特別会員券

30前だというのにリストラで職を失ってしまった。
勤続年数8年。退職金が少し出たので、その金で、何年ぶりかで実家に戻った。
実家は、山あいの小さな町だ。
田舎だから、大の男が毎日家でブラブラしていると目立つ。母親に小言を言われた。
頭にきたので、サンダルをつっかけて家を出た。
が、行くあてがない。
パチンコ屋は隣の町まで行かなければないし、映画館は車で2時間、山の向こうの市街地だ。家には軽トラが1台あるが、親父が乗って農協に行っている。
しかたなく、山のほうへと歩いた。
山といっても標高200メートルそこそこ。麓には小さな神社がある。子供のころにはよく境内で遊んだが、今見ると、狭くて汚い神社だった。
神社の裏手はすぐに山だ。
神社を抜けて裏手の山道を少し登ると、木立の中に白い建物が見えた。なんだろうと思って近寄ってみると、レストランだった。
こんなところにレストラン? 
店の前には車が4台ほど停められる駐車スペースがあるが、ここまで車が入ってこられるような道はない。駐車スペースの入り口には鎖がかけられていて、中に入れないようになっている。
その向こうに見える入り口のドアも閉まっていた。
営業はしていないらしい。
当然だ。こんなところで営業しても、客など来るわけがない。
店の裏手に回ってみた。裏側には大きなガラス窓が壁一面に張られて、店の中がよく見えた。テーブルが5つ。それぞれに椅子が2脚ずつ。人はいない。
が、なんだか奇妙だった。しばし足を止めて考えてみてわかった。
誰もいない営業していない店なのに、店内のテーブルは、どれもクロスがかけられてランチョンマットが敷かれ、その上には伏せたグラスやナイフ、フォークなどがきちんとセットされているのだ。いまにも客が来て、料理が出されそうな様子に見える。
今は午後の2時だ。営業時間外なのかもしれない。そう考えて一旦家に戻った。
母親はまだ怒っていた。あたりまえだ。
おざなりに謝って、またゴロゴロしてテレビを見て過ごした。
夕食を食べてから、懐中電灯を持って家を出た。
暗くなった山道は多少気味が悪かったが好奇心には勝てない。再び、あのレストランの前に行ってみた。
やはり店はやっていなかった。真っ暗だ。裏手に回り、ガラス窓に懐中電灯の光をあてる。誰もいない。もっとも、こんなシチュエーションで中に誰かいたら怖いが。
家に戻った。母親に尋ねてみる。
母親はしばらく考えてから、思い出して教えてくれた。
数年前に、あそこでレストランが開業寸前までいったのだという。山越えの道からははずれていたが、オーナーは自費で店の前まで道を広げる予定だったらしい。そのオーナーシェフは、街のレストランで働いていたが、とても腕がよく、とうとう独立して、あそこに店を構えることになった。ところが、もう少しで開業するという時に、運悪く、シェフは夫婦ともども交通事故で亡くなってしまった。それで店はそのままになり、その後は誰も気に留めなくなったのだとか。
テーブルがセットされていた件は母親には言わなかった。言う前に、母親の小言が始まりそうな気配になったのだ。クワバラクワバラ。早々に部屋に戻って布団にもぐることにした。
翌日も、なんとなく気になって山のレストランに言ってみた。
誰もいない。
それでも、中に見えるテーブルはきちんとセットされて客を待っている。昨日は気付かなかったが、奥にはカウンターもあった。こんな場所でも、腕のいい料理人なら、評判になって客が来たかもしれない。
店の周りをぐるっと回って、もう1度、正面に戻ったときに、それに気付いた。
閉じたドアに四角い白いものが揺れている。
張り紙だ。
駐車スペース前の鎖を乗り越えてドアの前に行ってみた。
『開店記念。スペシャルディナーをサービスいたします。今宵、おいでください。店主敬白』
やっぱり誰かが営業しているのだ。
何時からなのかどこにも書いていないが、今宵、ということは夜なのだろう。昨夜はまだ早すぎたのだ。

家を出た時は深夜0時近かった。春とは言っても夜は冷え込む。上着を着こんで冷たい空気の中を店へと急いだ。
表には、車は1台も停まっていない。ドアも閉まっていた。
がっかりして帰ろうと思ったが、念のために裏手に回ってみた。すると、店内にはこうこうと明かりがともり、5つのテーブルに、それぞれ1人ずつ、客が座っていた。どの客の前にも、おいしそうな料理ののった皿が置かれている。ゴクリ、と喉がなった。
店の前にもどり、鎖を乗り越え、入り口のドアを引きあけた。
カラン、とドアのカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
制服をきっちりと着こなした中年の女性がにこやかに声をかけてきた。おもわず後じさった。考えてみれば、満席ではないか。
帰ろうとした瞬間、ひとりの客が立ち上がった。
「ありがとうございました」
女性が客に深々とお辞儀をした。
「またお越しくださいませ」
客は、それに応えるでもなく、横柄に女性に何かを手渡した。カードのようだ。その客とすれ違いざま、かすかに目があったように思えたが、気のせいだったかもしれない。相手のほうはそそくさと店を出て行った。
「ただ今、ご用意させていただきますので、どうぞあちらに」
女性が声をかけてきた。いつの間に片付けたのか、今、客が立ち去ったテーブルは、きれいにセットし直されている。新しいランチョンマットにグラス、折りたたまれたナプキン。
椅子に腰をおろしかけて、はっとした。財布には小銭しか入っていない。
「本日は開店記念でございます」
女性が言った。
「記念スペシャルコースは無料でございます」
ワインが注がれ、スープ、前菜と料理が進んだ。どれも極上の味。
「メインディッシュでございます」
シンプルな平たい皿の中央にこんもりと盛られた肉と野菜。それにかけられたいい香りのソース。ちょこんと乗せられた香草。どれも美味くて、デザートまで夢中で食べた。
食べ終わって顔を上げると、客の全員が、椅子に腰掛けたまま身体をひねって、こちらを見ていた。
なんだ? 
うろたえて視線をめぐらすと、女性がにこやかな顔で進み出てきた。
「おめでとうございます、お客様。完食なさいましたね。これで当店の特別会員でございます」
差し出された金色のカードを手に取ると、「特別会員券」と書かれている。
パチパチパチ……。全員が拍手をした。

その日から、オレはずっとこの店にいる。
毎日毎日、豪華な食事だ。
味は極上、サービスは完璧。もちろん料金はいらない。
だが、オレはうんざりしている。考えても見てくれ。豪華で極上の料理でも、毎日同じメニューなのだ。それも朝も昼も夜も。
オレたち5人の客は、テーブルについたきり。身体が椅子から離れないのだ。
疲れを知らないシェフは、厨房で毎日同じ料理を作り続けている。
きっちり5人分。
開店記念サービスの夜だけは6人分。
そう、客の入れ替えの日だ。その夜だけ、表のドアが開くのだ。そして、新しい客が入ってきて、最古参の客が出て行くことができる。
それはめったにこない機会だが、今回はなんとかなりそうだ。
裏のガラス窓越しに、不思議そうな表情で覗き込む男が見える。どうして、この店は営業していないのにテーブルがセットされているのか、と考えているのだろう。
早く入ってこい、とオレたち5人は、せいいっぱいの念を送る。おいしい料理が待っているぞ、と。表の張り紙に気付くように、と。
ひとり来れば、ひとりが帰れる。最古参の客は必死の形相で、外の男をにらみつけている。きっと交替できるだろう。
だが、オレの交替の日までは、まだ遠そうだ。なんといっても、好奇心と食い意地と暇をたっぷり持ったやつでなければ、そうそう、ここまでやって来たりはしないだろうから。

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