ユビキタス
[ユビキタス] 同時にどこにでもある、の意。コンピュータの存在を意識せず現実生活のいたるところで利用できる環境にすること。以下はズレた解釈。

いつの間にか、家電品が喋るようになった。喋る相手だと、機械のような意識が薄れてくる。技術の進歩というやつだ。だが、何事も、過ぎるのは困ったものである。

帰宅すると、指紋認証型ドアが言った。
「おかえりなさい、だんなさん。遅かったですね、どこに行ってたんですか。あ、お酒臭いっ」
「仕事だよ、仕事。接待だ」
なんでドアに言い訳しなきゃならないんだ。
「あなた、お帰りなさい。お食事は? 」
妻が出迎えてくれた。
「うん。軽く食べたいな」
「今、温めるわね」
妻が電子レンジの扉をあけると、電子レンジが目覚めた。
「ふわー。深夜労働はいやだなあ」
「文句言わないで、ちゃんと温めてね」
「はいはーい。だんなさんですよね? 猫舌だからこのくらい、っと。おまちどっ」
「ありがと。あら、あなた、トイレ? 」
「うん。ビールを飲みすぎたかな」
トイレでは、自動洗浄温熱便座が喋る。
「だんなさーん、また飲みすぎましたねー。飲みすぎはよくないですよー。尿の分析結果、お知らせしましょうかー? 」
「うるさい。聞きたくない」
食事を終えて、テレビでニュースを見る。テレビ自体はあまり喋らないのでホッとする。もっとも、映っているニュースキャスターは、一昔前の1.5倍の速度で喋っているが。
妻は食器を自動食器洗い機にいれる。食器洗い機だって喋る。
「おっくっさーん。洗剤補充してください」
「もうないの? 使いすぎじゃない? 」
「そんな事ありませェん。僕は改良型ですから、洗剤と水の使用量は旧型の60パーセントですよォ、おっくっさん」
「その呼び方やめてよ」
「えー、いけませんかあ? 一昨日来ていたセールスマンの真似してみたんですけどォ。奥さん、気に入ってたみたいだから」
「そんなこと言ってると舌を抜くわよ」
「舌は1枚もありませェん」
「まったく、口の減らない機械だこと」
「そりゃ口は減りませんよ。元々ないですもんねェー」
いきなり、壁の時計が大声を出した。
「ポロリーン。23時46分28、29、30秒。私のメモリーが正しければ、だんなさんは明日はゴルフコンペの予定。5時には起きないと間に合いませんよ」
「お、そうだった。もう寝るとしよう。ありがとう」
「だいたい、この家は、皆さん寝坊ですよ。私が、家じゅうの時計をいっせいに鳴らしたって起きやしないんですからね」調子に乗って時計が言うと、電気炊飯器も負けじと口をひらいた(いや、口はないが)。
「そうなのよっ。あたしが言わなきゃ、ご飯炊くのも忘れるのっ。毎朝ご飯が食べられるのはあたしのおかげねっ」
「何言ってるんだ、電気炊飯器。朝はパン食がいいに決まってる。この自動パン焼き機にお任せください、奥さん」
「はいはい。どうせ、あたしは寝坊で料理がへたで忘れん坊よ。でも、だから、おまえ達をそろえたのよ」
「そのとおりだ」私と妻は反撃を試みた。
「おまえ達ときたら、仕事もするが、それ以上に口数が多すぎる。昔の家電品はもっと謙虚だったもんだ……」
鼻息荒く言いかけると、時計がイライラした感じでせかした。
「ほらっ。また3分2秒無駄にしましたよ」
「無駄とは何だ。おまえ達が一言多いからこうなるんだ」
「ひどいわっ」と冷蔵庫。
「奥さんが、少ない家計費でも何とかまともな料理を作れるのは、あたしの助言のおかげじゃない。さもなきゃ、無駄な生ゴミだらけで財布はからっぽよ」
「ゴミはいけません」掃除機が動き出した。「あああっ。タバコ、タバコの灰っ。落とさないでくださいっ」
「もう寝てください」と壁の時計。
「寝る前には火の元を確かめてくださあい。タバコはしっかり消してくださあい」これは火災報知器。
「火なんか使ってない。オレは安全だ」電磁調理台。
「早くお休みください。明朝5時まで、あと、5時間9分50秒、5時間9分45秒……」
「こ、こら、うるさい。カウントダウンなんかするな」
「タバコ消して、タバコ消して」
火災報知器が騒いだせいか、換気扇が勝手に回りだした。
「けむいっ。だんなさん、今日、何本吸いました? 健診行ってますか? 」
「余計なお世話だ」
「ぼく、心配しているんですよ。主人がいなくなったら困るもの」
「大丈夫大丈夫。すぐに次が来るからね」
「ま、待て、食器洗い機。聞き捨てならんぞ。次とは何だっ」
「ばかねえ、あんた口が軽いんだから」と冷蔵庫。
「おまえ達、何か知っているなら喋れ。ヨシ子、ヨシ子」
「何ですか、あなた」
「5時間7分35秒、5時間7分30秒……」
「こいつらが言ってる、俺の後釜って何なんだっ」
「な、何を言ってるのよ、あなた。早く寝たほうがいいわよ」
「5時間6分10秒、5時間6分5秒……」
「言っちゃいなさいよ、おっくっさん。あの色男は、お友達の紹介だって」
「色男っ! どこのどいつだっ」
「なんのことだか、わからないわ、私には」
「5時間4分。明日は、だんなさんはゴルフ、奥さんはアオヤマ氏の訪問予定があります。寝坊するとたいへんです。5時間3分30秒、5時間3分25秒……」
「アオヤマッ。そいつなのかっ」
「馬鹿言わないで。アオヤマさんはただの化粧品のセールスマンで、友達のミチ子の紹介なのよ。あなたは、私よりも家電の言う事を信用するのっ」
「う、う、うるさいっ。おまえとは離婚だ」
「私こそ、望むところだわ」
「コンピュータ、離婚の書類を作れ。役所のコンピュータにアクセスしろ」
「ポロリーン。0時です」時計が告げた。
とたんに静かになった。耳がキーンとするほどの静寂だ。
「ど、どうしたんだ。コンピュータ、何か言え。壊れたのか? 」
「えー、毎度」番頭のような口調で、家電品をしきっているホームコンピュータが喋った。
「今年度より新しい休日が増えまして。本日10月10日は、IOIO(アイ・オー・アイ・オー)デイ。人工知能の日、言うところの家電品の休日ですな。通常の家電品としての機能はそのまま使えますのでご安心を。その他の仕事の、人間の話し相手、助言役、スケジュール管理等の秘書役はお休みということですわ。では、私も休日に入りますんでよろしう。あとのご用はキーボード入力でお願いします。では」
コンピュータも黙ってしまった。
私は、タバコを灰皿に押し付けて念入りに消し、妻は、換気扇のスイッチを手で切った。
シーンとしている。無理もない。深夜なのだ。
「えー、その、なんだ、アオヤマ氏というのはミチ子さんの紹介なのか」
「そ、そうなのよ。ミチ子のおじさんのご友人で、去年、別の会社を定年退職なさった人なの」
「なんだ、食器洗い機が色男なんて言うものだから、つい……」
「い、いいのよ。私こそ、ついカッとなって……」
静か過ぎて落ち着かない。
私たちは、それ以上喋ることもなく眠りについた。
機械が喋らない1日は、人間も喋らない1日になりそうだった。
END

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