冷や汁


 狩猟・採取から農耕へと、人々の暮らしが変わって数千年。生きるために食う生活から、食うために生きる時代を経て現在の食生活がある。先祖代々受け継がれてきたふるさとに伝わる食べ物。そこには、栄養価の高い旬の食材を利用して、季節ごとの体調を整える先人たちの知恵が見られる。夏、食が細くなる時期に、冷たい汁をご飯にぶっかけて食べる冷や汁を全国から集めてみた。
 冷や汁は北海道を除く全国各地に残っている。かつて農村でも漁村でも、米だけでは一家の食事をまかないきれず、普段は麦を主食にしていた時代があった。冷や汁が各地に登場するのは、その頃のこと。
 炊きたての麦飯はなんとか食べられるが、冷めるとボロボロでのどを通らない。そこで白湯やお茶などをかけて食べていたが、猛暑が襲う夏場になると食欲が減退するために、なおいっそう食べづらくなる。これを解消するために考え出されたのが冷や汁。期せずして全国で誕生。
 味噌で味を付け、魚や野菜などを加えることで栄養的にも優れた食べ物になる。農村と漁村によって違いはあるが、共に共通しているのはキュウリを入れること。ゴマも多くの地区で用いられている。これに日本のハーブとも言っていいシソの葉、ネギ、ミョウガなどが薬味として使われる。





【生魚系】
グルクヌ水なます(沖縄県全域)
 グルクンとは暖かい海で獲れるアジの仲間のタカサゴ科の魚(クマザサハナムロ)。鱗を取り、3枚におろして小さく切り、味噌を加えて冷水を注ぎ、ナーベラー(成熟前のヘチマ)のスライスを入れてかき混ぜる。これに薬味として、みじん切りにした小ネギ、ゴマを入れる。各家庭によって違うが、少量の酢を加えると食べやすくなる。うま味をなくさないために皮付きのまま使うのがミソ。二日酔い解消の妙薬ともいわれている。千葉県房総地方の水なますは、イサキを使う。

魚さつま(兵庫県淡路地方)
 ベラ、トラハゼ、アカシタなど、商品価値の低い雑魚を使って作られる。いずれも白身の魚。三枚におろして皮を剥ぎ、たたき状に刻んだところに直火で表面を焦がした焼き味噌を加え、すり鉢に入れてすり、生卵と冷ましたイリコの出汁を注いでよく混ぜる。薬味は好みに応じて小ネギを刻んだもの、シソの葉などを使う。特産品のタマネギを千切りにして入れる家庭もある。使う魚は捕れたての鮮度のいいものでないとくさみがあって、おいしくない。


【焼き魚系】
ひぼかし冷や汁(鹿児島県南薩摩地方の海辺)
 「ひぼかし」とは魚を薪の残り火などであぶったあと乾燥させた保存食。魚は商品価値の低い雑魚。手で魚の身をほぐし、すり鉢であたって細かくしたところに味噌を加え、サンショウの葉を入れてさらに細かくする。サンショウの葉の原型がなくなったところに水を注いで溶かす。薬味は、好みに応じてネギなどを使うが、サンショウの葉が新芽の頃は葉を浮かす。「ひぼかし」がない場合には、カツオのなまり節、あるいは削り節を使う場合もある。

豆腐冷や汁(宮崎県の平野部)
 あぶったアジ、あるいは「ひぼかし」と同じようにあぶって保存しておいた魚の身をほぐし、すり鉢で細かくしたところに味噌とゴマを入れて、よくする。これに冷まし湯を注いで溶かす。豆腐は、すり鉢であたる家庭もあるし、さいの目状に切るか、手で握りつぶすようにして細かく砕いて入れる家もある。必ず入れるのが、キュウリのスライス。薬味は好みに応じて、ネブカ(ネギ)、シソの葉の千切り。夏に産卵のために沿岸にやって来るトビウオを使う場合もある。

スルメ冷や汁(佐賀県玄界灘沿岸)
 ホリを焼いて身をほぐす。ホリとは方言でベラのこと。これに味噌を加えてすり鉢でよくあたる。水で溶いた後、軽くあぶって割いたスルメ、スライスしたキュウリ、刻んだシソの葉を入れていただく。昔は、つくりおきして入れ物ごと井戸に吊るして浸けておき、スルメを軟らかくしてから食べた。こうすると出汁も出るし、冷たくなって一石二鳥だった。今は、あらかじめスルメをあぶって割き、水に浸して冷蔵庫に一晩入れておき、これを注ぐようになった。

川魚冷や汁(高知県四万十川流域)
 鮮度の落ちやすい川魚は、獲ったらすぐに内臓を出して串に刺してあぶり、ほて(べんけいとも呼ばれる)と呼ばれる藁を束ねてつくったものに刺して保存しておく。使う前に軽くあぶり、ほぐした身と味噌、煎りゴマをすり鉢であたる。これに水を注いで溶かし、薬味のネギ、シソの葉を加えていただく。使う魚はハヤが多いが、アユの獲れる時期には、どの家でもアユを使う。この場合には、焼きアイの冷や汁という。ウナギを使う家庭もあるが、こちらは高級品。めったに食べられない。


【煮干し、カツオだし系】
じゃこぼっかけ(高知県西部山間地)
 「ぼっかけ」とは、ぶっかけること。食べ方からきている冷や汁の別名。じゃことは雑魚のことで、煮干し、アジ干し、あるいは川魚など、小魚なども含めてみなそう呼ぶ。ネギ、ゴボウ、じゃこなどを細かく刻み、そこに味噌を加えて冷水を注ぎ、かき混ぜていただく。あるいは、ネギやゴボウなどの野菜と味噌だけを使い、じゃこからとった出汁を注いで溶いたものも同様に呼んでいる。薬味は、シソの葉やとくさんひんのミョウガの千切りなど。

しら汁(山形県村山地方)
 冷たい水に花ガツオ、あるいは削り節を入れ、味噌を溶かしただけのシンプルな冷や汁。白粥、白湯などと同様、漢字で書くと白汁だろうか。薬味は好みに応じて、ネギ、シソの葉など。岩手県奥羽山系の村々には、小さくちぎったなまり節をつかうキュウリ汁がある。そのキュウリも、スライスしてそのままの場合と、塩もみをする場合と家によって様々。山菜のミズの茎をたたき、納豆のように粘りを出したものを入れる家庭もある。この場合はミズの冷や汁と呼ぶ。


【野菜系】
梅冷や汁(鹿児島県・宮崎県の霧島山麓周辺)
 種を取った梅干と味噌をすり鉢に入れ、よくすったところに冷たい井戸水を注いで溶かし、スライスしたキュウリを入れる。薬味は好みに応じてシソの葉など。熊本県阿蘇地方では、スライスしたキュウリを塩もみして入れ、加える水も、あらかじめ煮干やカツオ節でとった出汁を冷やしたものを用いる家庭もある。福岡県筑紫平野一帯では、ゴマ、サンショウの葉を一緒にすり込む。水は冷水。薬味にニラを使う家庭もある。どちらもキュウリの冷や汁。


麦味噌和え(香川県讃岐平野一帯)
 支柱を立てずに栽培する地生えキュウリの酢の物に麦味噌を加え、冷水を注いだだけの簡単な冷や汁。家庭によってはこれに、煮干を細かく手で割いて入れるケースもある。麦味噌和えの名が示すとおり、水を注がないでそのまま食べることもあるが、おおかたの家では汁にする。また、名物の讃岐うどんをこれに入れたり、つけて食べる場合もある。最近では皮の柔らかい地生えキュウリを栽培する家が少なくなったので、皮を剥いでから用いる家庭が多くなっている。


とろろ汁(静岡県丸子宿)
 東海道五十三次の宿場町として栄えた丸子宿では、古くからとろろ汁が名物として知られている。これも冷や汁の系統と考えられる。いまでも、とろろ汁には麦入りのご飯を用いるが、これは白米がふだん食べられなかった時代の名残。とろろを汁にするのは、食べづらい麦ご飯をおいしく食べるための工夫だった。粘り気の強いとろろを延ばして汁状にするには、いまでも味噌汁を使う。この味噌汁もそのまま加えるのではなく上澄みだけ。現代では味噌の調合も凝っている。


じゅうねん味噌冷や汁(宮城県南部)
 「じゅうねん」とはエゴマのこと。ゴマより油分が多く、かつては合羽や唐傘に塗って防水に用いた。このエゴマと味噌を合わせ、すり鉢ですって冷水で溶き、皮引きで引いたキュウリを入れた。家のよってはキュウリの汁も余さず使う。栃木県両毛地方のキュウリの冷や汁は、味噌、砂糖、ゴマを使う。新潟県古志・岩舟地方のキュウリの冷や汁は、つけ木(木片)に塗って味噌を焼き、香ばしくして用いる。秋田県田沢湖地方では、なめ味噌を使う家庭もある。





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