「大窪神社〜大久保会館」ウォーキングコース



およそ?キロ 約?時間



 大窪神社は、古くから大久保の各字にあった日吉(ひよし)神社・神明宮(しんめいぐう)・進雄(しんゆう)神社・稲荷(いなり)神社の4神社が昭和26(1951)年に統合され、大久保町の鎮守の社となりました。また、境内には寛政3(1791)年と記された秋葉山常夜灯があり、市内でも古い常夜灯の1つと言われています。
 神社の西側にある香集庵坂(こうしゅうあんさか)は、坂の途中に香集庵というお寺があったため、このように名付けられました。
 神社から少し東に歩くと、篁邨(こうそん)句碑があります。地元の有志が、思想改善俳句会を結成した篁邨の遺徳をしのんで、昭和45(1970)年に建立しました。
 そこから少し歩いて左に入ると、正面に竹林と石碑が見えてきます。ここは昔、観音様のお寺として、また初午のお寺として親しまれ賑わっていた新福寺(しんぷくじ)の跡地になります。ここに遺された手水鉢(ちょうずばち)は、正面に菊の紋章と観世音、側面に寛政8(1796)年と刻まれており、花崗岩の立派なものです。
 ここから元の道に戻り、東に歩いて緩やかな坂を登り始めたところを、右に曲がります。そして、坂を登り切ったところを右に曲がり、道なりにしばらく歩くと、辻松と呼ばれる小集落があります。ここに、休耕寺(きゅうこうじ)の檀家の人々が使用した墓地の1つがあり、その一角に文化11(1814)年建立の供養塔と六地蔵があります。
 そこから右に曲がり坂を下ると、宮坂(みやさか)の愛称標識があります。県道雄踏宇布見線に出て少し東に歩くと、大久保会館が見えてきます。大久保会館は、昭和33(1958)年に廃校した大久保小学校の跡地に建っていて、今年で築20年になります。



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