指定年月日  平成11年12月2日 (文部省告示198号)

 昭和8年から12年にかけて建設された、眠雲閣落合樓の@玄関棟、A本館、B眠雲亭、C紫檀宴会場、D配膳室階段棟の五棟の建物を概観すると、いずれも建築技術の水準が高く、優れた品質の材料が入手可能であった昭和初期の時代性を、建物のすみずみから感じることができる。
 特に、伊豆半島の中央部に位置する天城湯ヶ島町には、豊富で良質な温泉を楽しむ多くの湯治客をはじめ、創作活動に専念する文人墨客達が逗留することも多く、これらの人々を迎える施設としての旅館建築は、洗練されたものが数多く建てられたものと推察される。
 そのような経験を充分に積んだであろう近在の棟梁が、渾身を込めて建築に携わった眠雲閣落合樓の各建物は、眠雲亭に代表されるように、優れた意匠感覚とこれを形にする技術の高さが随所に満ち溢れた代表例である。
                    飯 塚 雅 也
                (町文化財保護委員長)

眠雲閣落合樓の概要
玄関棟 昭和 8年建造
木造平屋建、瓦葺
面積 80u

漆喰塗り壁、彫刻欄間
本館 昭和8〜10年建造
木造二階建、銅板葺

面積 356u

黒柿、紫檀の銘木奇木を充て、黒漆塗り
眠雲亭 昭和8〜12年建造
木造二階建、瓦葺
面積 215u

杉磨き丸太、銅版の彫刻欄間
紫 檀 宴会場 昭和8〜12年建造
木造二階建、瓦葺
面積 378u

108畳の大広間、床柱に紫檀の出節の2本の柱、框
配膳室階段棟 昭和8〜12年建造
木造二階建、瓦葺
面積  73u


付属建物ながら高い建築技術と良質な材料
 川端康成の随筆 「湯ヶ島の思い出」 に、 「私は落合楼の庭を通りぬけてみたり、前の釣橋から二階を仰いでみたりして、秋や冬だと、私の宿ではあまり見られない都会の若い女、女に限らず男でもが、廊下を歩いたり庭にたたずんだりしてゐるのが見えると、心安らいで自分の宿に帰るのである。」 と記している。
 この落合楼は、明治7年に足立三敏氏が本谷川と猫越川が合流し狩野川の起点となる当地に温泉旅館を営み 「眠雲樓」 と称したのが 「眠雲閣落合樓」 の始まりであるといわれる。
 明治14年には、逗留中の山岡鉄舟が庭内で川の合流する様を見て川の落ち合う地に建つ旅館、 「落合樓」と命名したと伝えられている。
 この落谷楼には多くの文人・墨客・知名人が訪れている。特に明治の元勲達は、天城山御料地での狩猟の際に宿泊、穂積忠、北原白秋は 「湯ヶ島節」 「渓流唱」 を生み出している。