サンタのいない夜
ご注意 昨年のクリスマスにサンタクロースからプレゼントをもらった人は読まないでください。ご注意

サンタクロースが来なくなった夜のことを、ぼくははっきり覚えている。
ベッドにはいっても心は浮きたたず、柔らかい枕がいつまでも冷たいようで眠れなかった。サンタクロースが来ないことを知っていながら、なお、もしかしたらという小さな望みを消せずにいた、あの嫌な長い暗い夜。
いつのまにか眠りにつき、朝、目覚めると、去年までのクリスマスの朝のように机の上にプレゼントが乗っていた。でも、それが、白ひげのおじいさんの大きな袋から出てきたものでないことをぼくは知っていた。誰が持ってきたのかということも(もちろんパパだ。パパのことは大好きだったが、それとこれとは話が違うのだ)。
その年から、ぼくにはサンタが来なくなった。プレゼントはいつも届いたけれど、ぼくには、二度と、あのワクワクではちきれそうな胸を抱えて眠る幸せな夜は戻ってこなかった。

そうして、私は大人になりパパになった。かわいいジェニファ。おまえにだけは、メルヘンを失う悲しみを味あわせはしない。

「パァパ、おかえりなさーい」
鍵をはずしてドアをあけると、ジェニファの無邪気な声が階段の上に届いた。私は慎重に手すりを握った。
彼女が、ころがるように走り寄ってキスをしてくれたのはいつのことだっただろう。近頃のジェニファは、私に抱きついても来ない。それもしかたのないことだ。彼女もいつまでも"小さなかわいいジェニファ"ではないのだから。
「ただいま、ジェニファ。きょうは何をしていたんだい」
いつものように声をかける。
「ビデオ見てたの。それから、お人形さんごっこ」
奥の部屋から、バリバリとスナック菓子の袋を破る音がする。
「これこれ、あんまり食べたら、せっかくのクリスマス・ディナーが食べられないよ」
「ターキー?」
「もちろんだよ。それに、かぼちゃのプディングも買ってきた」
「デザートにアイスクリームを食べていい?」
かわいいジェニファ。アイスクリームが大好きだ。
「いいとも。こっちで食べるかい? それとも…」
言いかけて後悔した。ジェニファはベッドの上で食べるのがお気に入りだ。
「こっちよ、こっち」
ジェニファがじれたような声で返事をする。
「きょうは、アニメを見るの。『ホワイトクリスマス』よ。かわいいネズミが出てくるお話。パァパ、ごはん、早くしてね」
「はいはい」
夕ごはんの支度をしていると、今度は、遠慮がちな、少し恥ずかしがっているような声でジェニファが言った。
「ねえ、パァパ。きょうはクリスマスイヴよね」
「そうだよ」
「ジェニファにもサンタクロースが来るかしら」
毎年毎年、心配そうにたずねるジェニファ。なんとかわいく素直に育ってくれたことだろう。
「もちろんだよ。ジェニファは今年もいい子だったからね」
私は、こっそりと鍵をかけた戸棚に目をやった。プレゼントはちゃんと用意してある。ジェニファの好きそうな大きなぬいぐるみだ。彼女がぐっすり眠ったら、そっと枕元に置いてやろう。そう考えてから、大事なことを思い出した。ジェニファのコーラに眠り薬をいれなくてはならないのだ。今年は多めにしなくては。去年は、プレゼントを置こうとした時に目を覚ましそうになった。危ないところだった。サンタクロースが私だと知ったら、彼女はどんなにがっかりすることだろう。
薬を混ぜたコーラをそっとかきまぜて、温めおわったターキーを取り出すためにレンジをあける。腰が痛む。レンジの位置が低すぎるのだ。以前はなんということもなかったのに。この季節には膝も痛むようになった。目もかすんできたし、なによりも寒さが骨身にこたえる。だが、ジェニファのために私は働かなくてはならない。あのかわいいジェニファに、いつまでもサンタクロースを信じさせてやるために。
そのために、彼女がまだ幼いうちに妻とは離婚した。妻が、いつか子供に、醜い現実を告げてしまいそうだったから。友達も危険だった。妖精を信じていた子供の私に、そんなものはいない、と叫んだ友達の得意げな顔を、私は忘れていない。それで、私はこの家を買った。地下室を広げて改造し、ジェニファと共に地下に住んだ。窓を避けるためだ。外は、メルヘンを破壊する危険なモノで満ちている。夢のあるおもちゃを与え、テレビ放送は害があるのでビデオだけを見せた。妖精や、楽しいアニメキャラクターの出てくるのもばかりだ。もちろん、サンタクロースのお話も厳選して見せた。ジェニファはいい子で、はじめのうちは外に出たがったが、次第に一人で遊べるようになった。大好きな甘いお菓子を、いつでも食べられるように部屋に置いたからだ。かわいいジェニファ。世界じゅうでいちばん素直で純粋な娘。サンタクロースの存在を信じて疑わず、毎年、クリスマスイヴには頬を上気させながら、早く眠りたいのにドキドキして眠れないの、と私に訴える。サンタさんはどんなプレゼントを持ってきてくれるかしら、と。一度、煙突はどこかと言い出したことがあった。懐かしい記憶だ。私は何とか返事をしたが(何と返事をしたのだっただろう? )、それから何日も、彼女の夢を壊してしまったのではないかと心配だったものだ。
「パァパ、ごはん、まだ?」
部屋からジェニファの声がした。私は、思い出に浸るのをやめて、料理の盆を注意深く持ち上げた。
「ねえ、サンタクロースのプレゼント、今年は何かしら」
期待に満ちたジェニファの声。
「あたし、ドキドキして眠れなかったらどうしよう」
「大丈夫、眠れるよ。食事をしてビデオを見たら、早く明かりを消しなさい。パパが子守唄を歌ってあげる」
「ほんと? うれしいな」
盆をジェニファの膝の上に置いてやる。今では、どこが膝なのかよくわからない。
「おいしそう。あとでアイスクリームもちょうだいね」
むっちりした手で盆を押さえ、もう片方の手では、袋からスナック菓子をつかみだして口にいれている。あごの肉にうもれて口がよく見えない。ベッドがギシギシと悲鳴をあげている。一日中、彼女の体を支えているベッドだ。
「パァパも食べよう」
「ああ。食べようね。コーラをこぼすんじゃないよ」
「うん」
「パパもお皿も持ってくるよ」
腰をおさえて立ち上がった。左胸にツンと痛みが走る。私はおもわず体をかがめた。まだだめだ。かわいいジェニファを残して死ぬわけにはいかないのだ。かわいいかわいいジェニファ。生まれてから45年間、ずっとサンタクロースを信じ続けている幸せなジェニファ。私が60年前に味わった喪失の悲しみを、おまえにだけは絶対に……。
「パァパ、早く食べようよ。早く寝ないとサンタクロースが来ないじゃない。何か落としたの? パァパったらっ」
胸をおさえてうずくまる私の背中を、ジェニファが無邪気な太い腕で、バシン、とたたいた……。
            おしまい

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