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日本の風景
奈川高原 上高地 八ヶ岳中央高原 白馬岳 明日香
磐梯高原 京都桜繚乱 野辺山高原 立山、五色が原 滝坂、春日山
イタリア大使館公園 花の寺 峠と富士 竜ヶ岳 吉野山
荒島岳雪原 紅葉 八ヶ岳 奥飛騨 白山
四阿山、軽井沢 吾妻連峰 奈良明日香村
[北八ヶ岳麦草峠から丸山を経て主稜線へ五月初旬とはいえ分厚く残る雪の急傾斜登山路をつめる]

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。芭蕉奥の細道の書き出しである。これは中国唐代の詩人

李白の
「夫れ天地は万物の 逆旅、光陰は百代の過客なり。」に依る。人は時の旅人。旅を

愛し風光を愛し、情けを愛しこの世を過ごせるならこれに勝る幸せはない。
日本の風景 奈川高原
               奈川高原

2002年の5月連休残雪の穂高連峰や乗鞍岳が見たくマイカーで出かけた。当時は松本市との合併前の

安曇郡奈川村である。この方面は夏行くことが多いが夏季は山に 雪も無く山頂部はガスがかかり

いまいちの風景。唐松の緑と山桜の咲く高原に雪を頂いた穂高、乗鞍が見えたら最高であろう。

R158上高地、乗鞍高原手前の信号から奈川ダムを越え奈川村に入り有料の乗鞍林道に入った。天気

もよく気持ちのよいドライブ、期待に違わず村のシンボルである御殿桜の花も満開斜面には黄色の

山吹が彩りを添え今当に芽吹き始めた唐松の新緑が私たちを迎えてくれた。              

                    

自然は偉大な芸術家おもわずこれが日本だThat`s Japanと言ってしまった。この林道の最高地点

で乗鞍高原の手前でもある白樺峠に差し掛かると右側には霞沢岳を前景に前穂高から奥穂の吊り尾

根、左には乗鞍岳が特徴のある山陵を純白に輝がやかせていた。

      
             

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日本の風景 上高地
                 上高地
上高地 田代湿原夜明け


日本を代表する高原リゾートであり穂高連峰、槍ヶ岳への登山口である。日本アルプスの名を世界

に広めたイギリス人の宣教師 ウォルター・ウェストンは近代登山の父と呼ばれ 狩猟や山岳信仰の

ための登山だけでなく、趣味やスポーツの登山を日本に開いた先駆者と知られる。上高地に彼を顕

彰したレリーフがある。上高地の魅力は河
               
童橋からの穂高の山岳風景ですが私が何よりも愛するのは梓川の流れである。河畔に立ちその清ら

かな流れを見つめる時、そぞろ川に沿って散策する喧騒の去った夕時上高地を訪れた喜びに陶酔す

る。穂高を愛する男女が結婚し生まれた子供に梓の名前を付けるのが多いと聞く、頷ける話である

。地元産骨太の唐松材で作られた瀟洒な帝国ホテルレストランでのコヒーとチーズケーキをいかが

だろうか。赤々と燃えるストーブの温もりの中きっと至福の時を過ごせるでしょう。

        
          
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日本の風景 八ヶ岳中央高原
八ヶ岳中央高原


高原のペンション オープンガーデン

長野県諏訪郡原村にある八ヶ岳中央高原自然園からの風景も素晴ら

しい。この場所は八ヶ岳の阿弥陀が岳の登山口にあり周辺には農業

実践大学の広大な緑地が隣接している。美術館、地下1500Mから湧き
                    
出る温泉、花に溢れたペンション群、なによりも八ヶ岳の山岳風景

が素晴らしいお勧めの場所である。無料の園地の多いのも家族ずれ

に適しているが子供たちの嬉々とした姿が見れるのが嬉しい。白樺

林に沿って遊歩道を歩けばひばりの声が空高く雲間に消えてゆくそ

んなメルヘンチックな癒し空間がいたる所にある。八ヶ岳に登るの

もよし、オープンガーデンのペンション庭園群を楽しむのもよしギ

ターとピアノの伴奏で過ぎし青春のフォークで夜を明かす音楽ペン

ションもまた楽しからずやと楽しみ満載の高原である。

                            
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日本の風景 白馬岳
              白馬岳、杓子岳、白馬鑓

長野県、富山県、新潟県の三国に跨る三国境の稜線を越え山頂に至り白馬尻、猿倉への大雪渓

を下るコースをとった白馬山行、登りの白馬乗鞍から大池間の岩ゴロの道、大雪渓のクレパス     
                 
、斜面の崩落、落石と気の抜けない山である。しかし花の白馬と形容されるように高山植物に

魅せられ多くの登山者が訪れる人気の山域である。同じ山域に連なる唐松岳の登山路にある八

方尾根も白馬三山展望台としてハイキングにはお勧めの場所である。白馬の魅力は盛夏の8月で

も豊富な残雪と長大な山域の風景であり昔スキーを良くやっていた時東京からの夜行列車で通

った青春の思い出の山でもある。
                    

天上の楽園 チングルマ咲く白馬大池

雲海湧く夏の白馬三山    栂池高原付近
白馬乗鞍岳付近の雪渓

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日本の風景 明日香
                  明日香

「日本のふるさと」と呼ばれている明日香。数多く残されている史跡は我々に古の時代の出来

事を雄弁に語りかけ、それを取り囲むように広がる森や丘、田園といった風景はどこか懐かし

さを感じさせてくれます。蘇我氏の邸宅があったと言われる甘樫丘から大和三山をみれば時空
               
を越えて変わらぬ姿を見せ桜花に霞む古代遺跡群が点在する風景は此処でしか味わうことが出

来ない古代史ロマンの香りが漂ってきます。聖徳太子が馬に乗って政務に通った橘寺からの道

を辿れば飛鳥川のあぜ道に至り春には桜や蓮華、菜の花が咲き誇り大化の改新や天皇の位をか

け兄弟一族の血が流された古代史の出来事は本当にあったのと思ってしまうほどの平和な風景

が続く。この地に多く咲く曼じゅ紗華の色は無念の死を遂げた貴人達の血の色かもしれない。

そんな事を思ってしまうここ明日香の里の不思議さ

                   
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日本の風景 磐梯高原
                 磐梯高原

100年前の磐梯山の噴火により堰き止められた川が大小幾つもの湖沼群となり美しい景観を作る

磐梯高原。マグマが堆積した上に作られた観光道路の途中にある八方台登山口から山頂を目指

す。東北特有のブナの原生林が美しく、歩いているだけでも癒される。有毒ガスの噴出により
        
廃湯となった中の湯を経由ほどなく清水小屋に到着。人情味溢れる小屋番のおばちゃんがサー

ビスしてくれたコーヒーの美味さにほだされ土産を買ってしまったりして思わぬ長居。皇太子

夫妻が磐梯山に登った時の話をしてくれ時間を経つのも忘れたほどであった。また登山家田部

井淳子がこの山をホームヒィールドにしており磐梯高原でロッジの経営もしている由、山好き

ならではの楽しい会話であった。折角福島に来たのだから吾妻山系に是非登るよう勧められ翌

日一切経山から鎌沼周辺もトレック。今まで見た事がないダケカンバの素晴らしい黄葉の林に

出会いました。おばちゃん有難う。

                   
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日本の風景 京都桜繚乱
                 祇園桜風景


与謝野晶子の詠んだ 清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵あうひとみな美しき

歌が好きで晶子をこの様に感激させた京都の桜風景の中で彼女の心情を偲べたらどんなにか素

晴らしいと思っていた。その当時は東京に住んでいたので個人的に京都を訪ねる時間もお金も

無くたまに関西出張があっても桜には縁のない季節だった。想いが適い祇園の桜に会えたのは

大分後のことであった
                 
。静岡に帰って結婚後まもなくその機会が訪れた。夕闇が迫る四条通り

から八坂神社に入り暗くなりだした境内を抜け篝火に導かれるように進んで行くと突然その枝

垂れ桜が頭上にそびえ立っていた。これほど妖艶に1000年の古都に咲き乱れる様は遥かに自分

のイメージを超えていた。桜守佐野藤右衛門が守り育て戦後荒廃した京都の観光シンボルにし

ようとした市民の並々ならぬ努力があったのであろう。その足で白川畔のライトアップされた

桜にも出会えその心象が桜咲く季節になるといつも京都に出かけて行きっかけになってしまっ

た。
                
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日本の風景 野辺山高原
野辺山高原
八ヶ岳の見える高原


清里を過ぎR141号線沿いJR野辺山駅周辺は山梨県と長野県が接する東北側八ヶ岳の高原地帯で

ある。テレビドラマの「高原へいらっしゃい」の舞台となり撮影に使われたヒュッテ風ホテル

が森の中に佇んだいたりするとても美しい高原である。音楽堂でリサイタルを楽しんだ後高原                                                
の宿で移り行く季節の風情を心行くまで楽しむ事も出来る。静岡から3時間程で行ける距離にあ

り冬はともかく春は木々の芽吹きと冠雪の八ヶ岳、初夏には北海道を思わせる広い高原野菜畑

の緑が広がり少し後には白い蕎麦の花が周辺を彩る。秋には八ヶ岳の音楽堂、八ヶ岳高原ヒュ

ッテにいたる高原ハイウエーの唐松の並木が黄金色にきらめく。その奥には八ヶ岳林道がつな

がり横岳、赤岳への登山路県界尾根、杣添尾根がある。ハイキング、登山基地にも適した楽し

むにはオールラウンドの高原である。


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日本の風景 立山 五色ヶ原
              立山、五色が原、黒部湖

別山乗越から中央奥に薬師岳  中央稜線右浄土山を越へ薬師方面へ五色が原に至る

立山はスケールが大きい。長野県大町の扇沢からケーブル、ロープウエーを乗り継ぎ2500

Mの室堂までは定番の観光旅行。雄山山頂直下の稜線を浄土山方向に進み竜王岳、鬼岳、獅子
       
岳を経て富山城主佐々成正厳冬の峠越えで有名なザラ峠340Mの急坂を一気に駆け下る。立山カ

ルデラの崖道を登り返すと目的地五色が原だ。室堂を出発して約6時間、後立山連峰とその直下

に黒部湖を見ながらの素晴らしい風景が続く山旅であった。五色が原は薬師岳方面の縦走路に

あたり混雑を避けた日程を組めば静かな山旅が楽しめる花の山域だ。遅い夏の到来と共に所々

に残る雪の白さと花のグラデーション、秋には草紅葉やななかまど、ぶな、岳樺の見事な

紅葉が迎えてくれる。此処には五色が原山荘があり秋の夜長の星空観察は圧巻である。真夜中

カーテンを引いた窓がやけに明るく目が覚めてしまった。何事かと思いカーテンを引くとそれ

は大粒のダイヤモンドの様な星々の放つ光であった。この光景は生涯忘れることが無いであろ

う。

秘境ともいえるこの高原大地に別れを告げ黒部湖を目指し紅葉の樹林帯を下る。ぶなの原生林

の路に入ると黒部湖の上流部に流れ込む瀬音が聞こえ出し、近年洒落たウッディーな作りにな

った平小屋に到着,その後黒部湖の淵を縫うように黒部ダムへの長くつらい水平道を進みダムサ

イト到着。長大な山旅が終りをつげる。
        
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日本の風景 滝坂道、春日山
          柳生街道滝坂道、春日山原始林、若草山

奈良 春日山原始林世界自然遺産の碑


1000年以上春日大社の聖域として人の手が入らず太古から続く温帯樹林の植生が保たれている

ため世界遺産に登録されている春日山周辺の風景は春日大社の神の威光と庶民の信仰により古

い街道の姿や日本の森の原型を伝える貴重な場所である。

春日大社に今回のトレッキングの無事を祈り宮本武蔵が柳生の里に通った滝坂の道に入る。所
       
々に置かれ旅人の道中安全の祈りを受け止め続けたであろう石仏群に手を合わせ良く整備され

た道を進む。峠の手前世界自然遺産登録の碑で休憩後柳生街道に別れを告げ若草山ドライブウ

エーを若草山に進む。四月上旬この季節奈良公園界隈は何所に行っても桜、桜の霞たなびく光

景、日本に生まれた幸せの実感。若草山山頂からは当に「青丹によし奈良の都は咲く花のにお

うがごとく今盛りなり」であった。東大寺大仏殿を目印に広い芝生の山道を下れば鹿が三々五

々群れ遊ぶ平和な風景。日本古来の神道の精神が自然と人と動物の共生という形で共存してい

る姿そのものをユネスコが自然文化遺産として評価したのだろう。
          
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日本の風景 イタリア大使館別荘
             イタリア大使館別荘記念公園

東北自動車道宇都宮ICを深夜降り予約していたビジネスホテルに入る。一眠りした後今市の有

料道路ICから奥日光へ向かう。五月初旬とはいえ風は未だ冷たい。いろは坂を越し中禅寺湖が

見えてきた。湖畔の立木観音の前のパーキングに駐車今日のハイキングはイタリア大使館の旧

別荘の先まで湖を左回りに廻るコースだ。ミケランジェロやダヴィンチの国イタリア大使館の

別荘が老朽化して補修するのにとてつもないお金がかかるため日光市が買い取り数少ない伝統

工芸士の手を借り補修、一帯を公園化した。デザインセンス抜群のイタリア人の美的感覚と日

本の伝統工芸の粋を凝らした内装のコラボレーションはどんなに素晴らしい雰囲気を醸してい

るのか以前から見学しておきたい場所の一つであった。遊歩道の所々に咲くアカヤシオが湖畔

の林に点景を添える。
                                  
中禅寺湖の水は形容し難い純粋ブルーに染まりそれでいながらその色に染まらずといった深い

透明度があり日本の最高地点にある湖を満たしている。日本に滞在した外国人が夏の避暑地と

して愛した中禅寺湖に面した疎林の中に別荘は不思議な感覚で建っていた。目立たずそれでい
             
て存在感があり周囲の自然と溶け込む外観、木質系の素材特性を究極に表現した内装は和洋の

精神の融合とはを語らずして語るかけて来るようであった。日本人の工芸技術の高さは十八世

紀に初参加したパリ万博でヨーロッパ人に衝撃を与へ、ジャポニズムなる文化を生んだ程であ

りそれを良く理解するイタリア人が日本の職人に依頼して作り上げたものである。

別荘のテラスから湖をみれば右手には明日登る男体山が2400M代の標高とは思えない堂々とし

た円錐形の山容を湖に落とし正面には奥白根の山塊が雪の峰を連ねている絶景であった。備え

付けのソファーに身を沈め過ぎし日、大使夫妻がイタリアアルプスの風光を懐かしんだであろ

うこの静かな時の流れの郷愁に浸った。
            
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日本の風景 寺と花の風景
                    花の寺

奈良県桜井市にある長谷寺は俳人高浜虚子が「花咲かば 堂塔埋もれ つくすべし」とうたっ

た花の寺であり観音信仰の霊場として知られた真言宗の大寺である。

此処に祭られている観世音菩薩は身の丈10mほどで日本では一番大きな観音立像である。懸崖

に建てられた巨大な舞台作りのの本堂から参拝すると参拝者はその顔の付近と対面する感じと

なり観音の霊力の大きさを目視的に体感出来るよう巧みな演出が施されている。社会の底辺で
            
苦しみのうめきを上げる庶民の声を聞きその救済を本願とする観世音信仰はヨーロッパ、中東

、インド、中国等の宗教的思想の影響を受け継いだ我が国の代表的庶民信仰である。

特に平安時代以降観音の女性的イメージもあり都の女人の信仰篤く近くにある室生寺やこの長

谷寺参りが盛んになった。寺参りという口実があれば都を離れる事が出来た女人に花を愛でる

楽しみも与えたのであろう。特に桜やコブシ咲く春や数千本の牡丹が境内を荘厳する初夏が素

晴らしい。奈良を代表する日本の風景である

             
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日本の風景 峠と富士
                        安倍峠

色々の場所で夫々の富士山を見てきたが一番綺麗だなーと思うのは安倍奥からのそれと思う。

地元の焼津からの富士山も良いが個人的な趣味で山岳が好きなためどうしても高所から富士山

と対峙する格好の眺めを愛する。近年富士山の鑑賞といえば地理的要因でアクセスし易い朝霧

高原や雲海富士が容易に鑑賞できる安倍峠が多くなった。
              
この峠は梅が島温泉から山梨県の身延町大城地区へ抜ける林道豊岡線(?)で難点は途中の狭

小な道幅の地点が多く対向車とのすれ違いに神経を使うのと、急傾斜地を切り開いた斜面の崩

落補修の為通行止めの多いことである。以前山梨県芦安から南アルプス林道をマイカーで抜け

北岳登山口に駐車して専用バスで甲斐駒ケ岳登山口北沢峠へ行ったことがあった。3000m峰の

急斜面の水を集めた野呂川沿いの斜面を切り開いて付けた林道で早川尾根側の急斜面の崩落が

すざましく立木がほとんど生滅していた。自然保護の立場からの反対で建設が十年以上ストッ

プしたというが反対意見にも現場をみれば「なるほど」と頷けるが簡単に高所の秘境に車で乗

り入れる自分であってみれば加害者の一人であるから文句もいえない。

                
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日本の風景 北八ヶ岳春の白樺の芽吹き
日本の風景 竜ヶ岳
高嶺の展望 竜ヶ岳
2006,4,9快晴、前日、前々日日本列島に吹き荒れた中国から飛来の黄砂が空を覆い雨交じり、強風

の天気から一転少し未だ霞みを残す気配であるが先ず先ずの天気に感謝しながら焼津ICから冨士IC、

西冨士道路を経てR139本栖湖キャンプサイトの登山口へ急ぐ。疎林越しに本栖湖、富士山を見ながら

竜ヶ岳山頂へ、休憩用に作られた東屋にて休憩、富士山の写真を撮った後山頂への最後の壁熊笹に

被われた道を黙々と歩く。。少し先には本栖湖へ一直線に下る分岐路があり帰りは此処を下ること

にしてジグザグに着られた道を富士山を背に心地よく登ってゆく。程なく達した山頂には先行の登

山者達の歓声が響き渡っている。そうだろう、この景色を見て黙っている人は絶対山登りはしない

だろうと思う大パノラマ、大絶景だった。正面右には霞みの上に浮き立つ八ヶ岳連峰の赤岳の尖峰

が遠目にも確認出来素晴らしい存在感である。中央には北岳の白鳳三山、左には塩見、荒川、赤石

、聖と展開し、背後を振り返れば富士山が常にひかえている。

文字通り360度の眺望それも静岡山梨、長野県に跨る憧れの高峰群がこれほどのスケールで一望でき

る山はそれほど多くはないであろう。2〜3時間ほど多少の苦しさを我慢するだけである。


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日本の風景 吉野山
吉野山 桜と祭りと歴史と
2006、4,11仕事を終え予約した四日市のホテルHEAL IN 四日市に宿泊。ビジネスホテルといえ一

泊朝食バイキング付4410円と格安であり清潔且つ部屋もベットも広め、綺麗な大風呂もありこの上

もない満足な宿であった。

  

翌12日上写真のような素晴らしいバイキングの朝食を摂り東名阪道四日市ICから針IC、R370を経由

吉野山に到着、空中ケーブル近くの駐車場にマイカーを入れた。管理人が管理協力金1,500円をお願

いしますと来た。「えーなんでそんなに高い」のとおもわず叫んでしまったがしょうもない。この

山の中心的な建物金峯山寺へ向かうため七曲と呼ばれる坂道を登り始めた。鶯の初音であろう少し

        

ぎこちなさが残るさえずりが聞こえ今当に草木の芽吹きも始まった萌黄色の山の斜面に薄墨の山桜

が色を添える日本の典型的な春の風景が広がる。東大寺大仏殿に収まる大仏を鋳造した残りの銅で

製作しといわれる日本三大鳥居の銅の鳥居を潜り応仁の乱で焼け落ち徳川家光が再建した大仏殿に

次ぐ木造建築では本邦第二の大きさを誇る蔵王堂に到着。折りしも放送で本日行われる奴道中が中

千本にある竹林院を12時に出発することを伝えていた。昼食用に買った奈良名物の柿の葉すしを食

べながら竹林院と如意輪寺方面との辻で奴道中を待つことにした。30分程待っていたら掛け声と共

に山伏装束の前触れが現れ群集整理が始まり行列が到着、奴の踊りが始まった。


       

奴の踊りが終わり混雑もなくなった登り道を奈良三名園の一つ竹林院へ。糸桜、山桜、椿、三つ葉

つつじの咲く庭園内で抹茶をいただいた後如意輪寺との分岐に戻り「ささやきの小径」と案内図に

書かれた遊歩道を探したが分からず山道を行きつ戻りつしてしまった。正直なところ標識一つなく

管理協力金として高い料金を徴収しながら随分不親切な思いがしたのは私一人ではあるまい。
           
竹林院庭園と吉水神社(南朝御座所旧跡と義経縁の神社)

吉野山の風光は日本人の桜に対する思い再発見の場であり役行者が山岳宗教の修業の地として開山

以来「壬申の乱」大海人皇子にまつわる伝説、静御前と義経の永遠の別れ、佐藤嗣信、楠正行等の

忠功、「建武の親政」夢破れ失意の中亡くなった後醍醐天皇南朝御座所等々日本史の舞台となった

歴史探訪の旅でもある。「新古今和歌集」を代表する叙情派歌人西行法師は過っては佐藤義清とい

って鳥羽院北面の武士であった。適わぬ恋、中宮璋子への想いを断ち切る為出家しここ吉野山に庵

を結んだ。彼の代表歌「願わくは花のもとにて春死なんその如月の望月のころ」は楚々と咲く吉野

桜の風情を秘かに恋した中宮の面影に重ね、散る桜の切なさが人の世の無常を、平重衡による「南

都焼き討ち」大仏殿消失再建の為諸国勧進の労苦をそれら全てを超越し到達した精神の境界を表し

た優た歌である。谷間をはらはらと散り行く花の吹雪と渓流を流れ行く花の筏は旅人の想いと憂い

をのせ吉野山の春を彩ってゆく。
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日本の風景 雪  原
荒島岳雪原
荒島岳は深田百名山唯一福井県から選ばれた山である彼の母親がこの地の出身であり少年時代

からこの山には良く登っていたらしくひとしお愛着のあった山らしい。百名山選定にあたり能郷

白山か荒島か随分迷ったらしいが故郷の山ということもあって最終的に荒島岳に決めたらしい。

私情を挟んだ山となれば百名山に相応しからぬ山であろうか?標高も1,524mとさして高度もなく

最後までその山行に迷った。実際に登ってみれば高低差1,200m余り尾根から山頂までほぼ一直線

の登り、登りの苦行の連続であった。登山道の中程より分厚い雪がつき頂上直下のやせ尾根の土

が露出した登山道は急増する登山者に踏み荒らされ崩壊が目立っていた。五月連休四日昨日から

快晴、新緑には未だ早く雪の積もった尾根道を行く。この勝原コースの歩きどころ落葉樹林帯の

ブナの原生林は明るく穏やかに光が満ち雪も程よく締まり歩きやすい。サクサクと靴に嵌めたア

イゼンの微かな音のみ、全てが雪の結晶に溶け込む様な静寂が辺りを支配する。ああこれが日本

の雪原と密やかな感慨に耽る。荒々しさも無く静かに溶け行く雪が水の一滴となり雪下に埋もれ

た落ち葉に蓄えられ豊饒なる一条の流れとなり川となり大海へと。。。その山の精が溶け込む水

の豊かさが清流の魚を育て日本海を回遊する鰤の命を繋いでゆく。生命の循環をもたらすこの清

浄なる自然があるからこそ食物連鎖の頂点に立つ私達が生きることが出来るのだ。ブナの自然林

は緑のダムといわれ近年その重要性が再認識されている。この自然を守りブナを育てる試みが地

元の登山関係者の間で行われている事をウエブのページで知ったが有り難いことである。

このページのトップへ 荒島岳山頂
日本の風景 紅葉
                          紅葉

秋から冬にかけて気温の低下とともに、木は葉を落とすために葉と枝の境に離層を形成。これがで

きると葉と枝の間で水や養分の流れが妨げられこの時、今まで葉を緑色に見せていた葉緑素「クロ

ロフィル」が老化、分解されて他の色が現れ始めるのだそうです。それはカエデやイチョウなど種

類により、葉が赤くなるもの黄色くなるものなど様々ですが四季の変化が際立ち広葉樹林の多様な

植生の森に恵まれた日本ならではの美しい紅葉に出会うことが出来るはとてもうれしい。私が出合

った紅葉風景のうち心に残る幾つかを順次紹介したい。

立山弥陀ヶ原

高層湿原が広がる高原です。散策用木道が敷かれた上に立てば奥大日岳や大日岳のダイナミックな

姿を間近に見ることが出来ます。

       

ここにアクセスするのにはアルペンルートがあり富山側の美女平〜弥陀ヶ原〜室堂へつながる。こ

の弥陀ヶ原が一番鮮やかなのは秋の紅葉シーズン。9月25日くらいから10月5日くらいの10

日間程が見頃。立山の紅葉はナナカマドの紅とダケカンバの黄、オオシラビソやアオモリトドマツ

の緑とのコントラストが絶妙。特にバス停付近の山々の紅葉は「錦秋」、この日本語をこれほど適

切に使える場所は他にはないであろうと思った。弥陀ヶ原に霜が降りたり、突然の初雪があればそ

の美しさはたちまち消え失せ、その刹那の美が旅人の旅情を誘うのです。

              

満を持して出かけた弥陀ヶ原へは上高地を抜けるR158、471神岡経由R41を北上富山県に

入り立山のケーブル駅頭に降り立ったのは朝の5時だった。焼津市の自宅を出たのが前夜の10時

であったから約7時間のドライブであった。今では東名高速の豊田JCから東海縦貫道を使い東海

北陸道荘川、富山県砺波、立山が時間的にも良いと思われる。始発のケーブルに乗り美女平に着き

室堂平までを快適な無公害バスに乗り変えた。高度を稼ぎながらの車窓越しの紅葉は少しずつ鮮や

かさを増し室堂平に到着早速に浄土山への稜線を上り詰めた。室堂平は既に森林限界を越えており

冬枯れのような景色であった。稜線から立山カルデラ越しの五色が原やその背後に堂々と控える薬

師岳を望み往路を再び室堂へ。天狗原からの剣岳に別れを告げ大日岳に沿う様にわたすげの咲く弥

陀ヶ原湿原に入った。ほとんど眠らぬ体は疲労のの限界を越えていたが生涯忘れえぬこの紅葉極ま

る風景を体験した我が心は満ち足りたものだった。(この付近のおすすめの宿 富山県営立山天望

荘、弥陀ヶ原ホテル)


                福島県浄土平
           
10月上旬磐梯山登山の翌日吾妻小冨士呼ばれる浄土山駐車場に駐車して対面する一切経山から酢

ヶ平避難小屋に達し鎌沼を巻き一周するコースのトレッキングをした。目的は深田久弥が吾妻山の

変わりに百名山に指名したかったと言われている一切経山からの五色沼の眺めと鎌沼周辺の紅葉見

物であった。生憎の小雨交じりの中強風の稜線に出たが風で体が飛ばされそうになり魔女の瞳と呼

ばれる魅惑の五色沼は厚いガスにつつまれなにも見えないまま急ぎ酢が平方面に向かった。吾妻ス

カイライン付近の紅葉が素晴らしくさすが福島とはいえ東北の紅葉は素晴らしい。見慣れている中

部山岳のそれとは一味違う印象だった。ガスに煙る鎌沼からビジターセンターに至る森の紅葉も表

現出来ないほど素晴らしいものだったが昨日の磐梯山の快晴のもとデジカメを撮りまくった為メモ

リーカードの空きが無くなり肝心の紅葉写真を収めることが出来なかった。そこでweb上の写真

を拝借してその素晴らしき紅葉風景の一部を紹介してみた。

浄土平周辺トレッキング図(提供ビジターセンター
   


         
一切経山もそうであるが、この付近の山々は硫黄臭の噴気が立ちこめている火山帯の山が多い。

その影響と過酷な気象により少し高みに至ればたちまち樹木がなくなり荒涼とした景色となり

人々があの世とこの世の境界である賽の河原をイメージした心境が理解できる。その様な過酷

な地形だからこそ,そこに育つ樹木の紅葉の素晴らしさは類をみないのだろう。印象的にはこの

山域の紅葉は色が純粋過ぎるほど純粋だと思う。特に鎌沼から下ってくる途中にあった岳樺の

深い黄色はかって見たことがない鮮やかなものであった。このページのトップへ

                      京都西山 粟生光明寺

             
法然上人を荼毘(火葬)に付した後、そのお骨を青磁の壺に納めこの場所に奉りました。

 
火葬場に残った灰と土を練り固め、高さ七尺六寸八分と言いますから約二メートル三〇センチの

五重の塔を造りお骨を納めた上に安置しました。そしてさらに、風雨を避けるためにお堂が建てら

れました。それがこの御本廟です。(光明寺HPより)平成10年11月28日京都の美大在学中の娘を

訪ねた折妻と三人で阪急電車に乗り長岡京の駅頭に立った。妻の両親が浄土宗系のお寺に葬られて

おり法然上人和賛を法事の時によく聞かされていたことや、NHKの「国宝を訪ねて」をみてこの

粟生光明寺の上人埋葬の本廟が気にかかっていた。ましてや京都有数の紅葉名所であるこの地は未

だ訪れていない京都でも数少ない寺であったからである。タクシーを降り総門からモミジ坂、御影

堂へのアプローチは巨木の楓が家族の顔を染め上げあたかも私達を浄土へ導くような錯覚を覚え

るほどであった。御影堂に上がり参拝を済ませた後回廊を回り廟所前に立つことができた。もちろ

んそこから先は入ることが出来ないが、NHKで放映された内部の映像が脳裏に刻まれていたので

時空を越え上人と直接対面出来た思いであった。その時廟所を囲む斜面の紅葉の朱は上人石棺より

数条の光り立ちのぼり、この粟生野を光り指し示したとの故事を思い起こすほどの見事さであっ

た。

                 京都 高雄神護寺
                                    
       
和気清麻呂が創建し空海が唐より帰国後十四年間滞在した京都の神護寺は丹波への道周山街道から

清滝川の橋を越え自然石の急な階段を二十分程登った山頂にある真言密教の古刹である。京都とい

えば紅葉、紅葉といえば高雄の名がでる京洛屈指の紅葉名所である。その山道の途中にある茶店が

上写真である。二十代後半始めて訪れた時全山彩る朱の楓の見事さに驚いた。楓そのものはもちろ

ん自然そのものの木であるがこれほど密集しているのは人間が意識的に作り上げた森なのであろう。

綺麗な風景を愛でたいと思うのは人間の本能である。その想念がこれほどの楓の森を時代を越え

て作り上げてきたのだろう。

                   
奈良公園
奈良はまほらば、日本人の心の故郷。京都のような華やかさはないが、奈良はやはり良い。

奈良公園に隣接する吉城園内は茅葺のひなびた建物にモミジの朱が似合う穴場のような紅葉の名所である。シルク

ードの終着点正倉院入り口付近のイチョウはプラチナブロンドの光が溢れまさに日本の秋を感じさせてくれる。

日本の風景 八ヶ岳
 静岡からも近く主峰赤岳は標高2900mに僅かに届かないとはいへ、その堂々たる尖峰の峰は岳人

の心を捉えて止まない。ここ八ヶ岳の南の果、権現岳からの八つ主峰群はたおやかな北八ヶ岳の風

光と異なりそのアルペン的俯瞰が魅力の山岳であり穂高連峰にいささかの引けをとらない。秋の初

め山梨県側清里、柳生博経営八ヶ岳倶楽部近くにある天女山駐車場に駐車、早朝六時雲海冨士に絶

句する。神社の参道のような玉砂利の広い尾根を天の河原、前三っ頭、三っ頭へと進む。どこを

見ても見飽きることの無い風景が続く。奥秩父山塊、雲上に聳え立つ富士山、その右には北岳、

甲斐駒、千丈が岳、さらに中央アルプスの峰々、そして御嶽山北アルプスと展開し今夏登った白

山をも展望する。三っ頭からの権現岳2715m山頂は少しスリリングな鎖場を抜け宝剣が天を突く

狭い岩峰だ。その岩にへばりつき覗いて撮ったのが上の写真である。権現とは仏の化身が現じた

ものとの意味があり大日如来の権現が吉野山金峯山寺の本尊蔵王権現であり山岳修験道の名残を

とどめる。

白雲湧く標高2715m権現岳山頂 左尖峰権現岳山頂の岩峰 三っ頭より
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日本の風景 奥飛騨せせらぎ街道

                      岐阜 せせらぎ街道 百滝ハイキング

2006,10,25前夜高山のコストパーフォーマンスの良い宿に泊まり満足の一夜を過ごす。朝市を見学後岐阜県下でも紅葉で名高いせせらぎ街道百滝コースのハイキングに出かけた。素晴らしい楓並木の中登り40分程の軽ハイキング。せせらぎの音、落ち葉の散り敷かれた山道を最奥の大倉滝を目指す。ヒーリング日本語では癒し、これほどこの語感が心に満ちたことはなかった。

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日本の風景 修験の道白山
日本の登山史を紐解くと剣岳の初登頂に関する興味深い記事がある。1907年(明治40年)7月
 
陸軍参謀本部 陸地測量部の柴崎芳太郎らの登頂である。しかし、彼らがそこで発見したのは

錆付いた鉄剣と銅製の錫杖の頭であった。また古い焚き火跡もあったという。つまり、柴崎芳

太郎らが初登頂ではなく、はるか昔に登頂されていたのである。残されていたものから推測さ

れた年代は奈良末期から平安初期と思われている。現在の剣岳登山でもし取り付けられた鎖が
 
外されていればそれはアルピニストの世界となり一般の登山愛好家では登頂は無理であろう。

かように難しい山に遠い昔登った開山と思われる人はどんな人物であったのだろうか。当然山

岳修験者であるが何故彼、彼らは危険を犯しその様な高峰を目指したのだろうか。奈良時代頃

から日本古来の自然崇拝と主に密教とが結びつき独自の山岳宗教が確立され修験者は地獄から

仏界(山頂)に至る十界を経て即身成仏することを目的とした。立山はその代表的山域であり

その西側に連なる白山もまた、信仰修験の山であった。それぞれに共通する地名も多く室堂、

弥陀ヶ原等名前を聞いただけでは立山か白山か分からない。登山口の一つ石川県の市ノ瀬登山

口から平に開けた弥陀ヶ原を詰め室堂平に至り最高峰御前峰への白山登山は単なる遊びの山と

してではなく多少の山岳修験道のことを知る者にとってはやはり聖なる山なのである。
                                                   
仏界たる山頂を目指す現代の修験者?白山弥陀ヶ原の我がパーティ2006,8,16
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四阿山登山と軽井沢

2007年5月3日登山クラブ恒例のGW山行、計画どうり信州菅平にある百名山四阿山へ出かけた。
R141佐久街道からR18中軽井沢を抜け一度見学したいと思っていた高原教会にある内村鑑三縁の記念堂を訪れた。
折りしも敷地内の高原教会で行われていた結婚式に出会いウエディングドレスの良く似合う絵のような新婦
の姿に感動を覚えた。
内村鑑三は高崎藩士の子と生まれ日本が西洋列強に伍し発展しようとした礎の時代、明治初期多感な青年時代を送り札幌濃学校を卒業後アメリカ留学をする。
過去の伝統や、文化を捨て西欧化へ突き進む当時の時代的風潮は彼の肯定するものでは無かった。
自身、クリスチャンであり創造主たる神とイエスキリストへの信仰のあり方や、日本及び日本人の精神性を問い続けた。彼の説く無教会主義は権威化に狂奔する伝統主義の否定であり大自然主義とも言えるのだろう。
四阿山は長野県と群馬県の境界にあり深田百名山の一つである。
標高2,354mは北に志賀高原東に嬬恋西に菅平高原、南に八ヶ岳を望む。冬にはスキーで賑わう。往復6〜7
間ほど長い尾根を歩くが白樺や岳樺の森が美しい山域である。

軽井沢高原教会
四阿山

吾妻連峰
福島県の磐梯吾妻国立公園内には二つの代表的百名山がある。磐梯山と吾妻山である。
磐梯山の清水小屋の小屋番さんに聞いた話であるが深田久弥はこの山域で百名山を指定する際本当は一切経山を
指定するつもりであったらしい。何故吾妻山を指定したのか定かでないが、眺望とか人気度からして一切経山が相応
しい。

土湯温泉から磐梯吾妻スカイラインで浄土平を目指す。浄土平手前に兎平という野営場があり、その奥に古い歴史を誇
る吾妻小屋がひっそりと佇んでいる。そこから更に遊歩道を抜けると桶沼に辿り着ける。浄土平桶沼遊歩道と呼ばれるこ
の散歩道は訪れる人も疎らで静かに自然を楽しむに絶対の穴場であろう。


2007、10,9安達太良山登頂の余韻覚めやらぬこの日この桶沼の岸に立ち浄土山を横目に一切経山を目指した。昨日の
雨も止み先ず先ずの天候に感謝する。直登コースを避け鎌沼の手前から酢ヶ平避難小屋を通るコースを選択した。今度
の登山の目的は三つある。一つは三年前強烈な雨風に撤退したリベンジ、二つ目はその時同行したS,Hjさんの慰霊、三
つ目は『福島の瞳』とか『魔女の瞳』と呼ばれる泉を俯瞰することである。

三年前と比較して今夏の猛暑か9月の残暑の影響か浄土平周辺の紅葉は今一。
小屋を過ぎ稜線に登ればこの山特有の酷すぎる強風が呼吸を止め手先を麻痺させる。山頂は火山特有のむき出しの土が
露出しその分360度の眺望が開けている。山形県側の崖下を覗けば長き間その対面を夢見た『魔女の瞳』がコバルトブル
ーの湖面を太陽光に光らせ私を迎えてくれた。


去りがたき気持ちを振り切り避難小屋へと戻り、S,Hさんが愛した鎌沼を見下ろす場所でその名を叫んだ後黙祷を捧げた。
鎌沼は吾妻連山に囲まれた鎌型の湖で前大顛の山裾を覆う笹の緑とドウダンツツジ等の朱が絶妙には配色されたとても
静かで心穏やかなトレックができるエリアである。

池周辺は一時間で周遊できその後蓬莱山を抜け浄土平に帰着した。蓬莱山はダケカンバノの森でその純粋な色は形容し
難く私の愛する日本の森の一つである。

奈良明日香村 歴史街道
蘇我氏は蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿と四代に渡り飛鳥を根拠地にし古代史に君臨した豪族であった。
大和朝廷の中枢と縁戚関係を結び専横を欲しいままにして来た。当然それに反発する勢力の出現は人
世の常である。中大兄皇子は中臣鎌足と現談山神社の奥山で蘇我打倒を計り皇極四年(645年)飛鳥
板覆宮にてこれを暗殺(蘇我入鹿)、政治の表舞台に登場。即位して天智天皇となった。

この談いの山すなわち中臣鎌足を祭神とする談山神社を基点に峠を下り板覆宮の史跡のある明日香村
まで約四km、岡寺まで延長すれば5kmの歴史街道を歩いた。

左上談山神社から右下伝、蘇我馬子墳墓石舞台まで快適なハイキング。
明日香村は国が管理する史跡公園であり、近代の味気の無い建物が一切
無く
奈良の伝統的民家が心地良い。棚田の広がる風景は日本の原風景と
もいえる。開発から歴史的風土を守る努力が散見され、改めて感謝の念が
起こるのである。

稲淵宮殿史跡付近の棚田の風景