長女の時

昭和63年8月、やっぱり予定よりも1週間くらい早く陣痛がきて あっという間に産まれてしまった。3460gという長男に近い大きな子だった。
実を言うとこの子は産まれる前から大変だった。
ちょうどこの子が発覚したころ義母が倒れた。脳内出血だった。私には実の母もいないし義母も入院してしまって退院しても障害をかかえての生活になるだろうということだった。産むか産まないかで夫婦の間で話合いをした。長男が3歳に次男は1歳にもなっていなかった。でも義父は「3人侍でもいいじゃないか」と言ってくれたので苦労を覚悟で産もうと決めた。産まれてきたのは女の子だった。あきらめなくて良かったと今でも思っている。
幸い義母は寝たきりにならず右半身は不自由になってしまったが生活は手伝わなくてもなんとかできる。リハビリをしながら不自由な生活が始まっていた。でも義父が病気知らずの元気者なので頼もしかった。
はじめての女の子はとても楽な子で夜泣きも2ヶ月でおさまった。と同時に私のおっぱいも底をついてしまった。次男の時は夜泣きがおさまる10ヶ月目には怪しかったが出ていたのに・・・

長男が保育園へ行き始めたので朝はおっぱいを飲ませてまた寝かし次男を連れて保育園へ。長女はほとんど寝かしっぱなしで半年ベビーベッドで過ごすことが多かった。おかげですごい人見知りになってしまい 私が少し離れていて他人がいると何もされていないのに泣いてしまうというなさけない子だった。

保育園に入ったこの子は3人の中で一番保育園になじむのが早かった。後追いもしないし泣きもしない。
ちょっと拍子抜けのような寂しいような でも安心した。
私はうちでなにもすることがなくなったように手持ちぶさたになれるのにすごく時間がかかった。
自分の時間が久しぶりできたのに何もすることがない。
その頃だった「なるママ」が仕事を独立し手伝いとしてまずワープロを教えてくれたのは・・・。
高校時代英文タイプを少しやっていたのでキーを打つことはできたのだがやはり機能がたくさんあるので勝手が違うことにとまどってなかなか上達しなかった。
それでも「なるママ」は容赦なく書類の作成を頼んでくるので悪戦苦闘しながら必死にやっていた。
おかげでワープロはなんとかものになっていった。
うちの店にもパソコンが入り身近に存在するパソコンを利用しようということで今度はパソコンに挑戦していった。
今思えばあんなでっかいフロッピーを2枚使用して動かしていたなんて信じられない。
現在のパソコンは使いやすくて簡単でいいよね。改めて思う。
それからしごかれしごかれ 仕事も順調にあり現在に至っているわけだがウィンドウズになってバージョンが何回かアップし是からもっと良くなって行くんだろうな。今では「なるママ」に感謝である。