次男の時![]()
昭和62年2月、予定よりも1週間も早く陣痛がきて4時間ぐらいで産まれてしまった。3215gと普通よりちょっと大きい子だった。夜中だったので誰も来てくれずとても寒くて寂しい一晩だった。しかも二人目ということで最初から同室でずっと私が世話をするということで少しも休めなかった。長男の時は1日目ぐらいはおっぱいの時(搾乳したものを飲ませる)だけ連れてきてあとは休めたのに・・・でもおっぱいの心配が今回はないのだ。長男の時の努力のおかげで今度は直接吸わせられる。子供も吸ってくれる。とてもうれしかった。搾乳の面倒もない。しかし10ヶ月もの間夜おっぱいで起きた。これがまたつらかった。
4ヶ月検診で目の動きがおかしいということでこども病院を紹介され診察に行った。先天性の内斜視という診断だった。つまりより目。ひとみが真ん中にこないのだ。最初赤ちゃんはこんなものかと思っていたが確かにより気味だと思っていた。手術が必要だと言われた。こんな小さい子が手術なんてしかも目を。でもこのままの状態ではかわいそうだ。
1歳の誕生日を待ってまず右目を手術した。内容は簡単らしかった。寄っている眼球の筋肉か覚えていないが引っ張って外を向かせていくようだ。トータルで2時間ぐらいで手術は終わった。ベッドへしばりつけの状態で帰ってきた。腕には顔をさわられないようにギブスがはめられ。目には透明のカプセル状の眼帯が張り付けられていた。完全看護なので私は面会時間しか一緒にいられない。後追いする我が子を置いて泣く泣くエレベーターに乗る毎日が1週間続いた。案の定で神経性の下痢を起こしていた。夕御飯の時間に面会があるのだけどほとんど食べてくれなかった。でもなんとか1週間後無事退院。
1年も経たないうちに左目も手術した。2歳になろうかとしていた時だったのでこの時は少しは楽だった。でもやはり帰る時はつらかった。1週間後無事退院。以後ずっと通院。目の位置は完全には治らないらしい。でもリハビリは続けた。
毎月の通院が3ヶ月毎になり、半年毎になっていったが検査だけはずっと続いた。病院へ行くと半日以上つぶれてしまう。
うちから病院へ行く時間よりも待合室での待っている時間の方が長いという状態。予約をとっていっているのに・・・どうしてこんなに混んでいるのか??といつも思っていた。
リハビリを続けながら保育園へ行く頃
入園式はいきなり水疱瘡で欠席となった。その為かこの子は保育園が大きらいな子だった。
無理やり置いて帰ってくる毎日だった。私の心配する気持ちがこの子に通じて神経質になっていたようだ。
そんなことを保育園の先生に言われてから帰る時はさっさと帰るようにしていた。
年中までそんな毎日が続いた。
運動会は走らないし発表会では指をくわえてすみっこにいる始末。
年長になって長女が年少で入ってきてから急にお兄ちゃんになった。
困らせることもなくなって運動会も発表会も人並みにこなして行った。
この頃からメガネをかけることになった。普通より焦点があうのに時間がかかるのと遠視が強かったからだ。
保育園の先生にも気を使わせていたと思う。今となっては感謝の一言である。
無事卒園。
小学校も入学式から担任の先生を捕まえていろいろお願いした。メガネのことリハビリのこと等々。
おまけに食が細くて給食も多分一人前は食べられないので少なくしてもらえるようにお願いした。
クラスで一番小さかった。
小学校でのはじめての運動会。一番前で元気よく行進しているのを見た時には不覚にも涙が出た。
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