お遍路のページ

お遍路は歩く禅でもあり、同行二人とお接待はカウンセリングです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年7月から8月にかけて、かねてから念願の四国八十八カ所お遍路に行ってきました。そこにはまったく日常の生活とは違う時間が流れていました。そしてさまざまな人々との出会いがありました。さまざまな風景の中の自分がいました。

 このページには、「お四国」で体験したさまざまなことを、なるべく役立つ情報を提供したいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(お遍路用品の購入)

 

出かける前にインターネットでも購入できますが、第一番札所霊山寺のその名も「門前」というお店で揃えられます。お寺の中でも販売していますが、「門前」のほうが安くて親切です。遍路用品店は他にも第6番安楽寺、第10番切幡寺などの門前にもあります。

 笠は菅笠より、少し高くても網代笠がおすすめです。大きいので少しぐらいの雨はこれだけで大丈夫です。その際、大きな丈の高いリュックだとつかえてしまいます。

 納札は必需品です。名刺にもなり、お接待を受けたときのお礼として渡すのが礼儀となっています。二百枚で百円です。

 靴は、私はジョギングシューズで行きましたが、第66番雲辺寺近くにある民宿岡田ご主人推薦の「遍路シューズ」(靴のマギー)を、帰ってきてから次回のために購入しました。毎日毎日歩くわけですので、足は大切です。休憩をするたびごとに靴を脱いで少しでも足を汗から守るようにします。こんなに足を愛おしく思ったことはありません。それでもマメはできます。マメがつぶれて、そこにまたマメができました。一度休憩すると、次に歩き出してからの10分くらいの足の痛いことといったらありません。でもやがて痛さの感覚は遠ざかります。マメを作らないコツはきっと、歩幅を小さくすることと急がないことだろうと思います。

地図は、へんろ道保存協力会の「四国遍路ひとり歩き同行二人」、別名「宮崎本」(宮崎建樹さん)が便利です。

連絡先は電話089−952−3820

郵便番号791−8075愛媛県松山市ひばりヶ丘5−15

郵便振替01640−5−34780

定価3500円、送料310円です。

現金は数日分にして、郵便局のカードを持っていくのがベストです。

衣類は速乾性のものが便利です。登山用品店で購入できます。靴下は2枚重ねて履きました。

その他の荷物は必要最小限にします。そのつもりで準備してもそれでもやはり余分なものがあって、現地から宅急便で送り返すことが多いようです。

 

 

 

 

(遍路の実際)

 

発心の道場(阿波の国、徳島県)

 

それでは第1番札所霊山寺に立ちました。本堂へ行ってお参りをします。開経げ(無上甚深微妙法、百千万劫難遭遇、我今見聞得受持、願解如来真実義)、般若心経、御本尊の真言(マントラ、呪文)三返、光明真言三返、回向文を読経します。次に大師堂へお参りし、やはり開経げ、般若心経、御宝号(南無大師遍照金剛)三返、回向文を読経します。納経所へ行って納経します。納経料は300円です。こんなふうにしてお参りします。他にもお経はありますが私はこれだけにしました。はじめは慣れないと気恥ずかしいかもしれませんが、すぐに慣れます。

いよいよ歩き始めます。はじめは国道です。そしてやがて遍路道になります。みちしるべが心強い味方です。脱水症状に気をつけて水分の補給をしっかりしたほうがいいです。第2番極楽寺までは1Kmちょっとです。第3番金泉寺までは3Kmほど。第4番大日寺へは5Km、近所の人が暑い中、掃除をしていました。第5番地蔵寺では手前の五百羅漢に間違えて寄ってしまいました。第6番安楽寺には大きな宿坊があり、その名も温泉山安楽寺といいます。第7番十楽寺の門前にうどん屋があります。なかなかうまいお店です。それから先にお接待所があります。歩いていくと「お遍路さん、休んで行きませんか」と声をかけられます。ありがたく果物や飲み物をいただきました。お接待というのは本当にすばらしい習慣です。歩き遍路にとっては心底励まされるものです。この先、いろいろとお接待を受けさせていただきました。ある時は拝まれてしまいました。遍路は拝む対象、つまり死に装束を身に着けた存在でもあるわけです。第8番熊谷寺は小高いところにあり、ちょっとたいへんです。第9番法輪寺でも近所の人が掃除をしていました。第10番切幡寺はまた小高いところにあり、階段が330段あります。ここでも一人のおばさんが掃除をしていました。こういう心がけというか、奉仕の気持ちのある人が多いようです。これも「お四国」と呼ばれるひとつかもしれません。その手前に遍路用品店と民宿坂本屋があります。

第11番藤井寺からは「遍路ころがし」と呼ばれている山道になります。約5時間、12,9Kmの登山です。食事等はその前に済ませておく方がいいようです。門前にはあったかい芋が飲み物といっしょに売られていました。山道を歩いていて「なんて贅沢な時間を過ごしているんだろう」という思いが湧いてきました。まったく日常の生活から離れた別の時間がそこには流れているような、そんな感じです。第12番焼山寺までのちょうど中間点に番外霊場の柳水庵があります。ここには一晩泊まることをお勧めします。建物は古いけれど、水がおいしいことと素朴な朴訥なおじいさん、そしてなんといってもすばらしいおばあちゃんがいます。さらにお風呂はおじいちゃんが数時間もかけて薪で沸かしてくれた五右衛門風呂に入れます。温泉のようにまろやかなお湯です。また、焼山寺から少し下ったところに杖杉庵があります。ここは遍路の祖と言われる衛門三郎がお大師様にお会いできたところだそうです。

第13番大日寺へは約26Kmあります。その途中、山道に入れば番外霊場建治寺があります。ここでは滝行ができるようです。次回には立ち寄りたいと思っています。13番大日寺から第14番常楽寺、第15番国分寺、第16番観音寺、第17番井戸寺まではそれぞれすぐ近くです。第15番国分寺では歩き遍路だけにお接待をしてくれる人がいます。お接待というのは本当に遍路をしていて力づけてくれる、感動的なすばらしい習慣です。

次の第18番恩山寺へは徳島の市街地を通り抜けます。そして小松島市に入ります。その間約19Km、途中で道を間違えて遠回りしました。第19番立江寺は海のすぐそばのお寺です。ここにもお接待をしている人がいました。ドリンクと手作りの小さいワラジに5円玉を結んだものをいただきました。遍路道の縁があるように、道中が無事であるようにという祈りが込められていると思いました。その先、橋を渡った先に「うさぎ茶屋」というお店があります。スナックでもありますが、食事をさせてくれる親切なお店です。

20番鶴林寺と第21番太龍寺はそれぞれ山上のお寺です。厳しい上り下りが待っています。しかし山上のお寺にはどこか厳かな気品というか、森厳な雰囲気があります。そんな中でしばらく瞑想するのもいいのではないかと思います。太龍寺からの下りにはロープウエーもありますが、歩き遍路に徹したいものです。下り道で黒蛇?に遭遇しました。2匹のうち1匹は向かってきたので思わず逃げました。

22番平等寺へ向かう途中、ヤクルトおばさんから冷えたヤクルトをお接待されました。いつもうれしいありがたいものです。また、平等寺から国道に出たところで八十歳はずっと越えていると思われるお祖母さんから「お参りに使ってください」といって百二十五円いただきました。

次の第二十三番薬王寺までは国道を21Kmほど歩きます。そして発心の道場と言われる阿波の国、徳島県はそこで終わりです。薬王寺は日和佐という、ウミガメの産卵で有名な町にあります。ちょっと高台にあるお寺からは小さな日和佐の町と港が見渡せます。そしてここには「善人宿橋本」があります。ドライブイン、麦飯食堂を経営する橋本さんが古いバスを改造してお遍路の無料宿泊施設にしたものです。私も泊めていただきました。麦飯の夕食も供されました。この晩同宿になった自転車遍路を何年も続け、もうすでに百回以上も回っているという西田さんから、いろいろな情報を教えていただきました。特に通夜堂という、お寺の無料宿泊施設にはその後何回か泊めていただきました。日和佐に千羽ホテルがあり、500円で入浴できます。露天風呂もありいい温泉です。別にユースホステルもあります。

24番最御崎寺までは76Kmの長丁場です。海岸沿いの国道を延々と歩きます。夏の太陽が遠慮なく照りつけます。アスファルトからの照り返しもひどいものです。体感温度は50度もありそうです。水分の補給をするとすぐに汗が体中から噴き出します。

 

修行の道場(土佐の国、高知県)

 

24番最御崎寺までの76Kmの途中に鯖大師(へんろ会館)、東洋大師(明徳寺)などがあります。東洋大師では滝行もさせていただけるようです。お接待所もあって、冷たいお茶などをいただきました。修行の道場、土佐の国の札所はそれぞれが遠いので大変です。だから「修行」なんですけどね。

最御崎寺の登山口の入り口に御蔵洞があります。お大師様がこの洞窟で修行中に明けの明星がお大師様のお口の中に飛び込んできたという有名なお話があります。また最御崎寺の隣には国民宿舎もあります。すぐ下は室戸岬です。

25番津照寺は小さな室津漁港に隣接しています。お寺の若奥さんに交通安全の、夜光の巻き付く小さなベルト状の反射材をお接待していただきました。小さな赤ちゃんがかわいかったです。

26番金剛頂寺はまた小高い山に建っています。そのすぐ下に遍路用品店があります。そして「アイスクリン」という看板があって注文しました。でも小銭の持ち合わせがなく、お釣りもないということでお接待していただいてしまいました。土佐では「アイスクリン」というのだそうです。

次の第27番神峯寺まではまた30Kmの長丁場です。とうとう私の足にもマメができてしまいました。歩き出しの10分の痛いこと。お寺への登山口の入り口にあるドライブイン27に泊まりましたが、このお店のお祖母さんは親切で、荷物だけ預かってもらってお参りしてくることもできます。翌朝には昼食のおにぎりをお接待していただきました。山上のお寺では「土佐の名水」として湧き水をペットボトルで売っていたけれど、柳水庵のほうが軟らかくておいしかったと思います。

次の第28番大日寺まではまたまた38Kmです。途中から海岸沿いにサイクリング道路が並行しているのでそちらを歩きました。太平洋がずーっとどこまでも続いて眺められます。水道と座れるところがあったのでちょっと休憩、30分ほど昼寝をしました。気持ちよかったです。大日寺の近くに善根宿の都築さんの家があります。大日寺から同行することになったFさんは二度目の遍路ということだったし、気を緩めてしまったようで大幅に道を間違えてしまいました。都築さんはお花の農家のようですが、泊めていただきました。同宿は3人。遍路用の部屋が二部屋あります。こちらでは食事もニ食いただき、お風呂も洗濯機、乾燥機も使わせていただきました。ご主人は出稼ぎとかでお留守でしたが、奥さんを中心に年配の男女各3名で7時頃まで仕事をし、7時過ぎに揃って夕食です。その前に真言宗のお勤めがあります。朝食の時も同様です。本格的なお勤めで驚きました。こちらには年に500人くらいの宿泊者があるそうです。すごいことです。こういう宗教が地に着いたというか、実生活の中にしっかりと根付いているというところに感動しました。食事をしながら奥さんがいろいろ質問やお話をされます。こうした善根宿では同宿の遍路といろいろと情報交換や話ができて、そういう点でもいいものです。遍路で知り合ったそういう人たちとは帰ってきてからも連絡をしたりしています。

29番国分寺への途中に無人の接待所があって冷たい麦茶をいただきました。第30番善楽寺は一宮神社と隣り合っています。近くのスーパーでお弁当を買って昼食にしました。第31番竹林寺はちょっとした山のうえにあり、大きなお寺です。ミニ88カ所もありました。門前の茶店で氷あずきを食べました。第32番禅師峯寺への途中、自販機でドリンクを飲んで休んでいたら、お祖母さんが自販機でジュースを買って、お釣りの500円をお接待してくれました。またお寺の手前には池があって蓮が見事に沢山咲いていました。

33番雪渓寺への途中には無料の渡し船があります。雪渓寺は禅の臨済宗です。昭和の名僧として有名な山本玄峰老師のゆかりのお寺です。玄峰老師が若い頃、目が見えなくなり、人生に半ば絶望して裸足行道で遍路をしていてその7回目の途中、この雪渓寺の門前で行き倒れになったところを、時の住職、山本太玄師に助けられ、こちらの通夜堂で静養され、その縁で出家されたということです。私の所属している釈迦牟尼会には森本稚堂老師がおられましたが、昔、玄峰老師の侍者をしていたことがあり、法縁に続くところがあります。通夜堂(板敷き)で泊めていただき、玄峰老師、稚堂老師を偲んで坐禅をさせていただきました。翌朝、もうひと坐り坐禅をしてから納経所にご挨拶に行き、小柄なお祖父さんにお礼と昨夜の坐禅のことなどお話ししたところ、「ちょっと待っていなさい」といって自宅?へ走っていき、陀羅尼助丸という薬を取ってきてくれました。この薬にはその後ずいぶんお世話になりました。

34番種間寺。門前に自販機のセルフスタンドがあってカップうどんを食べました。第35番清滝寺はまた小高いところにあり、景色は日本の昔からの風景のようですばらしい。こちらの水もとてもうまい。近所の人がペットボトルを沢山もって汲みにきていました。こちらでも掃除をして通夜堂に泊めていただきました。新築で、部屋も二つありました。畳ですが寝具はありません。蚊取り線香まで貸していただけました。

36番青龍寺へは大きな宇佐大橋を渡って行きます。また戻ってくるのでその手前で荷物を預かってもらいました。食事もそのあたりでしかできないようです。青龍寺の水も、海辺なのにおいしかったです。

次の第37番岩本寺までは55,5Kmあります。そのはじめの15Kmは横波千里というふうに呼ばれているところで、海岸沿いをうねうねと回っていきます。直線にして橋を架けてくれたらいいのにと思うくらいです。入り江をぐるーっと回ってさっきのところの目と鼻の先にでたりします。この道とは別に横波スカイラインというのもあるようですがもっときつそうです。さらに焼坂トンネルを過ぎてから先には三つの道があります。私は国道56号をそのまま進みましたが、次回には昔ながらの「そえみみずへんろ道」を歩きたいと思っています。遍路の本当の意味はお寺にあるというよりも遍路道に、歩いている中にこそあるというのは実感です。七子峠を越え川沿いの国道を進んでいくと車が止まり、中年のご婦人が車の助手席から降りて私の前にきて拝みます。そして祝儀袋(1000円)をお接待していただきました。その方も昔お遍路をして高野山まで行ったことがあるそうです。拝まれるというのはすごいことです。それからしばらく行くとやっと窪川の町です。そこに岩本寺があります。

つぎはいよいよ四万十川を渡り、足摺岬の先端にある第38番金剛福寺です。そこまで87Kmです。しばらく山あいの道を歩きます。今日も暑い。だんだん遍路生活にも慣れてきたみたいです。人間、どんな環境にも慣れるものだと思います。そして、「遍路とはやはりバカになる修行だ。一歩一歩、ただ一歩。バカになりきる。」そんな思いがしてきました。

そのあと海辺に出ます。遠く室戸岬が見えます。あそこから歩いてきたんだ、ずいぶん歩いてきたもんだと思います。途中にあった伊田簡易郵便局で少しお金を引き出しました。遍路には郵便局が便利です。そこの小母さんに冷えたスイカをお接待してもらいました。おいしかったのはもちろんです。その先にある入野松原の景色は最高です。海に入ったりしてみました。砂浜に立っていると波が打ち寄せてきて足下の砂を洗い流していくのは懐かしいようないい感じです。そこにある水鏡荘という民宿は部屋などが古くてあまり快適とはいえませんがとても安かったです。夕食のあとまた浜へでてみました。夕暮れの浜辺にはもう他にだれもいません。「月の砂漠」が口をついて出てきました。

翌日、四万十川大橋を渡りましたが、次回は渡し船を利用したいと思っています。渡し船の船着き場はちょっと遠回りになり、船の時間ということもあって今回はやめたのですが、四万十川の風情を味わうのはやはり船に限るのではないかと思います。渡ってから少し早いけどこの先食堂もないので、「田子作」といううどん屋で名物という青さうどんを食べました。特別に女将さんが四万十川名物手長エビの唐揚げをお接待してくれました。それからゆで卵は食べ放題です。

この先また少し山の中に入っていきます。そして伊豆田トンネルを通ります。このトンネルというのは便利なわけですが、これほど非人間的というか、非自然的というか、山の土手っ腹に穴をあけてしまうわけですから、ひどいものはないという感じがします。トンネルがなければ山道、峠道を上ったり降りたり、曲がりくねった道を数倍の時間をかけて歩かなければならないわけですが。そしてトラックが通らなければ、熱い日差しもなく、快適かもしれません。しかし、大型トラックが轟音をあげて「そこどけ」とばかり沢山走っています。たしかに歩行者のために作ったものではないのでしょうが、風圧に負けないようにそれこそ命がけです。

途中右手に少し入ったところに真念庵というのがありますが、立ち寄る元気もなくドライブイン水車でかき氷を食べました。ここの公衆トイレは新しく大きくてきれいです。この先川沿いを下ノ加江まで下っていきます。その先はまた海沿いの道になります。

大岐浜は海水浴場です。遍路道も海辺に降りていっています。余裕があれば海水浴をしたいところです。ここの公衆トイレも新しくてきれいで、シャワーまでついていました。このあたりまでは食事のできるところもあったのですが、窪津の町で探しても、ちょうど日曜日ということもあって見つかりません。やっと小さな雑貨屋さんでカップ麺を見つけ、お湯を沸かしてもらって作ってもらいました。そこの小母さんの手作りというところてんもいただきました。そしたらアクエリアスとビスケットをお接待してもらいました。ありがたいものです。

この先は海沿いでも小高い丘の道を行きます。それでもやはり岬を回ってうねうねと曲がりくねっています。途中に神社があり、水道がありました。途中、乳母車を押した周回遍路の小母さんが休んでいました。周回遍路というのは家に戻らずというか、何かの事情でずーっと遍路を続けている人のことです。この小母さんは六十歳代だろうと思いますが、真っ黒に日焼けして、もう三年ほど遍路を続けているそうです。昨夜はドライブイン水車で野宿し、朝早く出発してきたということでバテたそうです。この小母さんは第33番雪渓寺から見かけるようになり、前後して歩いているようです。

やっと第38番金剛福寺です。目の前が足摺岬です。遊歩道があって、展望台や灯台に行ってきました。見渡す限りの太平洋ですが、この足摺岬は自殺の名所ということで、しかも遺体が上がらないこともあるそうです。金剛福寺は別名補陀洛院ということで、昔は補陀洛渡海、僧侶が海の彼方にあると信仰した理想郷、極楽を目指して小さな舟で船出したところでもあります。そんな思いもされました。

この先は、下ノ加江までそのまま戻る道と、土佐清水市に回って下ノ加江に戻る道と、土佐清水市からそのまま海沿いを北へ行く道とに分かれます。一番楽なのはそのまま戻る道です。そして下ノ加江から山の中に入り、三原村を通ります。三原村NPO遍路休憩所がありました。つい最近立ち上げたばかりだと言うことです。このあたりは食事のできるところが少ないので要注意です。ファミリーストアすぎもとでまたお湯を沸かしてもらってカップ麺を食べました。しばらく歩いて酒屋さんの店の自販機でドリンクを飲んでいると、お店の小母さんがみかんと地元新発売「ゆずごっくん」をお接待してくれました。次の第39番延光寺まではもう少し、行程は55Kmです。

延光寺は修行の道場、高知県の最後の札所です。私はまた通夜堂に泊めていただきました。通夜堂で休んでいると、前夜民宿で同宿になり、一日相前後しながら歩いたNさんが民宿へんくつというところに泊まったのですが、私を呼びに来て、お風呂と食事をいただいてしまいました。民宿へんくつはしかし、少しも偏屈ではなく、親切なご主人夫婦でした。ちょうどご主人の友人が伊勢エビを捕ってきてくれたということで、みそ汁は豪勢なものになりました。歩き遍路は五百円安いという看板を出しているところは、歩き遍路へのお接待なのでしょう。また翌朝会った遍路はすぐ近くのアサヒ健康ランドに泊まったそうです。そこは五百円とちょっとプラスで泊まれるそうです。

 

菩提の道場(伊予の国、愛媛県)

 

松尾峠を越えて愛媛県に入りました。第40番観自在寺までは30Kmです。きょうもNさんと相前後しながら歩きました。観自在寺に向かって右の門柱に「大師値遇」左の門柱に「随縁往来」とあったのが印象的です。私はここでも通夜堂に泊めていただきました。

次の第41番龍光寺までは48Km。途中悪名高い松尾トンネルがあります。トンネルの全長1,7Km、約30分、大型トラックの排気ガス、風圧に圧倒されながらの歩きです。宇和島市内に入り、市内を抜けるあたりにクワライフ宇和島クワホテルがあります。ここで一泊がお勧めです。疲れがとれます。 

龍光寺から第42番佛木寺までは3Km.久しぶりにすぐ近くです。その次の第43番明石寺までは11Km。距離は短いけれど歯長峠越えです。明石寺の門前には遍路用品店「常楽苑」があり、冷たい麦茶は無料です。

次の第44番太宝寺までは70Km。まずは国道56号をひたすら歩きます。途中に番外札所十夜ケ橋があります。昔、お大師様がこの橋の下に泊まり、あまりの寒さに一夜が十夜にも感じられたということです。お遍路は橋を渡るときには杖をつかないというのは、橋の下に御大師様が泊まられたというところからきているようです。ドライブインルート56というところで昼食をとりました。テレビでは高校野球がやっていました。こちらのご主人もお遍路をしたことがあるということで、ドリンクをお接待してくれました。

内子町に入ると町並みが昔風で評判です。内子座という昔風の演舞場もあるようです。また、作家大江健三郎の生家もあるということです。このあたりから山あいの道になります。そして、トンネルを抜けると左手にお遍路無料宿の宮田さんの小屋があります。宮田さんは梨農園を経営しているようです。梨をいただきました。私はもう少し先の千人宿記念大師堂という山本商店のお接待所に泊めていただきました。ここはお堂を宿泊できるようにしてあります。ご当主は山本宗清さんですが、先代のお父さんの代からお接待所をやっておられるということです。すぐ下の川で体を洗うといいと言われて、童心に帰って川で水浴びをしました。

「つもりちがい十ヵ条」という額が掛かっていました。おもしろいので紹介します。

1 高いつもりで低いのが教養

2 低いつもりで高いのが気位

3 深いつもりで浅いのが知識

4 浅いつもりで深いのが欲望

5 厚いつもりで薄いのが人情

6 薄いつもりで厚いのが面皮

7 強いつもりで弱いのが根情

8 弱いつもりで強いのが自我

9 多いつもりで少ないのが分別

10少ないつもりで多いのが無駄

翌日も山あいの道をひたすら歩きます。小田町に入ったところで道は二手に分かれます。峠越えの山道と国道380号です。山道には店がないようです。私は国道を選びました。小田町の日の出ストアでパンを買って昼食にしました。ここから先にはしばらく店もありません。国道とはいっても山あいのくねくねしと曲がった上り坂の続く道で、やっと新真弓トンネルを過ぎると下り坂になります。ここからは久万町です。川沿いの道を下っていきます。やっと国道33号にぶつかります。ここを左折したところに「いこいの水」がこんこんと湧き出していました。しばらく行くと久万町、ちょっと大きな町です。民宿も数軒あります。

少し小高いところに第44番太宝寺があります。門前のおみやげ屋さんで冷たいものをお接待していました。ここから山あいの道を9Km上っていくと第45番岩屋寺があります。途中に国民宿舎古岩屋荘があります。岩屋寺は奇岩の上に立つ珍しいお寺です。急な階段をかなり上ります。ここから久万町まで戻ります。

国道33号を進みます。三坂峠で車道と別れ山道に入ります。急な山道をどんどん下っていきます。途中に網掛石大師堂があり休憩所があります。このあたりはもう松山市です。やがて第46番浄瑠璃寺です。岩屋寺からは27Kmです。門前に長珍屋という大きな民宿があります。歩き遍路に親切だそうです。次の第47番八坂寺までは1Km、すぐそばです。

次の第48番西林寺までは4,5Km、途中に札始大師堂があります。遍路の始祖、衛門三郎が遍路札を始めたところだそうです。次の第49番浄土寺までは3Km,松山の市街地を歩きます。途中で車をわざわざ止めて、助手席から降りてきた小母さんから梨を1つお接待してもらいました。その次の第50番繁多寺までは1,6Km、少し小高いところにあります。門前には浄水場があります。繁多寺には歩き遍路にお接待している小母さんがいました。150円いただきました。

次の第51番石手寺までは2,5Km。石手寺は大きなお寺です。門前には常設の市場ができています。仲見世のようです。こちらの通夜堂に泊めていただきました。今までとは全く違い、古くて大きなホールのようなステージ付きの大部屋です。ここに住み着いている人が仕切りを作って一角を占めています。お風呂は15分ほど歩いて道後温泉に行きました。道後温泉はとても混んでいて、漱石のことなどを連想して感慨にふけるというようなことはできませんでした。

翌朝はまた松山の市街地を10Kmほど歩いて第52番太山寺へ。太山寺は郊外の小高いところにあって、上り坂が結構大変です。元気のいいお祖父さんが掃除をしていました。もう十年以上、雨の日も風の日も休まずに掃除に来ていて、そして夜には焼酎を欠かさずに飲んでいるそうです。次の第53番円明寺までは2,3Kmです。二度目という逆打ちのお遍路さんに会いました。

円明寺を出発してしばらく歩くと瀬戸内海に出ました。今まで見てきた太平洋とはまた違った、箱庭のような穏やかな海です。そこに喫茶トレインという、電車を改造したお店があって、ちょっと早い昼食をモーニングサービスで食べました。サービスの昆布茶もうまかったです。次の第54番延命寺までは34,5Km、今度はずーっと瀬戸内海を左手に見ながら歩きます。途中には海水浴場や鹿島という島があったりして、遊覧船なども出てのどかな感じです。

延命寺はもう今治市で、門前には近見次郎坊という遍路用品店兼無料休憩所があります。次の第55番南光坊までは3,5Km。南光坊は今治の中心街にあります。次の第56番泰山寺までは3Km。門前にお遍路さんが座って物乞いをしていました。嫌な言い方ですが、噂に聞いていた乞食遍路です。このあとこういう人たちを時々見かけるようになりました。愛媛県から香川県にかけての札所は割合間隔が狭くて、その間を行ったり来たりして物乞いをして暮らしているということです。阪神大震災で被害にあった人たちもいるそうです。

次の第57番栄福寺まではまた3Km。もう郊外になります。第58番仙遊寺までは2,5Kmですが山道です。急な登りの途中に弘法大師御加持水があります。冷たくておいしい湧き水です。仙遊寺は古くて大きなお寺です。昔の人は山の上までよく建築資材を運んだものだと感心してしまいます。

次は第59番国分寺、6,7Kmです。門前に五九楽館というタオルを主に販売しているお店があって、若い主人が愛想よくお接待しています。私もハンドタオルとアイスをいただきました。国分寺から10Kmほど歩くと番外霊場光明寺があり、そこに通夜堂があって泊めていただきました。その近くに明神湯という銭湯があってとてもいいお風呂です。温泉かと思って、隣の酒屋さんが管理しているので聞いてみると、地下水を汲み上げて沸かしているということでした。この酒屋の娘さんに翌日のお弁当をお接待していただきました。二重の虹が空にかかっていました。

次の第60番横峰寺はその名も石鎚山、険しい山上のお寺です。国分寺からは28Kmあります。丹原で道を間違えてしまい、大幅に遠回りしてしまいました。このあたりには番外霊場がたくさんあって、みちしるべがそちらにもついていたことにもよりますが、やはり地図をしっかり読まないといけません。登山口には湧き水があって、地元の人たちが車で水をくみに来ていました。山道を登っているとものすごい勢いで登ってくるお遍路さんに追い越されました。あとで聞いてみたら、地元の小父さんが若い頃には1時間で登ったというので挑戦してみたということでした。そのお遍路さんは初めてなのに逆打ちで、石手寺から始めたので、あともう少しだということでした。    横峰寺の休憩所でお弁当を食べていると、急に雨が降ってきました。30分くらいで雨がやんで出発しました。今度はだらだらと続く尾根道を9,3Kmほど下っていきます。麓のあたりに第61番香園寺の奥の院があります。ここでは滝行などもできるようです。ここからは舗装された道を下っていきます。やがて町中に出て香園寺です。このお寺はコンクリートで造られていて、まるでお寺とは思えない現代的な美術館のような外観です。本堂や大師堂も二階に設置されています。

次の第62番宝寿寺へは1,5Kmで、すぐ近くです。その次の第63番吉祥寺へもまた1,5Kmです。この二つのお寺は小さくてこぢんまりとした感じです。ここを出発してしばらくすると急に雲行きがあやしくなって、雷が鳴り出し、すぐに大雨が降り出しました。すぐ横にあった歯科医院の自転車置き場に飛び込むようにして避難しました。15分ほどでやや小降りになったので出発しましたが、すぐまた大雨になり、今度はまたすぐ横の建設会社の木造の古い駐車場に飛び込みました。そこでまた15分ほど雨やみを待っていました。

第64番前神寺へは3,3Kmです。ここは大きなお寺です。石鎚修験道の根本道場でもあるようです。隣には石鎚神社もあります。門前には石鎚温泉があって、現代的な日帰り入浴もでき、宿泊もできる施設です。ただしきょうはお盆で満員でした。その近くの、こちらは古い湯の谷温泉も満員でした。

次の第65番三角寺までは45Km。またまた長い距離です。伊予三島の町を過ぎるところからまた山に入っていきます。しかし道は舗装されています。ずいぶん急な登りをたどってようやく到着です。ここの下りは二つの道があってどちらも同じような感じなので、門前の長野商店のおじさんに聞いて、お店もあるというほうの道に下りました。

 

涅槃の道場(讃岐の国、香川県)

 

三角寺を出るとすぐに県境で、いよいよ涅槃の道場、讃岐の国に入ります。国道まで下ったところに番外霊場常福寺、別名椿堂があります。その先の小さな商店でカップ麺を食べました。このお店の小母さんも親切でした。テレビでは高校野球をやっていました。今年は四国の高校が強くて地元の川之江高校も躍進していました。このあたりだけは徳島県になっています。さらに進んで一件宿の民宿岡田に泊まりました。ここの小父さんも親切です。奥さんが昨年亡くなったそうで、今はひとりで遍路宿をやっているそうです。いろいろと遍路の話などを聞きました。同宿は他に三人いました。

翌朝小父さんは、姿の見えなくなるまで見送っていてくれました。道はまた山登りです。急な登山道を汗を吹き出しながら登りましたが、これが間違いでした。第66番雲辺寺(三角寺から20,3Km)の近くになってアブの大群が汗のにおいに集まってきて攻撃してきたのです。後で聞くと、その日一番の人が一番危険だと言うことでした。まさにそれです。半分走りながら、両手で払いながら、必死になってお寺まで駆け込みました。ここには車でもロープウエイでも来られるわけですが、汗をかいていなければアブは寄ってこないようです。

汗が引くとさすがにひんやりとしてきました。標高は900Mほどあります。下りはよく手入れのされた歩きやすい尾根道です。次の第67番大興寺までは9,8Kmです。大興寺に着くすぐ手前で行者姿のお遍路さんと道連れになりました。なんと同じ富士宮からきているということでした。修行のこと、滝行のことなどを聞きました。昨夜はロープウエイの駅で野宿だったそうです。

また8,7Km歩いて、隣同士にある第68番神恵院、第69番観音寺へ行きます。ここはもう海辺の町です。暑いので氷を食べようとしたらお接待していただきました。お寺の境内にはいろいろなお店も出ています。納札が残り少なくなってきたので買いました。

今度は川を挟んで戻るような方向へ、第70番本山寺へ向かいます。距離は4,7Kmです。本山寺には四国のお寺には珍しく五重塔があって、遠くのほうからそれとわかります。五重塔は八十八カ所のお寺のうちでここと善通寺の二か寺だけにあるそうです。落ち着いた雰囲気の感じのいいお寺です。しばらく座ってお寺の雰囲気に浸っていました。

次の第71番弥谷寺へは12,2Km、また国道を歩きます。途中に左折で「ふれあいパークみの」という道路標識があります。それに従って行けばよかったのですが大幅に遠回りしてしまいました。弥谷寺は岸壁に張り付くように建てられた、死の匂いの濃いお寺です。急な石段を登ります。

ここを出ると昔ながらの遍路道を通ってまた国道に出ます。次は第73番出釈迦寺へ行きます。ここだけ第72番曼陀羅寺と順序を逆にした方が便利です。距離はそれぞれ3,9Kmと0,4Kmです。出釈迦寺からは我拝師山が間近に見えます。御大師様が七歳の時、断崖から身を投げ、釈迦如来と天女が現れて御大師様を抱き留めて「一生成仏」を告げられたという伝説が残っています。捨身ケ嶽禅定と呼ばれています。ちょっとした登山になるので今回は見送り、次回には行きたいと思っています。曼陀羅寺の近くには西行庵もあります。西行が崇徳上皇の霊を弔うためにここに滞在して曼陀羅寺へ通ったと言うことです。

次は第74番甲山寺です。距離は3,8Kmです。その次がいよいよ第75番善通寺です。善通寺は御大師様のご生誕の地とされているところでとても大きな、そしてとてもにぎわっているお寺です。境内は市のようなところもあります。中程には道路も通っていて、たくさんのお店があります。大師堂の裏手にある大きな駐車場にもいくつかのお店があって、その中の小さな讃岐うどん専門店「大師うどん」でうどんを食べました。安くておいしいうどんでした。その後、境内に戻って五重塔の木陰のベンチで御大師様のご生誕の地に思いをはせてしばし瞑想です。

次の第76番金倉寺までは3,8Kmです。金倉寺の近くにとてもちいさなうどん屋があって、昔ながらの讃岐うどんを売っていましたが、きょうはもう売り切れでした。それからこのお寺にもミニ八十八カ所が設置されていました。

このお寺の近くに「善根宿まんだら」があります。会社の敷地内に宿泊できる施設が作られています。社長の十川さんの熱意で作られたものです。こちらのことはインターネットでも有名になっています。この日はこちらで泊めていただきました。同宿は他に三人。しばらく滞在しているような僧侶のSHさん、SHさんは北海道にお寺があって、遍路は歩きで六十回ほど、その他で合わせて百回を越えるという強者です。ここに二泊目で遍路のフィールドワークを研究しているという神奈川大学大学院生のMSさん。そして岡山の司法書士のM I君。またこの日は八月十七日で私の誕生日だったので、夕食の帰りにCCレモンのペットボトルを買ってきて、誕生会をやってもらいました。(ここはアルコール類禁止です。)珍しく夜十一時ころまでいろいろな話で盛り上がりました。とくにHさんの武勇伝はすごかったです。そしてSHさんは仏画も描いていて、とくに私に(私の守り本尊は阿弥陀様だそうです)、阿弥陀様の絵をくれました。すばらしい線描画です。御大師様ご生誕の地で、このようなめったにない誕生日になりました。みなさんありがとうございました。

翌朝は普通に5時頃起きて、6時頃には出発しました。第77番道隆寺へは3,9Km、中学生たちが先生らしい人に連れられて掃除をしていました。そのあとは丸亀の市街地を通り抜けて7,1Km離れた第78番郷照寺へ向かいます。郷照寺は庭園がなかなか見事です。本堂ではちょうど法事をやっているところでした。その次は坂出の商店街を通り抜けて、6,3Kmで第79番高照院です。門前に八十場の霊泉が湧き出しています。その霊泉を使ってところてんを作っている茶店があります。この高照院は天皇寺ともいい、崇徳上皇の慰霊のために建立されたお寺です。崇徳上皇はこの地で亡くなったようですが、上皇に関わるお寺は多く、その怨霊のすごさと当時の宮廷のうろたえぶりも想像されます。崇徳上皇のことについては辻邦生の『西行花伝』という小説に詳しく載っているのでおすすめです。境内では二人のお遍路姿の人が鉢をささげて乞食をしていました。

次は第80番国分寺です。距離は6,8Kmです。古い、落ち着いた感じのお寺です。本堂の中に遍路用品などの売店がありました。このあとは山道に入ります。地図には「へんろころがし」とあってたしかに急な登りですがそれほどではありませんでした。自動車道へ出て左へ行き、また遍路道を歩いて第81番白峰寺まで6,7Kmです。この白峰寺も崇徳上皇の慰霊のお寺です。山上の大きなお寺です。同じ遍路道を戻って4,7Kmで第82番根香寺です。五色台という風光明媚な山上のお寺です。ここから下る道が二つあります。私は自動車道をずんずん下りました。途中から見える景色はなかなかのものです。

山を下るともう高松市です。高松市の西側を南に進む感じです。途中、古い遍路道をジグザグに歩きます。そして新しく工事をしている国道11号を突っ切ります。やがて13,3Km歩いて第83番一宮寺です。一宮というのは隣の田村神社の通称のようです。ここから高松市の中心街まで歩き、この日はビジネスホテルパルコ(4000円)に泊まりました。

翌朝は高松の市街地を通り抜け、第84番屋島寺まで14,7Kmです。屋島の山上の大きなお寺です。源平の合戦の後がしのばれます。急な遍路道を下って車道に出て、次の第85番八栗寺へ向かいます。距離は7,2Km、登り口にはケーブルカーもありましたが、もちろん歩きます。登り始めたところに茶店があって、話し好きな小母さんに呼び止められて、よもぎ餅と麦茶をお接待していただきました。屋島はその名の通り山上は屋根のように平ですが、ここは五剣山というように険しい山です。

山を一気に下り、次の第86番志度寺へ向かいます。距離は7,6Kmです。志度町は海沿いの町で、また琴電の終着駅になっています。志度寺は海女の伝説を伝える古いお寺です。

そのあと、道の左手に中華のお店があってお昼を食べました。ランチセット550円(天津飯と水餃子)でした。食後にバナナとポカリスウェットをお接待していただきました。またしばらく歩いていくと、左手にあった桃の販売店から小柄な女の子が出てきて、「桃のアイスをお接待させてください」というのでありがたくいただきました。するとすぐにその子は英語の勉強を始めるので、聞いてみると高校1年生で、アルバイトしながら勉強しているということでした。お店の主人から、歩き遍路が来たらお接待するように言われているということでした。

次の第87番長尾寺までは7Kmです。道の途中にあった番外霊場玉泉寺にもお参りさせていただきました。長尾寺も古い感じのお寺です。境内には「お休み処」があります。冷たいものなど無料です。

いよいよ第88番大窪寺、結願のお寺です。距離は15,6Kmですが、道は二つあります。私は迷わずに女体山越えを選びました。山越えといってもずっと舗装された車道を登っていって、いわゆる急な山道は最後の30分くらいで山頂に着きました。讃岐平野から瀬戸内海、屋島、高松市街などなどが見渡されます。遍路道の設定はうまくできていると思います。しばらく景色を堪能して、少し下ると大窪寺です。これで88カ所すべて回ったわけですが、なんだかまだそういう感じはしませんでした。第1番霊山寺へ戻るつもりだったからのようです。

まず第10番切幡寺をめざしてさらに歩きます。距離は19,3Kmです。はじめは急な下りですが、そのあとは延々とゆるやかな下り道で、快調に歩きましたが、これがどうも翌日に響いたようです。見覚えのある切幡寺の門前の角まで来たとき、思わずガッツポーズが出てしまいました。この遍路の1泊目に泊まった民宿坂本屋にまた泊まりました。

第1番霊山寺を目指して21Kmの国道歩きです。はじめは普通に歩けましたが、後半の10Kmになって、急に足が前に出なくなってしまいました。昨日の下りのせいなのか、ひょっとして御大師様の「まだ修行が足りないから、このまま遍路を続けるように」という示唆なのかなどと思っていましたが、それでもとにかく歩幅も小さくし、ペースもずいぶん落としてなんとかやっとの思いで霊山寺にたどり着きました。

本堂で読経しているときはなんでもなかったのですが、大師堂に回って読経を始めると、なんだか急に、無性にというか、感極まったような感じになってしまいました。達成感というのもあったかもしれませんが、それよりも御大師様に導いていただいた、歩かせていただいた、ありがたい、そんな感じだったと思います。