真夜中に時計が鳴った。
叔父さんがオレに残したたった一つの遺産だ。
古いがちゃんと動く。正確に時報も鳴らす。もちろん一時間ごとに。
「あなた、あれ、何とかしてよ」
となりで女房が布団をかぶりながら言った。
「もう捨てちゃって」
そんなことはできない。
あれには、とてつもない宝物が隠されている、はずなのだ。
大金持ちだった叔父が、事業に失敗して次々と財産を失いながらも、最後まで手放さなかった大時計だ。
叔父はたった一人の肉親であるオレを呼んで、死の間際に言った。
哲夫、時計を処分するな、動かし続けろ、きっといい事があるぞ、と。
何かが隠されているはずだ。
時計をいろいろ調べたが、まだわからない。とにかく、動かし続けるほかはない。もちろん女房には何も言っていない。
「叔父さんの形見で大事なのはわかるけど、これじゃ眠れないわよ」
女房が言った。
「押入れにでもいれちゃってよ」
「今か?」
「今すぐよ。階段下の物入れならはいるでしょ」
「高さは足りるが、他の物がたくさん入っているじゃないか」
「全部出して、あれを入れるのよ」
「出した物はどうするんだ」
「あなたが片付けるのよ」
「夜中だぞ」
「早くして。次の時報が鳴る前にね」
オレは渋々ベッドから出た。
金のせいだ。こんな女の言うことを聞かなければならないのも全て金のせいなのだ。
株で失敗した借金を、こいつの実家に肩代わりしてもらっている。叔父さんが、もうちょっと金目の物を残していってくれさえすれば…。
言葉にできない文句を口の中でぶつぶつとつぶやきながら、オレは階下に降りた。
階段下の物入れの扉をあけて、中のがらくたをとりあえず廊下に出し、それから居間に入った。狭い居間に、大時計だけが存在感を示している。
オレは大時計に手をかけた。
重い。
動かそうと力を入れた瞬間に、ふあっと周囲がかすんだ。
たちくらみ?
違う。大時計ははっきりと見える。周囲の居間の光景だけがぼやけている。
突然、大時計の針がぐるぐると逆に回転し始めた。すごいスピードだ。
「うわ」
時計から離れようとしたができなかった。
あたりが一瞬暗くなり、それから、再び明るくなった。
オレはそっとまわりを見回した。
そこは、狭い我が家の居間ではなかった。古い昔の家の中だ。懐かしい香りがする。木の柱の香り。庭にはひまわりが咲いている。
「哲夫ちゃん、こっちにおいで」
名前を呼ばれて振り向くと、奥のほうから誰かが出てきた。縁側に向かって歩いていく。
「スイカ切ったからね」
(ばあちゃん?)
オレが中学の頃に死んだ田舎の祖母だ。
小学生の時には、夏休みにはオレはいつも田舎に来ていた。毎日、虫や魚を追いかけたものだ。
「ばあちゃんっ」
おもわず声をかけたが、ばあちゃんの視線はオレを通り過ぎていく。
「せいちゃん、いっしょに食べよう」
庭のほうから子供の声がする。オレだ。小学生の頃のオレ。
「たくさんあるから仲良くお食べ」
子供のオレが仲良しのせいちゃんを連れて縁側に現れた。小学校三年生くらいか。
せいちゃんはばあちゃんの家の近所の子で、オレたちは夏だけの友達だった。毎年、いやというほどいっしょに遊び、ケンカしたり仲直りしたりしたものだった。
「食べたら、虫取りにいこうね、てっちゃん」
「うん」
ばあちゃんもせいちゃんも、オレは大好きだった。
ばあちゃんが死んで、受験のこともあって、オレは田舎に行かなくなった。せいちゃんとも、ずっと会っていない。
縁側で、小学生のオレとせいちゃんが、笑ったり、つつきあったりしながらスイカを食べている。
屈託なく、幸せそうだ。
(懐かしいなあ)
二人のそばに近寄りたかった。あの頃に戻れたら、他には何もいらないのに。
その時、周囲がまた真っ暗になった。
「あっ」
おもわず、オレは目を閉じて…
「早くしてってば。何やってるのよ」
女房がオレの肩をゆすっていた。
大時計が、また、ボーンと鳴り始めている。
「のろまね。ほら、手伝うから」
二人で時計を持ち上げて、物入れに入れた。
「もうネジをまかないでよ」
女房は文句を言いながら寝室に戻る。
オレは物入れの前で立ち尽くした。
叔父さんがこれを手放さなかった理由がわかった。
ノスタルジー。
それが、叔父さんの残した遺産だった。
朝になったら、オレは、また、これのネジをまくだろう。止めてはいけないのだ。過去が失われてしまうから。
女房には、いやみを言われるだろう。あまり文句を言うようなら、オレはこの家を出て行こう。
今の生活など惜しくない。オレは宝物を手に入れた。
過ぎた人生の中にある幸せだった時間、これに勝る宝物が、どこにあるというのだろうか。
END