碁雲ルイの日記

・院生になってプロへ挑戦している子供たちの近況報告
・少し、自分の生活も紹介しましょう・・・・・

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2010年12月25日(土)

 今日の囲碁ジャーナルを見て驚いた。
あのめいえんに見えたユ君が出ているではないか。
プロの本因坊対アマの本因坊の2子局でアマ本因坊のユ君が圧勝したというニュースだ。
相手は山下本因坊。

 今日ちょうど先週のめいえん忘年囲碁大会が磐田グランドホテルで行われた結果を掲載しながら
ユ君とこのホテルの温泉に入ったのを思い出した。
ここの湯は褐色でほとんど黒に見えるが、効能は抜群らしい。ユ君は温泉の入り方もなれていない様子で
とまどいながら、熱い、といいながら入ってきた。
管理の女性が風呂場に入ってきたときは驚いていた。(^^)

 その彼がメールでは囲碁の調子を落としているとか言っていたのに、山下本因坊に圧勝したとは。
おめでとうございます。

 また、その山下本因坊の長男まさき(真樹君)がめいえん教室に通っていることは何かの縁なのか、
世の中狭いとよく言うが、その一つかと思う。


2010年12月16日(木)

 昨日は新しい工場の地鎮祭だった。来年6月にはそこに引っ越しする。
ららぽーと磐田のすぐ東だ。

 昨日はけんりょう研究会だった。今年最後の研究会になる。
今年は今度の日曜日のめいえん忘年囲碁大会が彼との最後の対局になる。
(当たるかどうかもあるが)
けんりょうは今年は残念だった。院生1位でプロ登用試験に臨んだが、外来の高橋君に優勝をさらわれてしまった。
けんりょうは途中であきらめてしまったのか7勝7敗で今シーズンを終わった。

 来年は心機一転中国に長期滞在して向こうのプロを目指す卵たちと研修を積む予定だ。

けんりょう研究会にプロを目指して毎回静岡から来ている金君はこのところ急激に腕を上げ、小生もかなわなくなってしまった。
彼も来年四月から韓国に渡り、向こうで中学生活を送る。
囲碁を本業として中学はその合間に通うという囲碁漬けの生活を送る。
どれだけ伸びるか、二人とも楽しみだ。

一方、と言って比較するのはおこがましいが、こちらは年のせいか実力は落ちる一方だ。
日本棋院の幽玄の間で六段だったのが今では五段の中位になってしまった。
ま、それでも平田世界アマ日本代表の例もあるようにまだまだチャンスはあると思っていてあきらめていない。
今は仕事にゴルフに忙しく、充分囲碁に時間を割けない状態にあることが下がっている原因なのだと決めつけている。
ゴルフも一段落したら囲碁に時間を割けられればもう一段くらいは上がっていけるだろうと楽観視している。

それにしても小学生、中学生、高校生の子供たちの上達の早さはすごい。
1日1日と目に見えるように強くなっていく。
明らかに大きなハンディを背負っていることは間違いない。

若い人と比較するのはやめよう。自分との戦いなのだから。

2010年7月8日(木)

 昨日はけんりょう研究会。もう何回になるだろう。
けんりょうも背が伸びてもう私より高くなってしまった。
フランスからクリストフ君がめいえんに来ていて、その前の日は関西棋院の中野九段も来て
夕食を一緒にした。見付のとみたにクリストフ、中野九段、けんりょう、梅艶、英龍と6人だった。

 けんりょうは相変わらず強い。2子では入りそうもない。

けんりょうと三澤さんの対局した碁の検討会をいつも行うが、いい勝負のようだ。
レベルの高さがよくわかって、今度の日曜日の静岡県囲碁選手権決勝大会には
出ないことにした。とても優勝できるレベル差ではないことが分かったからだ。
当分無理だろう。

2010年1月5日(火)
 
 にこちゃんもちょうど5ヶ月。小国神社での初詣のスナップ。

2009年9月23日(水)
 初孫のにこちゃん(和ちゃん)が来ている。シルバーウィークのはじめに来て今日で5日目だ。
パパは明日から仕事なので今日新幹線で埼玉へ帰った。
半月後にまた迎えにくる。
お風呂に入れた。子供が小さい頃だったから何年ぶりか。
まだ1ヶ月半だが盆休みのときの手のひらに乗るような小さかった赤ちゃんがもう5kgと重い。
すごい速さで成長する。
女房さんはメールの着信に「おぎゃーおぎゃー」と泣き声にしている。
あまり親ばかちゃんりんだと恥ずかしいので私はそんなことはしない。

 9/20腹帯の納めに岩水寺に行き、帰りに小国神社にお宮参り。
嫁さんの母、姉妹がきて一緒にお参りした。
妹は生まれたすぐ手伝いに行っていたこともあってかわいくてしょうがないようだ。
常にかまっている。

2009年4月17日(金)
 旅行から帰ってきてからもう1ヶ月、その間何があったか。
大きな動きは再雇用が大きく制限されてきたことだろう。
今年60歳の定年になった人はほとんど再雇用となっていない。
また、現在再雇用されている人も再契約がされない状況となってきた。

 磐田囲碁大会も無事に終わった。予想していた100名超も大きく割り、80名に終わった。
はがきの枚数を制限したのがきいたのだろうか。
めいえん教室に2週間来ていたドイツ人の棋客ももういない。2mもあろうかという大柄の人だった。
大会にも四段で参加したが、トーナメントには進めなかったようだ。
もう帰国しただろうか。

 フランス人のマークもいなくなった。
忘年囲碁大会ではがんばっていた。

 けんりょう研究会は鈴木信一さんが優勝。今第2回目に入っている。
4月、5月の二ヶ月間のリーグ戦となる。
けんりょうも中学を卒業していよいよプロへの修行に集中している。
4月第3週の研究会ではけんりょうに負けた。
二子局だが、入るチャンスはあったと思うのだが、35分の持ち時間で早く打たないとという気持ちだとどうしてもミスが出てしまう。

 今週の日曜日は朝日アマの予選会が浜北である。
久しぶりに出てみようか。
幽玄の間の成績は最近連勝でもうすぐ六段に手が届きそう。

 三男は彼女ができて結婚したいと言っている。
子連れなので少しひっかかるがカミさんの話ではいい子だという。


2009年3月18日(水)
 一昨日香港、マカオの旅から帰国した。〜日記〜
 
2008年12月2日(火)
 今年のプロ試験も終了した。
残念ながらけんりょう、前田君はプロの資格は取れなかった。
優勝は伊田君。
前田君は今年で最終。
これからの人生に今日までの経験を生かして欲しい。

 11月22日は佐世保高専の同窓会だった。
41年ぶりに会う先輩に懐かしく、また立派に人生を渡ってこられた重みを感じたものだった。
その日は二男夫婦の埼玉で一泊。次の日には鉄道博物館、さいたま市まんが博物館を見学した。
二男夫婦から読んでほしいとあずかった「金持ち父さん、貧乏父さん」は人生の生き方を変えるすごい本だった。
長くなるので省略するが、インターネットでもどういう本か分かると思うので、興味がある方は読んでほしい。

 11月29日は定年を迎える人たちの研修会だった。
退職金、年金の計算をさせてもらう。
大変複雑で、よくこんなに複雑な仕組みにしたものだと思う。
自民党の選挙対策の残骸だそうだ。

 翌日の11月30日は中遠支部忘年囲碁大会。
最近強くなったのか、危なげなく全勝でリーグ戦を突破、トーナメントを勝ち登り、決勝戦。
圧倒的に優勢な碁を何を勘違いしたのか、見誤り、負けてしまった。
年のせいかなあ・・・

 

2008年11月17日(月)
 前田君からのメールで現時点の成績が分かった。

 1位 杉山怜  8勝2敗
 2位 伊田篤  7勝3敗
 3位 東島優太 7勝3敗
 4位 木村健斗 6勝4敗
 5位 前田拓輝 4勝6敗
 6位 ビャンウォンケイ 3勝7敗
 7位 鶴田和志 3勝7敗
 8位 けんりょう 2勝8敗

それでもけんりょうは今週2勝。調子がもどったか・・・

今週水曜日はめいえん教室でのけんりょう研修会だ。
様子を見よう。

2008年10月8日(水)
 けんりょうから電話があった。
”前田君が予選を通過した”という。ちょっと悩んでいたとも聞いていたのでうれしい!

前田君に電話で聞いてみると、”9連勝した”という。

いよいよ10月18日から決勝戦が始まる。毎週2局、12月の初めには結果が出る。

前田君もけんりょうも頑張って欲しい。

2008年10月1日(水)
 9月28日(日)は名古屋での宝酒造杯の五段戦に挑戦した。
初の相手に負けてしまったが、その人の話によると、自分が二子置く人が少なくとも三人入っているという。
まあそうだろうな、力の差は3子以上あるメンバーが五段戦だろう。
運がよくないと優勝はできない。四段戦で優勝した数年前はツキがあったのだろう、と改めて思った。
 今回感じたのは、やはり負けない碁を打たなければならない、ということだ。

 その後幽玄の間ではその心がけか6連勝で、六段の中間まで上がってしまった。

2008年9月18日(木)
 昨日はけんりょう研究会だった。
今年の末はプロになっているか、判明していることになる。
1位だとすれば、めいえん子供教室から初のプロ誕生だ。

けんりょうプロ試験開始!
我がめいえん子供教室から初のプロが出るか!という、いよいよ日本棋院中部総本部院生の締めの熱い戦いが始まった。
一次リーグ戦は、9/13〜10月中旬。このリーグ戦はAリーグ8名が総当たり戦を行なう。毎週土日に4局、計14局対戦し、上位4名が決まる。

二次リーグ戦は、10月末より、この4名とシード4名の8名が同様に総当たり戦14局を行い、そのトップ1名がプロの栄誉を勝ち取ることになる。

けんりょうこと伊藤健良君はシード4人に入っており、他に伊田篤史、杉山怜、鶴田和志がいる。12月末には結果が出る。

フレーフレーけんりょう!


2008年8月13日(水)
 要輔が帰ってきて早10日が経った。
ゴミの処理もなんとか終わって、彼は職安通いだ。

 梅艶先生と英龍がヨーロッパ碁コングレスからやっとかえって来た。
ペア碁での準優勝、シルクロードと囲碁の伝承の発表などずいぶん活躍した模様。
先生ちょっと疲れ気味。

2008年7月27日(日)
 梅艶先生とその生徒達はスエーデンに昨日旅だった。
こちらは今朝は4時起きで三男の引っ越し手伝い。
1週間前をキャンセルして、体が空いた長男を連れて一路川崎へ。
1台のバンで行ったのに帰りは1tトラックを追加して2台。
なんと荷物と同じくらいのゴミの袋を運ぶ羽目になってしまったのである。
「便利屋」という職業が堂々と存在しているのをみなさんご存じだろうか。
今回初めてその存在を知った。
NTTのハローページにいくつも載っている。
電話してみたら、高い!固定費が2万5千円、一袋につき1.5千円。なんと7万円の仕事が30袋のゴミ処理である。
そうそうにキャンセルしてレンタカーを借りてうちまで運ぶことにした。
 レンタカーを返し、借りたバンを返し終えたのが午後7時。
 いよいよ明日から別の意味での戦争である。

2008年7月21日(月)
 幽玄の間は六段と五段の境界をうろうろしている。
先週の県囲碁選手権決勝大会は、永田君と一緒に車で行ったが場所を迷ってしまって慌ててしまった。
ナビが指している場所がルートがいつもと違っていてその場所もどうも違うような気がして、うちに電話して聞いてみたり、結局あっていて問題なく着くことができた。
 結果は私が1回戦、永田君が2回戦で敗退。トップの壁は大きい。
立命館の囲碁部はプロクラスの先輩が二人もいるらしい。
囲碁環境はいいようだ。後4年もすればずいぶん強くなっているだろう。
県代表になれるか・・・

 7月16日のけんりょう研究会では健良を中心に打ち碁と検討を行っている。
前田君は今年が最後の挑戦になるが、今Bクラスだから厳しい。健良はAクラスでがんばっている。
前田君一踏ん張りしてくれい。

2008年6月5日(木)
 幽玄の間での対局は最近楽しみだ。
現在30920点、後2回くらい勝てば31000点になる。
7月の静岡県選手権の決勝大会に照準を合わせて、調子を上向きにしておきたい。
最近詰碁を解けるまで考えることをやっているが、この効果は最近の勝率に反映されているようだ。

2008年5月17日(土)
 来年の世界アマは袋井のエコパで開催されることが決まっている。
来年の富士山静岡空港の開港に合わせ、国際的なイベントの一つとしてこの囲碁世界アマ第30回が静岡県で開催されることになったとのこと。
その第1回打合会が開催され、参加した。
日本棋院加藤事務局長、原田袋井市長、重野国際普及事務局長、八木静岡県囲碁連合会会長、ほか発起人の中村さん、中遠支部野中支部長、梅艶先生、24人の参加だった。
 約1週間のイベントで、その間対局はもちろんだが、選手のホームステイも含め地域の人とのふれあいを企画していく。

2008年5月14日(水)
 健良の研究会(院生の健良が来てくれて指導してもらう)。
今日は中国の大学でトップのアマ(優勝した)とインターネット対局行った。
梅艶先生の中国での教え子らしい。この間来日していて、そのときこの企画が約束されていたらしい。
彼がKGSで待っていて、こちらは幽玄の間で待っていたため、電話でやりとりしてやっと対局できた。
 序盤から落ち着いた打ち回しで、ずっと優勢を保ったまま終局、白番6目半勝ちだった。
ふつうに打てばいいんだな、という印象だったが、深い読みが裏打ちされているのは明らかだ。

2008年5月13日(火)
 今日は長男の正規登用合格祝いに室さんが来てくれた。
登用試験の年齢制限は31歳なので今回が最後のチャンスだっただけに、家族の喜びもひとしおだった。
時を同じくして、高山からのメールがすばらしい写真とともに届いた。
ホームページの写真がそれの一つだ。

 囲碁の方は明日健良の研究会だ。
一ヶ月一回にしたこの研究会も5月が終わろうとしている。
次は6月だと考えると大事にしないといけない。
 最近驚いたことはめいえん教室の大盤に並べられている詰碁だ。
小学3年生の5級の子が「分かった」と言っているのに、こちらと五段の中学生はまだ分からない。
不思議なものですねえ。
 明日は小品でちょっと難しい、(私にとってだけかもしれないが)詰碁を持っていこう、

2008年4月23日(水)
 今日はめいえんで研究会が行われたので、久しぶりに日記の更新(見てくれてる人もいるのだから?)。
この研究会は月1回健良を囲んで行おうというもので、子供たちはめいえん高段者、大人は希望者、といっても豊川から鈴木さん(八段格)と私と粂田さん。
健良と打った碁をみんなでわいわいつっつこうというものだ。
この中には梅艶先生も入られる。

 健良は今A組でもうすぐプロになろうという一歩手前の実力。
その実力のほどを見せてもらった。
相手は鈴木さんの一局。
序盤の途中に黒が白の領域に打ち込んだところからねじりあいが始まった。
取るか取られるかの争いの検討をしている変化図で、死にがある石だが一手三線にツケて切り取りに戻るとそのツケた石が働いて眼ができる。
この手を瞬間的に発見するのをみて周囲のみんなはその実力のほどを知らされたものだった。
次回は5月14日。
 
下の写真の詰碁は青木君がもってきた張栩の詰碁。「黒先白死」子供たちの間ではまだ結論が出てないそうだ。

2008年3月10日(月)
 今日は58歳の誕生日だ。昨日の静岡県六支部対抗戦は1勝3敗なれどチームは準優勝に輝いた。
この辺が団体戦のいいところ(^_^;)
30900点だった幽玄の間の成績は後2勝すれば31000点台に乗り、六段になる。
それがこの日誕生祝いか2連勝し、晴れの六段となった。

2008年3月1日(土)
 院生の健良も参加して、永田君の送別会の前段のハンディなしのトーナメントを行った。
優勝は健良、当然か。準優勝は恵斗、三位は永田君。
私も2回戦で永田君に最後の方で手が反対にいってしまって破れ(時間に追われると読みの一部に行ってしまう)、敗者復活戦で恵斗に破れて敗退。
 送別会は梅艶先生の紹介でサイゼリヤ。安くておいしかった。
参加してくれた人、永田君、梅艶先生、鈴木秀夫ご夫婦、粂田さん、武井父子、吉野、恵斗、山下、青木、健良、求君。


2008年2月11日(月)
 院生の前田君、健良君は二人ともAクラスでがんばっています。
さて、昨日は静岡県囲碁選手権の予選でした。
23名の参加の中から、3名を選出する戦いで、8名ずつの枠に抽選で分け、4名が一つのリーグ戦を行い、1名が枠抜け、もう一つのリーグの枠抜け者と決定戦を行うというものです。
私は残った3名のグループでラッキーでした。3名が1勝1敗の総すくみ。
くじ引きで当たった私はもう一つの枠抜け者もと院生の恵斗君。
結果は1目半白に残ってきわどく勝利を手にしたのでした。

2008年1月29日(火)
 中遠支部の1年1回の総会と名人戦が開催されました。
久しぶりに守安七段が参加され、楽しみです。
枠抜けしたのが守安七段と安間五段、私でした。
まず、守安七段と私は白番の私の負け。次に守安七段と安間五段は安間さんの攻めが利いて安間さんの勝ち。
安間五段に私が勝てば三すくみとなるところでしたが、切断の手を気づかず、負け。
安間さんの優勝、私は三位でした。

 ところで中部総本部と関西総本部の入段戦は中部総本部の熊本君が勝ち、入段しました。
我が前田君は今年が正念場。がんばれ、

2008年1月5日(土)
 正月休みもあと二日になりました。
埼玉から帰省していた二男夫婦が帰ります。
今年の正月は家族7人全員で下呂温泉に行きました。
下呂に入る少し前に雪のため用意しておいたチェーンを巻かなければなりませんでした。
説明書を雪の降る中読みながらの作業で男性4人全員が取りかかりましたが、新型のチェーンで操作が難しく、一時はどうなるものかと思いました。
手袋に解けた雪が沁み、パニックになりそうでしたが、長男の実行力はたいしたもので、ようやくつけることができ、無事ホテルまでたどり着くことができました。
いい思い出になりました。

2007年12月16日(日)
 めいえん忘年囲碁大会が開催されましたが、私は別の用事で参加できませんでした。
院生の健良が七段格で優勝、さすがに格がちがいました。
グランドホテルから磐田駅まで送っていく車の中、いろいろ話を聞きました。
 健良、前田君ともBクラスの1組に属していて、前田君は入段の制限である高2に来年なりますので、最後の挑戦の年になります。
がんばってほしいです。

2007年11月26日(月)
 昨日の中遠支部忘年囲碁大会はちょうど20人の参加でした。
A組、B組に分かれて、5人のリーグ戦で戦いました。
A組は優勝亀沢六段、準優勝赤堀、B組は優勝三浦五段、準優勝山内三段でした。

2007年11月23日(金)
 今日は甥の結婚式。浜松の八幡様でした。徳川家康の由緒のある神社で、葵の御紋が印象的でした。

2007年10月10日(水)
 先々週は秋期囲碁大会でしたが、ポカミスが出て3敗してしまいました。
先週は甥の結婚式で広島まで。宮島を案内してもらった囲碁の友人のDさん、ありがとうございました。
名物の穴子飯も有名な「うえの」でおいしくいただいたし、できたてのもみじ饅頭もおいしかったです。

8月26日(日)
 8月20,21日は夏の変則休みで、ハートピア長島でNTN囲碁交流会を開催しました。皆さんいろいろ都合が悪く、10人の少人数でしたが、終わってみるといろいろ会話ができて素敵な二日間でした。
優勝は亀沢六段、準優勝は山下四段、三位坂野五段、四位は同勝率の高橋四段でした。
今日は「西部地区子供囲碁大会」です。

2007年7月14日(金)
 先週の日曜日(7/8)は静岡県支部対抗戦でした。
5人1チームのノーハンディ(Aクラス)の団体戦です。B、Cクラスはハンディ戦で中遠支部から1チームが出ました。
出場メンバーは、亀沢、松森、鈴木(光明)、高橋、中村の5人。いつもの守安さん、鈴木高夫さんが不参加のいわば準レギュラー組。
初めて大将として戦わなければならなくなった私は1勝だけでも入れたいと思っていましたが、前半2連勝を上げることができ、昼食のときはこれでノルマを達成したよね、とみんなに言いました。
午後の部は三沢さん、静岡の渡辺さんでやはり力及ばず負けてしまいました。
チームも午前の部は3勝2敗で1勝、2回戦も3勝2敗で2勝を上げることができ、お互いノルマを果たしたね、と言い合ったものでした。
 今回の大会は子供たちの活躍が目立ちました。
優勝した三島チームは大将に山下君、三将に佐藤君と二人が高校生と中学生、また、Bクラスで優勝した三島?チームは全員が子供でした(下写真)。
来年はめいえんチームにも出てもらいましょう。


2007年5月14日(火)
 けいとは院生を断念したようです。
5月6日の子供大会に名前が出ていたので、確認したところその前の周にやめることにしたとのこと。
いい経験だったと思いますし、今後の彼の人生において大きな財産になったものと思います。
これからはアマの試合にどんどん出て活躍してね。

2007年5月7日(月)
 5月4日のNTN2007GW囲碁大会は11名の参加でした。
聞いてみると、皆さんあまりやっておられないようで、でもいざ開始となるとそう違和感はないようでした。
結果は久しぶりに、というか初めてではないでしょうか、石田四段が優勝でした。
5勝1敗で並んだ、石田、亀沢、坂野。勝ち点の差で石田君が優勝、準優勝が亀沢、三位が坂野さんでした。
賞品は前回評判だった掛川の地酒「開運」にしました。
おいしいです。

2007年4月30日(月)
 朝4時50分、「ローマ人の物語」第]巻の「はじめに」を読んで、まさに作者の塩野七生(しおのななみ)のすごさを感じさせる文章に感動したため、こうしてここに紹介しようという気になったのです。
「ローマ人の物語」を読んでみようと思ったのは、日経ビジネスに掲載された日産のゴーン氏と塩野氏の対談でした。
その中での塩野氏が15年間かけて15巻の「ローマ人の物語」を書こうと決めたという言葉でした。
T巻から\巻まで来た私はこの]巻の冒頭に書かれた「はじめに」に、その塩野七生のすごさをまた感じました。
それでは少し長くなりますが、紹介しましょう。

 はじめに
 今回は、著者である私にとっての問題点を、読者であるあなたに向かって、はじめから正直にさらけ出そうと思う。もともと著作とは、著者と読者の双方があって成り立つ表現様式だが、この第]巻はとくに、私にはあなたの助けが必要だ。というのは、この巻だけは、、これまでの九巻と、またこれ以後につづく五巻ともまったくちがう、構成にならざるをえなかったからである。
 全十五巻を予定している「ローマ人の物語」中の一巻を、ローマ人が築き上げたインフラストラクチャーのみに捧げたいという想いは、第T巻の「ローマは一日にして成らず」を書いていた当時から私の頭の中にあった。そしてその巻のタイトルも、「すべての道はローマに通ず」にすると決めていた。社会資本と訳そうが下部構造と訳そうが、インフラストラクチャーくらい、それを成した民族の資質を表すものはないと信じていたからである。
 とくにローマ人は、インフラの重要性への認識ならば共有していると言ってもよい現代人から、「インフラの父」とさえ呼ばれている民族なのだ。インフラストラクチャーという英語自体が、ローマ人の言語であったラテン語の、下部ないし基盤を意味する「インフラ」と、構造とか建造とかを意味する「ストゥルクトゥーラ」を、現代になって合成した言葉なのである。英語以外の他の言語でも、発音が少しばかりちがってくるだけにすぎない。例えば、ラテン語の長女ともいえるイタリア語では、インフラストゥルットゥーラという。いずれにしても、語源がラテン語にあるということ自体が、ローマ人が「インフラの父」であったという何よりの証明であり、このテーマだけに独立した一巻を捧げる理由は充分にあると思ったのであった。
 ところが、「古代ローマのインフラストラクチャー」と題した著作は一冊もない。インターネットで欧米の有名大学の出版部門にアクセスしても、返ってくる答えは「該当作なし」ばかりである。二十世紀は各時代の専門家を動員してそれぞれの専門テーマを書かせてそれをまとめる形の歴史叙述が支配的だったが、この種の通史でも、ローマのインフラだけをとりあげた章すらもない。なぜ誰もとりあげないのだろうと、私は不思議に思ったのであった。と同時に、得意にもなった。研究者たちが挑戦しなかったことに、私が挑戦しようとしているのだから。
 それが、勉強が進むに連れてわかったのである。研究者たちが挑戦しなかったのは、ローマのインフラの重要性を認識しないからではまったくなく、このテーマを総合的に論ずることの不可能を知っているからだということがわかったのだ。反対に、「すべての道はローマに通ず」と題して一作書くと考え、この思いつきに得意になっていた私は、それこそ、盲、蛇に怖じず、であったと。
 では、なぜ不可能か。
 ローマ人の考えていたインフラには街道、橋、港、神殿、公会堂、広場、劇場、円形闘技場、競技場、水道等のすべてが入ってくる。ただしこれはハードとしてもよいインフラで、ソフトなインフラになると、安全保障、治安、税政に加え、医療、教育、郵便、通貨のシステムまでも入ってくるのだ。これらすべてをとりあげないかぎり、ローマのインフラを論じたことにはならない。
 ところが現代の学問は、専門家と、そしてその帰結である細分化が特徴である。それゆえに、この”不可能”を克服するために学者たちがとった方法も、誰かが街道をとりあげれば、別の誰かは橋を研究課題にするという具合の細分化であった。そして、細分化の行き着く先が技術論に向かうのも当然で、ローマのインフラの何か一つを技術面でとりあげた研究書ならば、ゴマンとあるというのが現状になった。
 しかし、研究者の世界でのこの現状は、素朴であるがためにかえって根元的としてもよい、疑問には答えてくれないくれないことになる。ローマ人はなぜ、人が踏み固めた道ならばすでに存在していたにかかわらず、わざわざ膨大な資金と労力を費やしてまでローマ式の舗装道路を敷きつめていったのか。また、そばをテヴェレ河が流れ、七つの丘のそれぞれからしみ出す水の処理法を考えざるをえなかったほどに水に不足しなかったローマであるのに、ローマ式の水道工事に労力を費やしてまでわざわざ遠方から水を引いてくることを考えたのか。これらの根元的な疑問には、少しも答えてくれないことになったのであった。
 ”不可能”の理由の第二は、叙述の困難さにある。歴史とは、歴史という名の上流から下流に向けて諸々の事象が流れるから書けるのだが、インフラをテーマにするや、それらが流れなくなってしまう。言い換えれば、時代を追って叙述することができなくなる。街道を例にとるだけでも、紀元前三世紀から紀元後五世紀までの八百年間を、行ったり来たりしないかぎりは書けない。
 要するに、ローマ人が築きあげたハード・ソフトとものインフラをとりあげようとした場合に直面する困難とは、ヨーロッパ、中近東、北アフリカにまたがるローマ世界と、一千年を越えるローマ時代という、空間的にも時間的にも広大な範囲を、自在に泳ぎ回るに似た能力を求められるところにある。これをやっていたのでは、専門分化がいちじるしい現代の学会では非学問的と断定されかねないので、学者たちはやりたくないのだと思う。また、それでもなお挑戦した場合でも、あまりに広大なテーマであるだけに、結果は表面をなでた程度で終わる危険性は大なのだ。
 この難問は、学者でない私の場合でも、無視は許されない問題であった。なぜなら、執筆時にすでに困難をともなわないではすまないということは、それを読むにも困難をともなわないではすまない、ということになるからである。売文業にすぎない私の仕事にとっては、明らかに不利だ。私の場合は、書いた結果が眼もあてられないものに終わる危険性大に加え、読み通してもらえない危険性も大になるからである。私の得意はたちまちしぼみ、専門家でさえも挑戦しようとしない困難なテーマに私ごときが挑戦できるはずはないと、「すべての道はローマに通ず」と題する一巻は、断念するしかないだろうと思いはじめていたのであった。それが、あることを調べていているうちに変わったのである。
 ローマ人は、現代人から「インフラの父」と呼ばれるほどインフラを重視した民族だった。インフラストラクチャーという合成語をつくるときも、ラテン語から引いてくるしかなかったほどに、ローマ人とインフラの関係はイコールで結ばれていると言ってよい。すべての道はローマに通ず、の一句は、誰もが知っているように。
 ならばそのローマ人の言語であるラテン語に、「インフラ・ストゥルクトゥーラ」という言葉そのものがあって当然と思うが、それがないのである。なかったから、現代になってつくらざるをえなかったのである。
 しかし、あれほどの質と量のインフラをつくっておいて、それを表現する言葉がないというのはおかしい。言語とは、現実があって、それを表現する必要に迫られたときに生まれるものだからである。そう思いながら探してみたら、ある言葉にぶつかった。
「モーレス・ネチェサーリエ」という。日本語訳を試みれば、「必要な大事業」とでもなろうか。しかもこの言葉を用いた文章の一つでは、「必要な大事業」の前に、「人間が人間らしい生活をおくるためには」という一句があった。つまり、ローマ人はインフラを、「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と考えていたということではないか。
 このことは私を、しばらくの間考え込ませるに充分だった。それまではずっと私の頭にあった言葉は、現代になっての合成語であるインフラストラクチャーの語源としての、「インフラ」(下部)と「ストゥルクトゥーラ」(構造)であったのだ。と同時に、歴史学者たちの言う、「ローマ文明の偉大なる記念碑」という讃辞だった。
 ところが、当のローマ人の書いたものの中には、文献にかぎらず碑文の中にも、後世に遺す記念碑を意味するような語は一つもない。ローマ人は、後世への記念碑を遺すつもりであの大事業を行ったのではなく、人間らしい生活をおくるためには必要だからやったのだ。それが結果として、ローマ文明の偉大なる記念碑、になったにすぎない。
 私は、この考えにたどりついたときはじめて、いかに不十分な結果に終わろうとも、ローマのインフラのみをとりあげた一巻は書かねばならない、と思ったのであった。
 もう一つ、書こうか書くまいかで迷っていた時期の私を、その迷いからふっ切らせたエピソードがあった。数年前だったが、将来の首相候補と世評が高かった日本の政治家の一人と会っていたときだ。その人は私に、総理大臣になったら何をすべきと思うか
、とたずねた。私は即座に答えた。
「従来のものとは完全にちがう考え方にたった、抜本的で画期的な税制改革を措いて他にありません」そうしたらその人は言った。税の話では夢がない、と。私は言い返した。
「夢とかゆとりとかは各人各様のものであって、政策化には欠かせない客観的規準は存在しない。政治家や官僚が、リードするたぐいの問題ではないのです。政治家や官僚の仕事は、国民一人一人が各人各様の夢やゆとりをもてるような、基盤を整えることにあると思います」
 その後に発表されたこの人の政見を読めば、私の助言は無駄に終わったことはわかったが、このエピソードは、ローマ史を書くうえでは役に立ったのである。なぜなら私に、次のことを考えさせたからであった。
 古代に生きたローマ人は、「公」と「私」の区分を、どのように考えていたのか。そして、この疑問への解答は、これらローマ人が、「人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義していた彼らのインフラをとりあげることで、得られるのではないかと考えたのである。
 
 それで、読者であるあなたにお願いしたい。
 お願いの第一は、書くのが困難であるからには読むのも困難であるはずで、一気に読了するとか手に汗にぎるたぐいの快感は、戦闘描写の多かったU、W、X巻を読むときのものとでも思って、今回だけはこの種の快感は期待しないでほしいということである。
 お願いの第二は、読むあなたの頭の中に、二千年の歳月を収めてほしいということだ。ローマ街道の話かと思っていたら、十九世紀半ばからの鉄道に話がとぶなどは、ほんの一例にすぎない。
 お願いの第三は、同じくあなたの頭の中に、世界全図を収めてほしいということである。西方の大国のローマと東方の大国であった支那の比較論を読まされても、抵抗なく受けとめてもらえるように。
 第四だが、インフラというテーマの性質上、文章で説明するよりも図や写真で示したほうが理解が容易な場合が多い。それゆえに、膨大な数の地図や図面や写真を載せざるをえなく、おかげで書物らしくない書物になってしまったが、それは許してほしいとお願いしたい。この巻だけは性質がちがうことを示すために、表紙の装幀も変えたほどである。
 要するに私は、読んでくれるあなたに向かって、まだ読みはじめもしない前から、覚悟してください、と告げているのだから、著者としてはこれほど奇妙な言明もないことになるが、迷いに迷った末にしても、やはり書くべきだと思ったのだからしかたがない。だが、一つ一つの説明にしんぼう強くつき合い、しかも地図や図表を参照しながら読み進む労を惜しまないでくれるならば、あることだけは約束できる。
 すべての道はローマに通ず、の「道」とは、道路の意味だけではないことを、そしてそれが、ローマ人の真の偉大さであることを、わかってもらえることだけは約束できる。

・・・・大変長い文章でした。ごくろさまでした。もう6時39分になります。3時半から起きてしまって、もう眠る時間もなくなりました。今日は休みだからまあいいでしょう。(^_^)

2007年4月28日(土)
 先週の日曜日は朝日アマの予選でしたが、子供たちは枠抜けできませんでした。
私も最近打ってなくて、出場しませんでした。
最近囲碁の方に気が回らなくて(^_^;)でも今度のゴールデンウィークはNTN囲碁大会です。
久しぶりに頑張ってみましょう。

2007年4月1日(日)
 韓国から戻ってきた子供たち。まだ感想を直接聞いていませんが、N田君は全敗ながらも、勝てない相手でないという頼もしい感想をメールしてくれました。
梅艶先生お疲れさま。今回の韓国修行で刺激を受けた子供たち、きっと棋力向上につながることでしょう。

2007年3月27日(火)
 今めいえん先生に連れられて韓国の子供たちと対局している子供たちは11名。
現在の携帯でメールがつながります。
写真も送っていただいたけど、それをHPに載せる手段がなく、そのまま(^_^;)
韓国の子供たちは強いですねえ。今日の成績は1勝39敗だったそうです。
その貴重な1勝は嵯峨俊信君。

 こちら院生の話題ですが、けいともB1に昇格したそうです。
おめでとう(^_^)
もうすぐ始まる対戦、頑張って欲しいですねえ。
前田君がBに落ちて、けんりょうがAに上がったそうです。
けんりょう君おめ(^_^)
前田君もすぐ復活するでしょう(^_^)

2007年3月16日(金)
 昨日新穂高ロープウェイの頂上から撮った北穂高。きれいでしょう。
感動しました。この山の奥には槍ヶ岳が見えます。
次の日は低気圧の関係で大雪。
ラッキーな一日でした。

2007年3月11日(日)
 奥飛騨から帰って早めに寝ました。
やはり疲れていたのかなあと今思います。
新穂高ロープウエイは雨が降る前で正解でした。
晴れていて、2000mの頂上から眺める北アルプスの山々、槍ヶ岳、北穂高、焼け岳すごい眺めでした。
翌日の今日、朝起きてみると一面雪景色。
車の上には15cmの積雪。
チェーンは用意していたのですが、左の道は峠が通れないでしょうという。
右の道は高山まで40分余分にかかるけれど、流れ葉スキー場の横の峠はそれほど高くないのでいいでしょう、ということで、そちらのコースを取ることに。
結果は4WDのレガシイ、結局チェーンは巻くことなく通り過ぎることができました。
朝5時の雪降る中の露天風呂。
冷たい中の暖かいお湯に浸っていると、林の木々の上から落ちてくる雪のなんとも優雅な風情でした。
北穂高(2007.3.10)
2007年2月13,14日(火、水)
 名古屋で知的財産講座を聞きに行きました。
メルパルク名古屋ホテル。きれいなところでした。
 さて、院生の結果はすでにご存じだと思いますが、残念ながら前田君は7位に終わったようです。
合格者の1名は大澤さん(25勝3敗)でした、おめでとうございます。
前田君もまだ経験が少ないのでしっかり勉強して、次回〜次次回を狙ってください。

 県囲碁選手権の予選はたなか君がみごと予選を通過しました。
静岡での決勝大会は強豪ばかりですが、1回戦は突破するように期待しています。

2007年1月22日(月)
 昨日は第1回都市対抗戦静岡囲碁大会に参加しました。
掛川、袋井、磐田チーム10名の団体戦です。
結果は6チーム中5位でした。
個人としての成績は、1回戦H吉さん、昨年の静岡県囲碁選手権者で、2回戦はM澤さん、静岡県の第一人者、3回戦は中学生トップの一般に混じっても優勝したことがあるY下君で、チャンスがあったのはY下君がミスしたときの一瞬くらいでした。
結局三連敗、最後の4回戦で静岡チームに何とか勝ちを拾ったものの情けない(当然か)結果でした。
 永田君は高校生の位置で4連勝。立派です。
毎日新聞主催で今年から始まった大会で、全国大会にもここから参加できるようにしたいと静岡支店長のお話でした。
決意表明する永田君、優勝した三島・沼津チーム、佐藤さん六年生三段
2007年1月20日(土)
 明日は都市対抗囲碁大会のメンバーとして出場します。
高校生代表永田君、中学生代表たなか君と一緒に来るまで静岡まで行く予定です。
この対抗戦は10名をメンバーとして揃えます。
60代以上から中学生まで、女子を1名入れなければなりません。
メンバーを紹介しますと、日比野、伊藤、亀沢、安間、高橋、匂坂、峰松、永田、田中、富田の10名です。

12月18日(月)
 中国旅行の反省会をかねて、めいえん忘年囲碁大会がつま恋で開催されました。
総勢30名弱。
囲碁の熱が落ちている今、つまらないミスを連発して三連敗でした。
宴会から森林の湯、そしてその後の遊びの碁、朝の起床、たのしいひとときを過ごすことができました。
皆さんありがとう、いい出会いもできました。
 
 来年の1月4日にはNTNの新春囲碁大会を開催します。
遠くは高山から参加してくれます。久しぶりに楽しい出会いになりそうです。

12月11日(火)
 忘年囲碁大会が囲碁サロン梅艶で開催されました。
初めて参加しようと出向きましたが、予約しておかないと24名の枠しかないので入れないのでした。
最近、少し囲碁に距離が出ていましたので、成果の方も期待できないので無理にお願いしませんでした。
結果は、囲碁サロン梅艶のページに掲載しました。
相変わらず永田君の独壇場のように見えます。

 最近は宮本輝の小説にはまっています。
ここ2ヶ月で20冊くらい読んだでしょうか。常に4冊くらい枕元にあります。
寝る前とか、朝早く目が覚めたときとか結構読めます。
以前は囲碁の本でしたけど、小説は流せばいいので楽です。

10月30日(月)
 梅艶先生から今日の永田君の対局ぶりの連絡がありましたので、お伝えします。
三子局、相手は村松七段、黒第2手は天元、いつもの得意の戦法だ。
中盤までは完ぺきだったそうです。
白の弱点をついていればそれで終わり、くらいのところだった。
その後白は地をとり、補強しながら、終わってみれば、3目負け。
惜しい碁でした。
記録、時計係は石塚君と古田君、解説は高梨八段、聞き手は重野二段と梅艶先生。
大変盛り上がったそうです。
 ぜひ休んで行ってみたかったですけどね。
以上、報告いたします。

10月29日(日)
 ねんりんピック中日(なかび)です。
囲碁は袋井市で行われました。

今晩「さのや」で帰りに市長に聞いたんですが、囲碁を袋井市でやることに決まったのはもう8年前だそうです。
ねんりんピックもそんな時間をかけて推進されていることを知ってびっくりしました。

10月14日(土)
 院生の情報です。
プロ試験リーグのまえだ君は3勝7敗でちょっと厳しい状況です。
トップだけに与えられる入段は熊本君が現在9勝1敗で有利。
けんりょうはB1リーグ、けいとはB2リーグで頑張っています。

10月9日(月)
 やっと終わりました。次男の結婚式、今日は兄弟たちが九州に帰った日。
写真をちょっと掲載しました。

10月1日(日)
 1回戦に勝って2回戦に進出。相手は佐藤君。
序盤で大石が死んでもがきましたが投了です。
集中力が足りません。
 2回戦で山下君と田内さんの様子を見ていました。
そつのない打ち方です。山下君の勝ち。

 TAUCさんからビデオテープを預かりました。
高校囲碁選手権決勝の様子が移っています。
解説は大淵プロです。
あさって持っていくことにしましょう。

9月30日(土)
 明日は静岡県囲碁選手権の決勝トーナメントです。
今日はタイジェムで3局打ちました。5段に負けて、4段に2勝。
昇段して、5段に戻りました。
1段違うと相手の壁が大分違います。
4段は自分もそうですが、無理に勢いで行ってしまう事が多いですね。
 見付の祭に誘われていましたが、明日のこともあって申し訳ないけど断りました。
張九段は死ぬ気で戦ったと言っていました。
そんな気合いは出せないでしょうけどそんなつもりで打ってみたいです。

9月26日(火)
 掲示板に本人からクレームです。
8人と2局ずつ対局するのではなく、4局ずつ対局するのだそうです。
とすれば全部で28局、現在8局終わっているのであと20局あります。
見てくれていることが分かり、ほんのちょっとうれしい。

9月24日(日)
 今日は日本棋院中部総本部に行ったので、前田君の様子を聞いてみた。
Aクラスのリーグ戦を戦っていて、今年はこのリーグ戦のトップがプロになれる年なので、プロ挑戦リーグとなっている。
残念ながら、前田君は3勝5敗。全部で8人と2局ずつ対局する中でのこの勝率は厳しい。
トップは全勝の熊本君。前田君には短期間でのさらなる力アップが望まれる。
ふれーっ、ふれーっ、マ・エ・ダ!

9月21日(木)
 昔の人はよく言ったものです「寒さ暑さも彼岸まで」
今朝はほんとに涼しい。毎日の犬の散歩でよく分かります。
それと不思議なのが彼岸花ですね。
9/20前後になると一斉に花を咲かせます。
その生命力はどこから来ているのでしょうか。
先週の土曜日9/16に草刈りをして根本から切った株から
4日後の9/20には茎も20cm伸びて花を咲かせています。
すごいですね。

9月3日(日)
 今日は囲碁と関係ない話です。
実は静岡のグランシップに行って来たんです。
大挙拳の先生の10周年記念公演があったので、見に行ってきました。
東京、京都、岡山、広島から教えを受けた人たちの演技もあって、また中国からも1級の人たちの演舞も見ることができました。
柔らかい動きの中に強さがあるという感じかな。
激しい演技もありました。
ひとつの道を究めていくと美しいですね。
因みに先生の名前は周先生、中国から10年ほど前に日本に見えました。
そうそう、会場で演技に参加する生徒さんから、「周先生の旦那様ですか?」と言われてしまいました。
年は一緒なんですが・・・・まさかまちがえられるとは・・・光栄です。

8月27日(日)
 全国大会では永田君、千田君、神野君三名の東高は準優勝という快挙を成し遂げました。
よかったですね。

 舘山寺のホテル九重で行われました碁聖戦を梅艶先生、永田君、たなか君と見に行きました。
きれいなところでした。高そう・・・
安藤君、院生のけんりょうとも会うことができました。
7月24日(月)
 練習台になったのが良かったのだろうか、磐田東高の団体戦は県で優勝し、個人戦でも永田君が優勝しました。
今週7/25,26,27が全国大会です。
楽しみにしておきましょう。

 院生の最上級クラスに入って初段を目指す前田君は夏休みにめいえんに来ると言っています。
こちらも楽しみです。

 今週碁聖戦の対局が浜松舘山寺で行われます。
休暇を取って見に行く予定です。

5月30日(火)
 昨日梅艶プロから聞いたのですが、院生のたなかくんはやめたそうです。
力は強かったのですが、まだ全体の構成力が足りないかなと思っていましたが、それにしても残念です。
勉強の方が落ち着いたら、これも良い経験にして囲碁を楽しんで貰えたらいいかと思います。
アマの強豪になるのは確実です。

5月29日(月)
 めいえんチームとして21世紀クラブとの対抗戦。
浜松プレスタワービル15階からの眺めはすばらしい。
夕方6時に集合して、食事のあと2局打ちました。
1勝1敗、INAさんとは大会で顔を会わせ、サンサンの話をする程度で、今回初めての対局でした。
サンサンでの点数は彼は私より5点上の370点台。
握って私の白番。
中盤薄い白を攻めて1子ポン抜いたときは勝ちを予想してあとは固く打てばいいかとヨセていきましたが、結果は4目半足りません。
形勢判断の甘さが相変わらずです。

 永田君との5番勝負は先々週終わり、3局ストレート負け。
試合前の調整役でしたからちょうどよかった(^_^;)
永田君、今日の新聞で知りましたが県高校囲碁選手権西部地区予選で優勝。
私との調整がうまくいったのかな、いずれにしてもうれしいです。

5月13日(土)
 連休が終わって1週間、囲碁の方は本因坊戦第1局が高尾本因坊の勝ちに、個人的には高2永田君との五番勝負を始めました。
5月10日に第1局は黒番でしたが、ツメを逃がして中押し負け。
第2局は本日夜行います。
永田君の大会に向けての練習になればという先生の配慮です。・・・どうなることやら

4月30日(日)
 ずいぶんご無沙汰していて、訪れている人には申し訳なく思っています。
 さて、報告は2件、ひとつはNTN vs ヤマハ対抗戦がNTNの優勝で終わりました。
7人の勝ち抜き戦です。結果は以下の通り。
       NTN            ヤマハ
第1回戦 吉田(白)         澤田(黒)  黒中押し勝ち
第2回戦 森田(白)         澤田(黒)  白中押し勝ち
第3回戦 森田(黒)         鈴木(白)  白5目半勝ち
第4回戦 櫛田(黒)         鈴木(白)  黒1目半勝ち
第5回戦 櫛田(白)         中村(黒)  黒3目半勝ち
第6回戦 石田(白)         中村(黒)  白中押し勝ち
第7回戦 石田(黒)         武井(白)  黒中押し勝ち
第8回戦 石田(白)         金 (黒)   黒中押し勝ち
第9回戦 坂野(黒)         金(白)    黒中押し勝ち
第10回戦 坂野(白)        太田(黒)  黒中押し勝ち
第11回戦 亀沢(黒)        太田(白)  白中押し勝ち
第12回戦 守安(白)        太田(黒)  白中押し勝ち
第13回戦 守安(黒)        稲葉(白)  黒中押し勝ち

 もう一つは「朝日アマ名人戦」です。
西部地区から5名が県大会に参加できます。
1勝で決勝トーナメントに、2敗で権利なくなる方式です。
何とか1勝してトーナメントに出たものの2回戦で敗退してしまいました。1目半負け。
それに勝てば決勝進出でしたのに・・・
 西部地区第一人者三澤さんの戦いぶりを側で見ていてすごく参考になりました。
手拍子はありません。常に「碁の深さに怖れをいだいて」いるかのようにひとつひとつ慎重に打っていきます。
指運というようにどう展開するかわからない深さがある碁。
対戦相手にというよりその「碁」というものに敬意をもって接しているという姿勢。

4月16日(日)
 昨日の対局は、坂野さんvs太田さん 惜しくも坂野さんの負け。
亀澤vs太田戦は最後の半目争いで、白のコウダテを黒の地の中に生きを求めるというものでした。
地の計算をするも85目対75目だった(終局後確かめてわかった)のを目算できず、細かいという感じで生きはないという判断でコウをツぎました。
結果は黒地の中で白の活き。
終局ご検討しましたが、やはり生きはあるという結論でした。
コウを譲っておけば一目半の勝ちでしたのに。(^_^;)

 さて、来週はフィナーレとなります。守安vs太田戦で守安さんが勝てば、ヤマハの稲葉さんの出番となり、大将戦になります。
大将戦の時はめいえんプロの大盤解説があります。
皆さん参加をお願いします。

4月2日(日)
 昨日の好天気がうって変わって雨が強い一日になりました。
昨日の土曜日はヤマハ対抗戦の第7,8回戦が行われました。
その前に第5,6回戦(3/25)の結果を報告しなければなりませんね。
櫛田さん、善戦するもヤマハ中村さんに惜しい3.5目負け。
第6回戦は4番手の石田さん。序盤から順調に優勢を築いてきて、唯一危なかった攻め合いでめいえんプロの指摘通り、危うく拾って中押し勝ち。
第7回戦はヤマハ武井さんに勝ち、第8回戦はヤマハ金さんに負け。(私が出席できなかったので詳細はめいえんプロの講評を待つことにしましょう)
控えに来ていたNTN坂野さんが見えていて、第9回戦もその日に行うことになりました。
結果は、NTN坂野さんのきわどい勝ち。来週は坂野さんとヤマハ6番手太田さんの対局となります。
NTN側はあと三人。圧倒的に有利?

それでは、現在までの勝敗をまとめてみましょう。
       NTN            ヤマハ
第1回戦 吉田(白)         澤田(黒)  黒中押し勝ち
第2回戦 森田(白)         澤田(黒)  白中押し勝ち
第3回戦 森田(黒)         鈴木(白)  白5目半勝ち
第4回戦 櫛田(黒)         鈴木(白)  黒1目半勝ち
第5回戦 櫛田(白)         中村(黒)  黒3目半勝ち
第6回戦 石田(白)         中村(黒)  白中押し勝ち
第7回戦 石田            金       金さん勝ち
第8回戦 坂野            金       坂野さん勝ち

2006年3月31日 (金)

 今日は3月にしては冷たい日です。

朝の犬の散歩はおシッコとポテンを終わったら早々に戻りました。

桜はこの寒さで寿命が延びたことでしょう。

明後日の「森のさくらまつり」はグッドタイミングになりました。

例年遅くて散ってしまったり、早すぎてまだ八部咲きだったり、なかなか合わせるのが難しいものでしたが。

 まえだくんから連絡が入り、Aクラスの昇級したとのこと。おめでとう!

先週からAクラスでの対局を開始しているとのこと。けんりょうはB2、たなかくんとけいとはC。CクラスはC1とC2が統合されたそうです。

 まえだくんは名古屋であの有名な島村囲碁クラブで鍛えてもらっているし、けんりょうは吉岡薫七段の内弟子に入ったというし、だんだん楽しみになってきました。


2006年3月20日(月)
 一昨日はヤマハ対抗戦の第3,4回戦でした。
1回戦(3/11)は吉田さん善戦するも、最後にボンミスで数子とられてしまい、勝局を逃がしてしまいました。
2番手の森田さん、2回戦を順調に撃破。
第3回戦(3/18)は相手はヤマハ2番手の鈴木さん、惜しい碁でした。ほんとに最後に白のキリに黒地を食い破られてしまいました。
あとで検討するに、防ぐ手はありました。惜しかったです。
第4回戦は3番手の櫛田さん。日頃は5子置かせている相手ですので、余裕での打ち回しでしたが、危ないところでした。
差は1目半だけ。下手すると負けになっていた1局でした。

2006年3月1日(水)
 農心杯で依田紀基プロが優勝しましたね。
決勝の李昌鎬との黒番は凄い碁でしたね。並べてドキドキしました。
その前の孔傑との決勝前の白番も凄いコウのフリカワリで、最近の依田さんはこんな厳しい碁を打っていたのですか。
影響を受けて今日はそんな雰囲気の碁を2局打ちました。
幽玄の間で、勝ちを拾いました。
何気なく打っていたところをもっといい手がないか探すようになったのが大きいです。
ちょっと強くなったかな。

2006年2月28日(火)
 久しぶりに梅艶先生に会いました。
中国に帰省されて2週間あまり、英龍君も元気でした。
今度「ヤマハ−NTN対抗戦」を行うことになり、メンバーを集め、7人集まったので報告に行ったのです。
農心杯と同じ勝ち抜き戦です。
その棋譜と解説を付けてもらいます。
メンバーは吉田、森田、櫛田、(田が3つも続きましたね)、石田(4つか(^_^)、坂野、亀沢、守安と強豪?
さて、どうなるか・・楽しみです。
今度の土曜日から始まります。

2006年2月20日(月)
 昨日で院生リーグ戦の1期が終了。
4人とも残留となったようです。
先日のプロになった志田君の席が空き、繰り上げでけんりょうがB2クラスに昇格。
初めてのB2で成績は6勝2敗、がんばってます。
たなかくんB1、けんりょうB2、けいとC1、たなかくんC2・・・・やはり家からの通いだと住み込みに比べハンディでしょうね。
できれば囲碁漬けにしてみたいものです。

2006年1月29日(日)
 今日は中遠支部の総会と名人戦、段級位認定大会でした。
名人戦の部ではなんと私が守安さんなど強豪を抑えて優勝してしまいました。
しかも代々の優勝カップの取りきり戦でしたのでそれももらいました。
直径20cmもある大きなカップで、部屋に飾るのはちょっと大きすぎるくらいです。

2006年1月19日(木)
 たなかくんとなかなか連絡が取れませんでしたが、昨日やっと携帯がつながりました。
受験勉強で忙しかったらしい。
まえだくんはB1に上がったとのこと。おめでとう!
けんりょうは上位の人のプロ試験の結果で、運が良ければB2に上がるとのこと。
たなかくん、けいとは現状維持。

 久しぶりに声を聞いて、みんな元気にやっていることが確認でき嬉しく思いました。

2006年1月4日(水)
 正月休みも今日で終わりです。
喪中につき初詣、新年の挨拶など年賀行事が何もないので静かなゆっくりした正月でした。
最近は日本棋院の「幽玄の間」で良く対局します。
時間が短いのが多く、気軽に打てるのが利点。
黒番だとやはり5の五の布石がほとんど。
この間は関西棋院院生と打ちましたが中盤までは勝勢でした。
攻めの効果は大きいですね。
でもさすがに院生。後半のまとめには脱帽でした。

 今年の目標はサンサンの370点、「幽玄の間」では6段を目指したいと思います。
中部総本部の院生4人はどこまで行ってくれるか・・・Aクラスに2人、しかも一人は上位に行って欲しいですね。

2005年12月11日(日)
 今日は春野町で親戚の1周忌で、そのあと午後からめいえん忘年囲碁大会に出席しました。
七段での対局準決勝で序盤での相手の無理をとがめて必勝形でしたが、俗筋での取られを見逃していて要石が取られ万事休す。
3位決定戦では永田君と当たりました。
こちらの黒番で相手の得意の三連星で対戦。結果は中押し勝ちでした。ひとつ星を返してほっとしました。
 この三日間はほんとに忙しい日々でした。

2005年12月10日(土)
 昨夜は忘年会で12時過ぎでした。朝早く起きてOB会。スコアは風もあってというか、ショットが崩れており立て直すことができずダメでした。
その後めいえんで対局。永田君とでしたが、全然見えておらず、負け、2連敗となりました。

2005年12月3日(土)
 今日は院生のリーグ戦は休み。
まえだくんと対局しました。互先でいいの?と聞きながら白番で始まった一局。
相手はミニ中国流。さすがに強くなったなあという印象を受けました。130手くらいで投了。
 今日は千田君が来たのでリーグ戦を打つことに。黒番が当たった私はいつものように5の五の布石。
千田君も強くなりました。呉清源の21世紀の布石を良く並べているとのこと。
序盤から地を稼いだ黒の中に手を着けてものにされたものの、あわや逆転?、1目半残りました。
これで先週1敗(永田君)、今週1勝の五分となりました。

2005年11月27日(日)
 今日は中遠支部忘年囲碁大会でした。
私が名古屋での協和発酵杯に参加した同じ日の秋季囲碁大会では7人しか集まらなく、寂しかったという報告を聞きましたが、今回は15人。
それでもまだまだ少ない大会でした。
優勝は守安七段、準優勝は高橋六段、三位は亀沢六段でした。
 さて、院生の方は、まえだくん3勝1敗(調子がいいね)、けんりょう1勝3敗(がんばれ)、たなかくん4敗(ドンマイン:攻撃が空回りしているか)、けいと2勝2敗(まあまあ)という結果でした。

2005年11月25日(金)
 今日は永田君と久しぶりに対局しました。
黒の三連星にこちらもミニ中国流で模様の張り合いに。結果は1目半の負け。
定期的に打っていこうという事にしています。
 さて、囲碁データベースの囲碁端会議のosobaさんの記事を紹介しましょう。
面白いですよ。


>それにしても、「古力の場合は攻めよりシノギに入ったときの方が目をみはるものがあります」には意外というかそういう1面もあるのかとますます彼の碁に興味がわいてきました。
>
> GuLi
さんはいろいろと中国の碁に詳しそうなのでついでにお聞きしたいのですが、中国の碁の質といいますか全体的な碁風はどんな感じなのでしょうか? 日本の碁とは布石の構想や考え方からかなり違いがあるのでしょうか?

Guli
さんへのご質問だが、私なりの考えを言わせて頂くと、80年代以降の世代別の視点から解析して見よう。
周知の通り、80年代の碁は、日本スタイルを中心に研究をされていた(韓国も同じ)。ただ、陳祖徳を代表とした7080年代前半の棋士は、日本スタイルの所謂「基礎」的な部分を欠け(今みたいな情報発達社会ではなかったのと、政治歴史の原因により日中間の交流が少なかったといった理由として思われる)、日本の碁の精華とも言う「カタチ」への把握、意識などが薄いことからして、中国元来の碁の色--「チカラ」を思う存分に発揮し、それにある程度に現代的なコンセプト「カタチ」を吸収し、70年代後半から、日中交流戦において、陳祖徳などが日本人棋士(9段を含め)勝てるようになった。それまでの全く歯も立たなかったことから、一転して日本の一流棋士と良い勝負まで持ち込めるようになった。が、所謂日本の「超一流」棋士との差がまだ大きく、それは何かというと、「大局観」のセンスが欠いたからだ。ところで、80年代に入り、聶衛平の台頭により局面が大きく変わった。聶衛平の碁は完全に日本スタイル、所謂「カタチ」重視を徹底的に自分の碁に加えいれ、戦わずに相手を屈すという概念をよく理解した上、抜群の「大局観」を用いて、中国の碁界を君臨するようになった。特に布石、聶の布石に独特なセンス(言葉では表現できない)があり、地、厚み、スピードのバランスを最高に調和された彼の布石だが、世界中で見ても、今でも彼の右出る人がいない(藤沢秀行に似ている)。これも「50手までは天下一」という評価が聶衛平に与えられた理由となる。これだけでなく、聶衛平の碁の最大とも言われる「転換」、つまり、「地」「勢力」、「勢力」「地」を自由奔放に操り、常に「転換」、「変化」を求め、相手に不尽な困惑を与え、一局中何回も何回も転換を演じてから、最後に相手をとどめるという棋風。83年から、聶衛平は日本の超一流棋士(林海峰、趙治勲除く)を次から次へと倒し、鉄のゴールキーパーと美讃された(代表例は、第二回日中スーパー対大竹秀雄の一局、第1回応氏杯対藤沢秀行の二局、ともに聶衛平の代表的な名局)。
聶衛平の出現で、中国の碁は中身の大変身となり、今までの力戦から、いかに赤裸々に血を流さずに勝ちまで局面持ち運べるかを称えられるようになり、その影響で、馬暁春が聶衛平につぐ碁界のリーダになり、同時期の劉小光、江鋳久は力戦家として有名だが、大局観能力が欠如することによって、超一流までは上り詰めなかった。馬暁春は前人のない独特の棋風をもち、一言で言えば、柔軟な足早である。地に拘る傾向はあるが、緻密な計算力を武器に地を走る。そういう意味では、趙治勲に似ているが、趙以上に柔らかい。といのは、聶衛平の影響が大きいからだ。馬の碁も「転換」が多く、他人の発想できない手が多い。「神の一手」があるするならば、馬暁春は中国で最も「神の一手」に近い棋士である。90年代に入ると、常昊を代表とする「8小竜」が表舞台へ出てきた。常昊は師匠の聶衛平似で、大局観は抜群に優秀。かつて日本の碁を完全に吸収した形、厚みをフールに武器にする棋風なのだ。李昌ほうの最大のライバルとも言われた常は、布石、中盤とも李以上の能力をもち、石田芳夫が言うには、世界で常、李と12位を争う棋士はいない。二人の中で、常の布石、中盤は李より上だが、李の完璧なヨセに、中盤までどれほど優勢作れるのかは常の課題だ。しかし、常昊は李の世界一とも言われる中盤からヨセまでの収束力に勝てず、未だに李に苦しめられている。
陳祖徳、聶衛平時代は、完全に日本をターゲットとするなら、馬暁春時代の後半からは、新興の韓国勢力に面しなければいけなくなった。ここで韓国棋士の棋風を述べるとなると、大変時間がかかるので、省かせて頂くが、90年代に入り、日本の影響と言うより、中国の囲碁界は完全に韓国に照準するようになった。この時代の育った棋士、古力、孔傑、胡耀宇の「6小虎組」などが、韓国の棋譜を無類に研究し、特に李昌ホウに対し研究し尽くしたと言っても過言ではない。よって、この三人は、対李昌ほうとの対局が、全員が勝った記録を残した。特に孔傑、胡耀宇は対李昌ホウはまだ負けていない。しかし、韓国の若手棋士は、曹薫ゲンの影響で戦いが好きで、力戦辞さないタイプが多いため(李昌ほうの碁は半端に真似できないから)、中国の囲碁は、「戦わずに相手を屈す」と言う概念から抜け出し、スピード、かつチカラで勝負するという形になってきた。古力がその代表。二度も世界戦で優勝した中国のユ斌9段が、「中国の碁は、日本の囲碁に更にスピード強調という独自の色を入れ、より柔軟な発想で力戦を交える特徴がある、今となり、碁への理解は正直、日本とは段々違ってきたのだ。部分に関し、中国は(日本と)全く正反対の見方もある。どっちかというと、韓国、中国の両者は似ている」と指摘したことがある。(張うとLGカップ決勝戦の前夜祭でのスピーチの内容だった)
具体的に理解することは不可能だが(少なくとも私のようなアマチュアでは)、国際戦の成績を見れば、つまり、(体制以外に)日本の碁そのものが、考え方など時代遅れの恐れがある。どういう所なの?って突っ込まれそうだが、正直分からない!それはプロ棋士の考えるべき事で、このままで行くと、中韓に追いつくところか、更に距離置かれてしまう可能性もあるのだ。
それを強く感じたのは、つい先週終わった日中韓台の4国若手棋士8人ずつの対抗戦では、日本は3位となったが、勝敗数で見ると、韓国186敗、中国177敗と、日本の1113敗と大きく差が開いた。中で、張うが出場しなかったとは言え、中国は古力、陳耀樺、韓国李世ドル、チェ哲翰も出場しなかったのだ。さらに、今年夏訪中した院生対抗戦では、日本の院生は中国の地方(西安)の少年チームになんと全敗を喫してしまい、北京の中国棋院では22局のうち、1局しか勝てず、中国棋院の方も呆れて言葉が失いくらいだった。よって、大変な危機は既に目の前にある。このまま行くと良いとは思わないが、何か手はないのかなと、ずっと議論されてきたが、それは、また別のテーマで一緒に考えよう!


2005年11月20日(日)
 今日は女子マラソンで高橋選手が優勝しましたね。
35km付近からスパートしたとき、2年経っての復帰、目標をもって進めば必ず開ける、という高橋選手の言葉とともに
優勝を予感させる走りを見て感動しました。
 ゴルフの宮里選手は頼もしい、きっちりと優勝しました。
 タイガーウッズも苦しみながらも地力で勝ちました。今回のこのトーナメントは凄い場面がたくさんあって歴史に残るものになるでしょう。
さて、
 院生の新しいリーグ戦が始まりました。
まえだくんはB2に復帰、けんりょう、けいとはC1に、たなかくんはC2。
早速今週の結果をお伝えしましょう。
まえだくん1勝1敗。けんりょう1勝1敗、けいと2勝、たなかくん2勝。この調子でがんばってくださいね。

2005年11月17日(木)
 修学旅行が終わって今日たなかくんから電話がありました。
11月6日、12,13日の結果は、まえだくん2勝3敗、けんりょう6勝、たなかくん2勝3敗、けいと3勝3敗。
けんりょうが調子いいみたい。

2005年11月6日(日)
 今日は森の祭の最終日です。あいにくの雨です。
喪に服してる身なので祭に参加せず、「中先生の気功研修」に参加しました。
昨年と同じ油山寺での研修のなかのひとつを紹介しましょう。
達磨和尚の瞑想法です。
半跏趺坐といって、男は左足を右足の太股に乗せてあぐらをかきます。
手を左手を上に親指と親指をつけて、その親指の位置を臍のところに合わせて座ります。
目をつむり、呼吸は鼻から吸って口からはきます。意識を丹田に置き、呼吸を数えます。
数えてる間に集中力が散漫になり、数を忘れやすくなります。その時は覚えている数から再度始めて49を数えるまで行います。
息を吸うときは舌の先を上歯茎につけます。
49回を終えて、次に両手を開いて膝の上に手のひらを上にして置きます。今度は呼吸が逆です。
口から吸って、鼻からはきます。意識は同じ、49回行います。
次に、親指と中指をつけた形で鼻から吸って、口から吐く呼吸で49回。
最後に両手の指を組み、人差し指を突き出す形で合わせ、親指の位置を乳首と乳首の真ん中の位置に合わせて、口から吸って鼻から吐く呼吸で49回を行って終了です。
この瞑想を寝る前に行うとよいということです。皆さんもいかが(^_^)

2005年10月31日(日)
 院生の本日の結果はまえだくん1勝1敗、けんりょう2勝、たなかくん1勝手空き、けいと2敗。
院生も日本棋院ネット碁会所「幽玄の間」に結構参加しているようだ。もう2局打った。
昨日の五段とは負けてしまった。どのクラスだろう。

2005年10月23日(日)
 院生の昨日の結果はまえだくん2敗、けんりょう1敗、たなかくん2敗、けいと1勝1敗と振るわなかった。
本日よりリーグの組み替えでまえだくんB2→C1、けんりょうC2→C1、たなかくんC2のまま、けいとC1のまま。
本日の結果はまえだくん1勝1敗、けんりょう2敗、たなかくん1勝1敗、けいと未確認。
 今日のNHK杯で張栩が大石を殺されて負けてしまった。油断があったようだ。
一流のプロでもこういうことがあるかと慰められたものだった。院生たち、がんばってね。

2005年10月16日(日)
 一年に一回のイベントである「NTN囲碁交流会2005」が終わりました。
二日間掛けて、8局対局し、その勝率で順位を決定します。
結果は6勝2敗が5人と並びましたが、対局相手の勝率から、優勝は亀沢六段、準優勝は山下四段、三位は森田初段、でした。
四位は福本二段、五位は小林四段の同率、勝ち点差の勝負でした。
最多対局賞は12局打ち終えた中村三段、よく打ちました。
場所は長島温泉のすぐ近くの「ウェルハロートピア長島」。いろんなお風呂があり、食事も美味しく、来年もここで開こうということになりました。

 さて、院生の活躍はまえだくん2勝、けんりょう2勝、たなかくん2敗、けいと2敗とまえだくんとけんりょうは調子が良かったようです。
始まったばかりのリーグ戦、頑張って井山君の後を追って欲しいです。

2005年10月12日(水)
 今度の土日はNTNの全社交流会です。桑名の長島温泉の近くで開催します。
幹事をしているので商品を買いに行きました。
何にしようか迷ったあげく、参加賞をインスタントラーメン、コーヒー、ジャムにしたところ、すごい荷物で
優勝、準優勝、三位、最多対局賞は急遽商品券にしました(^_^;)

2005年10月11日(火)
 院生の活躍は、まえだくんが0勝4敗、たなかくんが1勝3敗、けんりょうは好調で4勝、けいとは1勝3敗
でした。ちょうどたなかくんが電話してきてくれて助かりました。
ま、調子の善し悪しがあるので負けるときもあるし・・・・勉強を続けていけばきっと良くなっていくと思います。

2005年10月10日(月)
 父の四十九日の法要が終わりました。
雨という天気予報でしたが、幸い納骨の時は降ってこず滞りなく終了することができました。
仏壇もお墓も評判が良かった。
仕出しも評判もよく、母も喜んでいました。
読経の中に「般若心経」もあったのですが途中お坊さんもど忘れしたのかつかえてあわててお経を取り出す場面がありました。
こちらは覚えていたのでそれがよくわかりました。通常はお経なんてわからないのでこういうことも見過ごしているのかも知れません。(^_^)

囲碁の方は調子よく、日本棋院の幽玄の間では五段に復帰することができました。
サンサンでも364点と上がってきました。
昨日は準備の合間を縫って午前中ゴルフのラウンドをしました。
目標の85を切ることができ(44,40)、喜んでおります。
私的に忙しく、昨日の院生リーグ戦の結果はまだ聞いておらず報告できません。
明日報告しますね。

2005年10月5日(水)
 今日は休みを取り、お墓建立の立ち会いをしました。
雨の天気予報だったのですが、ちょうど終わるころ降ってきてよかったです。
東海沖地震が予告されている中、倒壊を防ぐために基礎をしっかりしました。
さらに竿(・・・家の墓と記された一番上の石)と上段とのつなぎには直径3cmのステンレス棒を入れて倒れないようにしました。
石も水の吸収率の低い黒御影とし、立派なお墓が出来ました。
 10月7日には仏壇が来ます。10月10日の四九日に向けて着々と準備ができてきています。
初めての経験でいろいろ勉強になります。
 そうそう「般若心経」暗唱できるようになりました。
眠ってるときにも頭の中で浮かんでくるのには少々困っていますが。

2005年10月2日(日)
 今日の日本女子オープンは期待通り宮里藍選手が優勝しましたね。
20歳で優勝ということで23歳で優勝した樋口久子の記録を破る史上最年少記録を達成しました。
一方、私のスコアは伸び悩みの95でした。
 さて、我が院生たちは本日より新しいリーグ戦が始まりました。
本日の結果は、
 まえだくん B2 1勝1敗
 けいと   C1   2敗
 けんりょう C2 1勝1敗
 たなかくん C2  2敗    まだまだこれからです。

2005年9月27日(火)
 色即是空 空即是色 ・・・・わかりますか?
般若心経の一部です。今暗記に挑戦しています。
意味が分からない熟語の羅列ですので、覚えるのが大変です。
年ですので右から左に頭の中を通過してしまい、残りません。1週間くらいで何とかものにしようと印刷した紙片を肌身
離さず持ち歩いています。
 人の死に直面し、いろいろなしきたりをこなしていくうちにお経を身近に感じるようになったんですね。
お経もいいものだなと思うようになっています。
母、カミさんも挑戦しています。
頭脳の活性化に役立てばいいとも思っています。皆さんもどうですか?


2005年9月26日(月)
 きのうの報告をしなくては。
行ってまいりましたよ、名古屋の日本棋院中部総本部。
まず「協和発酵杯」ですが、2回戦で痛い一敗をくってしまいました。相手は70近いおじいさん。
ちょっと筋がよくないとみくびったのが間違いの基でした。
大石が捕られてしまいました。捨てるには捨てられない大きさがあって、無理に生きに行きましたが一眼しかできず、ジエンド。
結局3勝2敗に終わって、三勝賞をもらっただけに終わりました。
実力的には十分勝てる相手なのですが、なかなか無傷というのはむずかしいものです。
 さて、大会は8階ですが院生の対局は3階です。
結果は通算で(その日だけの勝敗は聞けていません)、まえだくんB1クラスで2勝8敗、もしかするとB2に逆戻りもある?
成績なのではと心配になってきます。
けんりょうはC2で4勝5敗、まあ残留ですね。たなかくんは今月の入会ですから次回からのリーグ戦になります。今の
オープン戦の成績は8勝7敗です。
ちょうどこの日はプロへの椅子を争う対局も行われていました。
今年は名古屋でのトップと大坂のトップが戦い、勝者のみが入段できる年だそうです。なんともプロの道は厳しいですね。


2005年9月24日(土) 
 昨夜は久しぶりに「めいえん囲碁教室」に行きました。英龍君は眠っていましたが、りりしい顔は更にりりしくなっていました。
 さて、今日からめいえんから院生に通っている子供たちの紹介を始めますね。
現在4人です。
前田拓輝君(まえだくん)は中学2年生。今年の6月に院生になりました。現在B1クラス。彼は小学6年の冬休みに囲碁を
覚えて、まだ2年ないのにもう我々を追い越してしまいました。

鈴木恵斗君(けいと)は小学5年生。彼も小学2年生のときに囲碁を覚えて、3年くらいでもう院生。現在C1クラス。

伊藤健良君(けんりょう)は小学6年生。今年の8月に院生になりました。現在C2クラスのリーグ戦を戦っています。
現在4勝2敗。10局打つのですが、トップが昇級できます。

田中崇之君(たなかくん)はこの9月に院生になりました。こちらも小学6年生。2年前にめいえんに来て、どんどん
強くなってきました。C2リーグ戦に10月から入ります。力碁でしたが、最近は全体を見ることができるようになっています。

 さて明日は私も名古屋の日本棋院に行きます。
協和発酵杯の各段戦に参加するのです。4段戦ですが1敗すると優勝できないので少しの油断もできません。
5回全勝すれば優勝ですね。
こちらもまた報告しましょう。

2005年9月22日(木)
 最近囲碁が弱くなったようです。明後日の名古屋で行われる協和発酵杯に向けて毎日一局は打つようにしていますが、
負けることが多い。サンサンでも365点くらいだったのが今では360点。日本棋院の幽玄の間では五段から四段になって
しまいました。無理な手を打っているのはわかっているのですが、そうせざるを得ない状況に追い込まれているような気が
しています。布石に問題があるのかなあ。
 さて、明日は久しぶりにめいえん囲碁教室に顔を出そうと思っています。もう3週間もご無沙汰しています。赤ちゃん、
大きくなっているだろうなあ。名前は「英龍」(えいりゅう)君に決まったそうです。中国読みでは(インロン)君。国際的に
通じる名前にしたいとおっしゃってましたから、なるほど素敵な名前ですね。
鼻筋が通ったハンサムな息子さんですよ。 碁も強くなるんだろうなあ、楽しみ・・


2005年9月20日(火)
 親父が亡くなって早3週間が過ぎました。3番目の菩薩の審判を受けているそうな。毎週月曜日に和尚様がお経を上げて
その手助けをしてくれています。
初仏なのでお墓を作ったり、仏壇を購入しなければなりません。こんなに大変なものとは思いませんでした。
 さて、ずいぶん更新していませんでした。
今回思い切って日記を立ち上げようと思い立ちました。それも主体は「成長するプロの卵」の近況報告をしていくこと。
ま、ネタ切れのときに自分の周りのことも少し紹介して行きたいなと。

 ときどき読んで下さいね。