夏祭り

「迷子か?」
 その子は、神社の奥の大きな木の陰からひょこっと顔をつき出した。  暗い夜道に、白い甚平がポッと浮かび出る。オニのお面をつけていた。
「ボク、迷子じゃないよ」
 ちょっとドキリとしたのが恥ずかしくて、アキラはそっぽを向いた。
「迷子だろ」
 お面の子供は、アキラの前にまわりこんだ。アキラと同じくらいの背格好だ。
「ちがうってば」
 だから田舎はイヤなんだ、とアキラは思った。近所のおばさんもお店のおじさんも、みんな妙になれなれしい。この子もそうだ。
“あれ、あんた、田島んとこの孫だろ。ヤスユキちゃんの小さい頃にそっくりだわ”
 そう言われて何度笑われたことか。
(ボクがパパに似ているのがどうしてそんなにおもしろいのさ)
「いいや、きっと迷子だ」
 その子は、いきなりアキラの手をつかんだ。
「こっちに来なよ」
 神社の裏手はすぐに山になっている。子供は、アキラを山のほうへひっぱっていこうとしている。
「迷子じゃないよ。あっちに戻れば、パパもママも待ってるんだ」
 それはウソだった。パパは、アキラをおじいちゃんに預けると、すぐに家に戻っていった。アキラは、ひとりで、田舎の祖父母のところに置いていかれたのだ。パパとママとで大事な話し合いをするから、とパパは言った。ニ、三日で迎えにくるから、と。
 ボクもその話し合いに入れてよ、とアキラは言いたかった。もう9歳なんだから、と。でも、何も言わなかった。
(話し合いには、ボクはジャマなんだ)
 ニ日目の夜に太鼓の音が聞こえた。おじいちゃんが、あれはお神楽の音だよと教えてくれた。神様に捧げる踊りのことだそうだ。
 早めに夕ご飯を食べて、おじいちゃんと一緒に神社に来ると、人が大勢いて、露店もたくさん出ていた。
 境内の奥へ行ったらだめだよ、――が出るからね。おじいちゃんにそう言われたけれど、アキラは、いつのまにか、おじいちゃんのそばを離れて神社の奥深くにはいりこんでいた。
 あんなににぎやかなお祭りの音が、フツッと途絶えて心細くなった時に、オニのお面の子供が現れたのだ。ドキンとしても仕方がない。お面は、露店で売っていたものと同じように見えた。赤い髪のオニでツノが二本ついている。
「放してよ、ボク、お祭りに来たんだから」
「お祭りなら、こっちでもやってるよ」
 お面の子は、アキラの手をぐいぐい引っぱって、ますます暗いほうへと行こうとする。
「ほら、見てよ」
「えっ?」
 その子が指さすほうを見ると、さっきまで真っ暗だった森の中に明りがともっている。その明りの中に、子供たちの姿が見えた。たくさんの子供たち。みな、それぞれ何かをして遊んでいるようだ。
「何してるの、みんな」
「お祭りだよ。鬼っ子のね」
「え、オニ?」
 もう一度ドキンとして、アキラは子供の顔を見た。境内の奥へ行ってはだめだよ、鬼がでるからね。おじいちゃんの言葉が、ふいによみがえった。
「あげようか、これ」
 子供は、オニのお面をとって、アキラにさし出した。お面の下の顔は、普通の子供と同じ、ニコニコ笑っていた。ツノもない。
「脅かさないでよ。ほんとにオニかと思ったよ。何が鬼っ子なのさ」
 少し腹をたてて、アキラは子供がさし出すお面をひったくるように受け取った。
「鬼っ子って、親に嫌われた子供のことだよ、知らないの?」
 子供は笑ってアキラに言った。アキラは、口をとがらせた。
「違うよ。親に似てない子のことだよ。学校で竹内先生が言ってたよ。節分の話をした時にさ。外国では、妖精の取替え子って言うんだ。妖精が取り替えていっちゃったから、親に似ていないんだって」
「へえ、そうなの。どっちも同じだよ。親に似てなきゃ嫌われるよね」
 行こうよ、と言って、子供は、またアキラの手を引いた。お菓子もたくさんあるんだよ、ずっと起きてても怒られないんだ、楽しいよ、大人なんて、子供のことジャマだと思っているだけなんだからさ、子供だけのほうが楽しいに決まってるだろ。
 一瞬、アキラは足を踏み出しかけた。ボクがいなくなったら、パパもママも駆けつけてきてくれるかな。前みたいに、仲良くなって、パパとママとボクと三人で遊園地やドライブに行ってた頃に戻れるかな。
「あ、ごめん、ボク…」
 アキラは、踏み出しそうな足に力をいれて踏ん張った。
「ボク、鬼っ子じゃないよ」
 パッと、子供の手を振り払った。
「ボク、パパの小さい頃にそっくりなんだ。隣のおばさんもお菓子屋のおじさんも、みんなそう言うんだ。それにさ」
 暗い森の中で、子供の顔がふうっと白く浮かび上がった。ちょっと寂しそうで、ちょっと笑ったような口元が見えた。
「それにさ、ボクがいないと、パパもママもきっと離婚しちゃう。おじいちゃんちに急いで戻って電話しなくちゃ。やっぱり、ボクも話し合いにまぜてよ、って」
 子供は、一歩うしろにさがった。一歩離れただけなのに、その子の体は、闇の中にのまれたように見えなくなった。
 バイバイ、と小さく声が聞こえたような気がした。見ると、明りの中で遊ぶ子供たちの輪に、さっきの子の背中が駆け込んで行くのが見えた。それからふいに、子供たちの姿は消えてしまった。
 あとには、鼻をつままれてもわからないような闇ばかり。
 注意深く、アキラは体の向きを変えた。
 すると、向こうのほうに、何かの明りが見えた。祭りの堤燈の明りだ。その中から、
「アキラー」
「アキラちゃーん」
 自分を呼ぶいくつもの声が聞こえてきた。そのうちのひとつはおじいちゃんの声だ。
「おじいちゃーん」
 大きな声でおじいちゃんを呼んで、手を振ろうとしたアキラは、握り締めたお面に気がついた。
 なんだか、それは、奇妙に古びたお面だった。

おわり

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