共振−笑わないお姫さま−

昔々、あるところに、決して笑わないお姫さまがおりました。
笑わないばかりではありません。お姫さまは、泣きもしなければ怒りもしなかったのです。
王さまは困って、国じゅうにおふれを出しました。
『姫を笑わせたものには、望みどおりの褒美を与える』
さあ、国じゅうの貴族がやってきました。自慢の道化を連れてきて、おかしな歌を歌わせたり、変わった芸をさせてみたり。
でも、お姫さまは笑いません。
国じゅうの商人がやってきました。珍しい品をプレゼントしたり、異国の話を聞かせたり。
でも、お姫さまは笑いません。
国じゅうの農民がやってきました。こっけいな顔をしてみせたり、わざと転んだりぶつかったり。
でも、お姫さまは、やっぱり笑いませんでした。
王さまは悲しくて泣きました。泣いて泣いて、病気になるほど泣きました。
貧しく、争いの多かったこの国を、豊かで平和な国にすることのできた王さまにも、ひとり娘の心の中まではわかりませんでした。
王さまの病気は重く、医者もさじを投げました。
国じゅうが重く沈みました。貴族も商人も農民も、みんな、王さまが大好きでしたから。
王さまは、毎日、お姫さまを枕元によんで、手を取って、こう言いました。
「なあ、姫や。お願いだから笑っておくれ。わしを愛していないのかい?」
お姫さまは笑いません。王さまの言葉が聞こえているのかいないのか、焦点の合わぬ瞳は、ぼんやりと宙を見ています。
「ああ、なんと悲しいことだろう」
王さまは、またほろほろと泣くのでした。
病気は日増しに重くなり、とうとう、王さまはお亡くなりになりました。
国じゅうが悲しんで泣きました。でも、お姫さまは泣きませんでした。
大臣たちが集まって、これからどうするかを話し合い、大臣の中から国王を選ぶことにしました。笑わないお姫さまでは、国を治めることはできないと考えたからです。
ところが、大臣たちはそれぞれ、自分がもっとも優れていると思っていたので、争いになってしまいました。国は乱れ始めました。
お姫さまは、今までどおりにひっそりと一人で暮らしていましたが、ある日、ふらりといなくなりました。
お姫さまが国はずれの森に向かうのを見た、というものがおりました。でも、ほんとうかどうか、誰も確かめませんでした。みな、争うことに忙しかったのです。

お姫さまは、一人で森に行きました。
深い深い森の奥、小さな泉のほとりまでくると、お姫さまはほっとため息をつきました。
ドレスをもちあげ、泉に足をつけました。あたりは静かで、ときおり、鳥の鳴き声が聞こえます。カサコソいうのは小リスが葉のあいだを動く音でしょうか。
お姫さまのたてる水音が、パシャパシャと、澄んだ空気に響きます。
と、お姫さまが、水の中に立ったまま、ぽろぽろと涙を流し始めました。
あふれる泉よりまだ多く、涙はお姫さまの目からあふれます。泉が塩からくなるのではないかと思うほど。
お姫さまは、一人でずっと泣いていました。
すると、
「どうして、あなたは、今、泣くのです?」
声がしました。
お姫さまが驚いて顔をあげると、泉の向こう側に、小人の男の子が立っていました。
「王さまがなくなったのが悲しいのなら、どうして、その時泣かなかったの? 弱虫で傲慢なお姫さま」
お姫さまは、あわてて泉からあがりました。絹のハンカチで、いそいで顔をふきました。それから、いつものように心を閉ざしそうとして……
「だめっ」
男の子が叫びました。
「隠れてしまってはだめだよ。かわいくて醜いお姫さま」
お姫さまはびっくりしました。目を上げて、じっと男の子をみつめました。
「おいら、エンディ。この森に住んでいるんだ。だけど、なんでも知ってるよ。かわいそうな王さまのことも、うぬぼれ屋の大臣たちのことも」
エンディは泉をまわって、お姫さまのそばに立ちました。
「この森には誰もいないと思って安心したんだろう? おいら、小リスと心をくっつけていたんだよ。あなたが気づいて、心を開かないと困るから。さあ、行こうよ」
エンディはお姫さまの手をひきました。街の方向へ。
お姫さまはイヤイヤをして、手を引っ込めようとしました。
「あなたの国だよ。あなたが治めるんだよ。賢くてバカなお姫さま」
小さなエンディは、お姫さまの手をひいて、どんどん歩いていきました。あんまり早く歩くので、お姫さまは走らなくてはなりませんでした。枝が髪をからめます。トゲがドレスを引き裂きます。靴は片方脱げおちて、足が傷だらけになりました。
お姫さまは泣きながら、エンディについて行きました。
街は静まり返っていました。
空には黒雲が重くどんよりとたれこめています。通りは汚れ、店は閉まり、誰の影も見えません。
いつ戦いが始まるかと、人々は不安におののいて、家に閉じこもっているのです。
しいんとした街の中で、お姫さまは、おもわず耳をふさぎました。家の中から、ひそひそと話す声が聞こえます。言葉になる前の、心の中の声までも。
(この国はどうなるのかしら。不安で心臓がとまりそう)
(軍馬にひっかけられた足が痛くてたまらない。誰か薬を。誰か薬を)
(息子はどこへ行ったの。むりやり軍隊に連れて行かれたあの子は、もう死んでしまったのかしら)
「おいらにも聞こえるよ。耳をふさいじゃだめだ」
エンディが悲しそうに言いました。
「みんなの悲しみや苦しみが、おいらの心の糸を鳴らす。おいら、悲しくて辛くて、死んでしまいそうだ。でもね、おいらをごらん。やさしくて鬼のようなお姫さま」
お姫さまはエンディを見ました。
小人の少年は、肩をそびやかし、胸をはって立っていました。
「おいら、心を閉ざしたりしない」
エンディは、すうっと息を吸って歌い始めました。それはお姫さまにも聞こえないほどの小さな声でしたが、耳にではなく心に届く声でした。街の人々の心の中にも。
(信じているとも。きっとまた平和がくるよ)
(痛みは生きているあかし。そうだ、そうなんだ)
(元気な息子の幻が見えるわ。帰ってくるのを信じて待つわ)
想いは、あたたかいスープのように、心にも体にもしみていきました。人々が動き始めました。
コトリ、カタリ、と家いえの扉が次々に開いていきました。戸口にあらわれた人々が、お姫さまをみつけました。
「おお、お姫さまだ」
「お姫さまが来てくださった」
「私たちを救いに」
「お姫さまだ」「お姫さまだ」
人々の声は一つになり、空に昇って、たれこめた雲を裂きました。太陽の光が雲を貫き、人々と街とお姫さまを照らしました。
「さあ、行くんだよ。まばゆくて輝かしいお姫さま」
エンディがお姫さまに言いました。
「人の心に共振してしまう能力は、子供のあなたには辛いものだったね。人々の心の苦しみばかりを、幼い時に感じてしまったので、あなたは心の扉を閉ざしてしまった。人の苦しみや悲しみに共振してしまうのが怖くて辛くて。だけど、忘れないでお姫さま。悲しみの波動は希望に変わる。苦しみの波動は勇気に変わる。あなたは変えることができる。そうして、送り返してやるんだよ。悲しむ人には明日の希望を、苦しむ人には生きる勇気を」
争っていた大臣たちも、人々の歓声を聞くと、剣を捨て馬を降りて、お姫さまのそばにやってきました。
「ばんざあい」
「お姫さま、ばんざあい」
お姫さまは、よろめきながら、二、三歩前に踏み出しました。それから、ふと、不安になったのか、エンディを振り返りました。
エンディは微笑んでいました。
お姫さまも微笑みました。
みんなが、わあっと叫びました。
なんと美しい笑顔でしょう。
この世のすべての善きものと、真実なるものが、お姫さまの笑顔に映りました。
お姫さまは前を向き、笑顔のまま、しっかりとした足取りでお城に向かって歩き出しました。

そんなわけで、それからその国は、ふたたび平和な国となりました。お姫さまは人々に愛されました。お姫さまも人々を愛して、やさしい気持ちで国を治めました。
エンディは、あれきり姿を見せませんでした。お姫さまが森の泉で名を呼んでも、答えるものは誰もいません。それでも、お姫さまは、時々お城を抜け出して泉の水に足をひたして時を過ごします。そうしていると、エンディの存在を感じられるような気がするからです。
お姫さまは、そうやって、いつまでも幸せに暮らしました。
遠い昔のお話です。
                      

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