新井神社大祭(裸祭り)

由来
鎌倉時代。この地に平氏ゆかりの斉藤五郎・六郎という兄弟がいました。

その兄弟の夢枕に現れた水底の神石を、ある日海から引き上げた二人は西の浜に運ぼうとしたが

天候が悪化して霊石を再び海中に落としてしまった。

その118年後の1320年、嵐の中この霊石が龍を呼び西の浜に出現してこの嵐を鎮めました。

それからこの地の漁師が東の山麓よる湧き出る清水を祀ったところ、その後災害もなく大漁が続いたとされ

以来。この地を新井と名付け、神社を建立したという。


西浜の大注連。神輿はここをくぐって再び町内を巡幸します。


新井神社のご神体を移された神輿が、白装束姿の若衆に担がれて町内を練り歩いた後
東浜近くで鹿島踊りが舞われ、供物を乗せて東浜に到着。神輿はふんどし姿の裸の若衆に渡され
陸寒中の海の間を七回、練り回された

この間、若衆や町内の人たちは口に「口紙」をくわえ、言葉を発することを禁じられ、厳粛に執行された。
神輿はこの後、お召し船に乗せられ、綱を解かれて海上に勇壮に乗り出した。
船は約五百メートル離れた西浜に海上渡御し、再び浜と海を練り回された。
神輿は口に「口紙」をくわえたふんどし姿の裸の若衆に担がれ、東の浜を練りまわした。
神輿はお召し船に乗せられ、東の浜を出発約五百メートル離れた西浜に向かいます。


お召し船の中では、警護棒で船底を突付きながら鹿島くどきを唱和しています。
西浜が担当する行事と御船歌の朗唱。

若い衆はお召し船の人達を背負って西浜におろします。
西浜に海上渡御し、再び浜と海を練り回された。

若い衆はお召し船のみこしを受け取ります。


西浜っを練る神輿。ここでは声をだすことを許されます。
寒い様子がわかりますか?
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