2。ドイツでの個展でのオープニングスピーチ

ベアーテ・エルマコーラさんのオープニングスピーチ(全訳)

みなさま、乾久子さん。
できることならば日本語でもご挨拶させていただきたいところです。けれども、私はこれまでに2回、日本に滞在する機会がありましたが、残念ながら日本語を学ぶまでにはいたっておりません。

私は本日、乾久子さんに依頼されて、彼女の仕事についてご紹介の言葉を述べさせていただくことを嬉しく思っております。
私たちが出会ったのは2002年の夏、私がクレーフェルト美術館での仕事を引き受けた直後のことでした。当時、クレーフェルトの作家5人、今ここにいらっしゃるバーバラ・アダメックさん、ルートヴィッヒ・ヴェルテンブルッフさんの他、クラウス・ゲルトナー、マルクス・エーレン、ヴァルター・ダーン、そして6人の日本人作家との展覧会の企画が進められているところでした。

その展覧会は、乾久子さんが暮らし、制作する浜松市で開かれました。展覧会の企画はクレーフェルト市がクレーフェルト経済振興財団の協力を得て進め、日独対訳のカタログも発行されました。

私は、日本人作家のテキストを編集している際、私たちとは異なる背景をもつ日本人の芸術世界に入っていくことがいかに難しいかということに気づきまし た。今日、様式の類似性だけを見たとき、現代芸術は世界中どこにあっても同じ視点で見ることができると思われがちです。けれども、日本の作家たちの作品には、まったく独自の芸術的伝統と仏教的な特色をもつ世界観が流れています。したがって、私たちが慣れ親しんでいる西洋的な方法で、乾久子さんの作品を言葉で表現しようとしたり、分析しようとしたりするならば、私は当然不確かな領域に踏み込むことになります。

けれどもまず、本日の展覧会は乾久子さんのドイツでの初めての発表なので、彼女について簡単にご紹介しましょう。彼女は1958年に静岡県藤枝市に生まれ、1981年まで静岡大学で美術史を学びました。パウル・クレーの作品を十分に研究するために、1982年にベルンに滞在し、それと並行して1983年まで東京学芸大学で研究を続けました。その後、高校の美術教育の職につきました。1987年に最初の展覧会を浜松で開催し、その後日本で数々の展覧会を開いています。

90年代半ばから、乾久子は「線」を中心においたコンセプトを展開しました。それは単にグラフィックとしての線、形を表現する線、紙の上での目に見える線というものを越えており、彼女の作品を構築するものとなっています。彼女は線を自身と他者、内部と外部を結ぶものとして捉えています。彼女の線は、身体がその生を維持するための血管である、といってもいいかも知れません。しかし、それは精神的なエネルギーの流れとなって外へ向かい、他者との関係を築こうとします。その意味では、乾久子の作品はきわめてコンセプチュアルなものといえます。

例をひとつ挙げてみましょう。私たちが浜松の画廊を訪ねた際、彼女はそこにいた全員のポラロイド写真を撮りました。私たちがもらった写真には端から端まで1本の線が引かれていました。彼女のコメントは、この線が私たち全員を結びつけるだろうというものでした。そしてそのとおり、その写真を見ると、そこには私1人が映っているだけなのに、この線の存在によって、その時のことやその場に居合わせ人たち、中でもその写真を撮った彼女のことを思い出すのです。

この意味で乾は、自分の芸術上の意思表示を常に自身と外界とをつなぐひとつの伝達手段としています。なぜならば、線を引くということは彼女の個人的行為であり、彼女の身体性や感性を伴うものなのです。したがって、彼女の仕事は常に、彼女が自分の作品のなかへ引き込もうとする、見る者との直接の関係のなかにあるといえるでしょう。

乾久子のトレードマークともなった線の集積は、密に巻かれた線のタマから出ていきます。描線は触手のようにさまざまな方向にのび、それぞれ独自に生きはじめます。池本朱希はカタログの中で、この線を昆虫の触覚にたとえ、それはゆっくりと手探りしながら、繊細に外界に反応しているといい得ています。
線の集積は薄い小片のトレーシングペーパーの作品において顕著です。並び、積み重ねられた紙片が、ひとつの紙に描かれた線と別の紙に描かれた線とのあいだに、新しくありうべき関係を結びます。乾は台座の上や棚のなかにトレーシングペーパーをつみあげたり、本の形状にしたり、壁にピンでとめたりします。

浜松での展覧会『共振する場』は、小さな青い無数のドローイングを大理石の壁にとめていくものでした。黒の接着テープからなる曲線はトレーシングペーパーの上を走り、交わり、それぞれのドローイングを結びつけることで、その壁は空間性を持ったインスタレーションであることが明確になります。その際、作家は時間の観点を問題にしています。

つまり、彼女の思考においては、線は常に過ぎゆく時間をも体現しているのです。線を道のりと読むこともできるでしょう。しかしながら、できごとの流れを止めるピリオドが目だってあらわれることはありません。これに関して、彼女の作品のなかに、グリム兄弟のメルヒェンをドイツ語で長い透明テープに印刷したものがあることは注目に値します。彼女はそれを小さな透明の箱の中に巻いて呈示しています。ひとつのメルヒェンを読もうとするならば、巻かれたテープをいやがおうにもほどかなければなりません。するとそのテープは再び1本の長い線となります。それは、そのテキストを読むために必要とする、ひとつづきの時間について知らせようとする1本の線なのです。

もうひとつ、別の観点もあります。それは、乾久子が最近の東京での展覧会でひとつのステイトメントにあらわしたもので、やはり、ここにあるような白い線の仕事です。けれども、私はそれをどのように表現したらよいのか確信をもてないでいます。というのは、彼女の言葉のなかには情念ともいうものが共振していて、それは、私たち西洋人にとっては冒頭で述べたように、私たちの芸術の文脈のなかでは翻訳することが難しいからです。しかしながら、私はあえて試みようと思います。まさにそれによって、西洋的合理主義とアジア的思考が完全な合致を見ることは不可能であることが明らかになるからです。

乾によれば、世界は、あらゆる物、あらゆる行為、あらゆる人間のなかに見いだすことのできる、無数の小さなカケラで成り立っていて、彼女はそれを出発点にしています。宇宙との精神的なつながりを失ってしまった私たちは、この世界を構成しているカケラたちに目を向けなければいけません。カケラたちは社会的空間の中に漂いながらも、時には再びどこかによりどころを見つけるために集まって形をとりはじめます。彼女のドローイングはそうしたカケラであり、そのカケラを彼女は世界を構成する断片であるとみなしているのです。

ご清聴ありがとうございました。