アスペルガー症候群の身体感覚
乾 哲郎
藤家寛子さんは「雨が痛い」と言う。「傘さしていてもはみ出た部分に雨があたると、1つの毛穴に針が何本も刺さるように痛くありません?」と。ニキ・リンコさんは「私は雨は痛くないですよ。でも扇風機の風は痛いです」と答える。
藤家さんは作家。20代前半でアスペルガー症候群と診断された。ニキさんは翻訳家。30代になってアスペルガー症候群と診断された。アスペルガー症候群というのは、簡単に言うと、自閉症だが言語発達の遅れが見られないもののことである。自閉症は、社会性の障害、コミュニケーションの障害、反復的で常同的な行動で特徴づけられる障害であり、その80%は知的障害を有する。アスペルガー症候群は、知的障害を伴わないものが多い。
対人関係のうまくいかなさ、こだわりの強さなどから、普通とは少し違う言動を示すことが多く、まわりからは変わった人と見られたり、子どもの頃はいじめの対象になったりしやすいアスペルガー症候群の人たちなのだが、どうも身体感覚も違っていたりするらしい。冒頭に示したのがその一例であるが、この例のように、同じアスペルガー症候群でも藤家さんとニキさんとでは違っていたりする。その二人が一致して言うことの1つが「見えないものは、ない」という捉え方である。コタツに入ると「脚がなくなる」と言う。藤家さんは「見えないから、コタツの中の熱いところに脚を押し付けていたのに気づかなくて」「やけどした」と言う。そして、コタツから出る時はコタツ布団をめくって「脚の位置を確かめないと立てない」らしい。
「カクテルパーティー効果」と呼ばれる心理学の知見がある。たくさんの人の声があふれているパーティー会場でも、聞きたい話は結構聞くことができるし、たとえば誰かの話題の中でふと自分の名前が出たりするとちゃんと聞こえたりする。注意を集中していたり、関心のある事柄などは、人間の感覚は、他の雑多なものたちの中から結構拾い上げてくれるものなのである。ところが、自閉症の人たちはこれができないようである。音を全部平板に拾う。誰かと話をしていても、まわりの車の音、コピー機の音、BGMなど、全部同じように拾ってしまうので、感覚を受け止め切れなくなってオーバーフローしてしまうらしい。ニキさんも藤家さんも、サングラスと耳栓装備で街を歩いている。
感覚の鋭敏さ(鈍感さ)の違いは、世界の捉え方の違いにつながり、その違う者同士が理解しあうのはなかなか大変なことだろうなと思う。そして、自閉症の人も、そうでない人も、お互いの感覚にそんな大きな違いがあることをほとんど知らない。となると、ますます相手がわけのわからない人に見えてしまうことだろう。
(いぬい てつろう / 臨床心理士)
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