指定年月日  平成13年6月15日 (文部科学省告示303号)

 伊豆半島のほぼ中央にある天城山隧道は、明治33年に起工、同37年に落成した。三島と下田を結び伊豆半島を縦断する下田街道の改良工事の一環として造られた。全長約445.5b、幅員約4.1b、隧道の両端には石造坑門が設けられている。隧道内壁と坑門はすべて「右巻」と呼ばれる切り石を積み上げる工法で造られており、石材加工に発揮された精巧な技術が認められた。
 明治期においても総石造りの隧道は珍しく、全長が500bに迫る規模も最大級。明治時代後期(3、40年代)を代表する石造りの道路隧道として評価が高い。
 国の重要文化財ではこれまで、群馬県の碓氷峠で隧道を含む鉄道施設が指定を受けているが、道路隧道単体の指定はなかった。天城山隧道は、川端康成のほか井上靖の「しろばんば」や松本清張の「天城越え」などにも描かれ全国的な知名度が高い。
 新緑の春、紅葉の秋を中心に、年間を通して多くの観光客やハイカーの人気を集めています。

天城山隧道の概要
位置 国道414号東側の旧国道  天城湯ヶ島町湯ヶ島〜河津梨本の町境を結ぶ (踊り子歩道)
標高  708m
延長  445.5m
幅員    4.1m
有効高    3.15m
着工 1900年(明治33年)
貫通 1901年(明治34年)
開通 1904年(明治37年)
構造 切り石巻工法
総工費 103,016円
使用石 吉田石 (大仁町)
犠牲者  12人
指定 日本の道100選
    (1986年 8月)
登録有形文化財
    (1998年)
 天城山周辺には三嶋大社から下田市までを結ぶ下田街道が残されています。この街道はもともと、奈良の都に税を運ぶために作られた道でした。
 江戸時代に入ると天城峠を越えるために古峠、新山峠、中間業越えなどいくつかのルートができ、文政2年(1819)には、梨本村の名主板垣仙蔵が二本杉越えを完成させて、道の短縮化を図りました。そしてこの道はやがて、黒船来航と下田開港にともなって頻繁に利用され、明治になると多くの文人墨客も辿るなど、歴史にその名をとどめることになりました。