性のない顔をしていたあなたらしい。のっぺらぼうになるなんて」
言われて顔にさわってみると、確かにつるんと何もない。
彼は、うーん、と考え込んでしまった。
はたしてこれは、個性のある状態なのだろうか、そうじゃないのだろうか、と。
                       おわり

本棚へ