マイホーム建築日記

はじめに

 今現在私は、静岡県藤枝市に親が所有する土地建物に、一家の長男として親と同居し生活しています。家族は私と私の母、妻、子供2名の計5名です。

この家は昭和48年に新築し、現在(平成11年)築後25年以上を経過していますが、今はまだまだ十分住むことは可能です。しかし、もう少し月日が経てば老朽化が進み、家を取り壊し、再度家を新築しなければならないのは目に見えています。

現在の住宅金融公庫の金利は、バブル期の金利(6%から8%)とは比べ物にならないくらい低く、若干上昇したとはいえ、平成11年5月現在2.4%の金利です。

 

私が家を新築するに至った主な理由は、

1.  金利が上昇している現在、数年後はどのくらいの金利になっているか予測が付かないこと。

2. の年齢も30才台後半になり、今が一番の買い時と判断したこと。

3.2000年12月まで住宅取得減税が6年から15年に延長され、最大で575万の減税が受けられること。

がその理由です。

考えて考えて考えた末、現在の家はそのまま残し、現在の家の近くで、娘の小学校の同一学区で、土地から購入しての新築を決心したのであった。平成11年2月の事である。

1999.2

我が家のマイホーム購入にかかる第一歩は、平成11年2月にMサワホームの支店が行った「物件紹介・住宅何でも相談」に行ってから始まった。

 これは公共の施設を借りて○○フェアーとか言う名称で、どこの住宅メーカーでも行っている催し物である。たままた我が家は新聞の折り込み広告を見て、Mサワホームが主催したのに行ったのだった。他のメーカーの広告が目に留まっていればそちらに行っていた事は言うまでもない。

 

 そこでの話は、「あなたの年齢だと今が最後のチャンスです。先に行けばローンが組めません。また現在金利が低く買い時です。」「Mサワホームは国内で一番の建築数を誇る住宅メーカーです。」「100年住宅をうたえるメーカーはMサワホームだけです。」の3点でした。親切に1時間余り説明をしてくれて、土地から探していることを営業マンに伝えると、良い物件が出たらすぐに連絡をしますとの事であった。好感度は良好であった。これから何度かMサワホーム中心に住宅展示場、新築ホーム見学会に行くのであった。

 しかし今日の今日まで一度も営業マンからの連絡はない。冷やかしで行ったのと思われたのだろうか。

1999.2下旬

条件内で、物件が売り出された。長方形の良い形の土地である。しかし土地のすぐ横に南北に向かう道路が土地の両側を通っていて、道路の中に土地がある状態である。もう少し良い条件の土地が出るかもしれないと慎重になる。しばらく考えることとした。

1週間ぐらい考えて不動産屋に行くと、その土地は既に売れていた。隣の芝生は何とかでは無いが、いざ売れてしまうと、その土地がすごく良い土地に思えて悔しくてしょうがない。

1999.4.18

今度は別のところで新たな物件が売りに出された。現在は駐車場として使用しているところであるが、200坪ぐらいある土地のうち約90坪を売りたいとのことであった。区画整理が済んでいるので土地の形は申し分ない。少し気になるのが国道1号線に近くで、夜の騒音の事ぐらいである。

 不動産屋のH町土地に連絡をすると、売り主は45坪を2区画売りたいとのことであった。駐車場をどうしても4台分確保したいので間口10m、奥行き18mの約55坪の切り売りが可能か売り主に確認を取ってもらうとOKであった。

早速、仮押さえの連絡を入れる。

1999.4.24

土地の見取り図を持って、榛南のSBSマイホームセンターに行く。

Mサワホーム、M井ホーム、Sキスイハウス、Sキスイハイム、T成住宅の各展示場を見て回った。Mサワホーム、M井ホーム、Sキスイハウス、Sキスイハイムの営業マンは熱心にアドバイスしてくれるが、私たちが望んでいる坪単価にはならず、T成住宅の営業マンは我々の質問にも嫌そうに答えるのみであった。

陽も暮れ、展示場の終了時間間際になって、子供達が、ピカチューの人形欲しさに、Nショナル住宅の展示場に行きたいと言いだした。

ここで今日の展示場巡りは最後にしようとNショナル住宅展示場に行ってみることにした。ここで対応してくれたのが、Nショナル住宅代理店 D栄ホームのNヶ谷さんであった。

それから約1時間半、Nヶ谷さん話を聞いた。今までの営業マンのなかで一番親身になって相談にのってくれたし、会話の中で、決して他のメーカーのことを悪く言わない事と、他社と比較してNショナル住宅はどうか、不安材料となる事項をすべて払拭してくれた事が好印象であった。翌日迄にたたき台となる間取り図を作成してくれるとのことで、翌日10:00に会う約束をしたのだった。

1999.4.25

約束どおり10:00にD栄ホームの事務所で間取り図を確認した。こちらが言った

1.一階の仏間の真上に人間が足を踏み入れるスペースを作らない。

2.パソコン部屋を欲しい。

3.家事室が欲しい。

がすべてクリアーされていた。坪単価も概算見積で46万であると言われた。

30分の間取り図確認の後、D栄ホームの事務所付近で、現在建築途中の工事現場を2ヶ所見せてもらった。その時の説明で既に妻も私も心の中でNショナル住宅の家を建てることを決めたのだった。

1999.4.26

Nショナル住宅代理店 D栄ホームで契約の意志があることをNヶ谷さんに電話連絡し、今後の私たちがやらなければならない事を確認したのだった。

まず土地の確保を大前提に今後の打ち合わせを行い、土地の決裁の件、住宅金融公庫の手続きの件、今後のスケジュールを確認した。

1999.5.9

土地の売買契約日。手付け金2百万円、不動産屋への手数料の一部40万円、印紙代1.5万円を用意して、約束の時間に不動産や事務所にて契約を行った。

 残り分の支払は、住宅金融公庫の手続きが完了した時点、概ね7月末までに支払うことで約束をした。

1999.5.16

知人のI崎さんから自分の家を建てた時、屋根の素材で失敗した事を聞いた。10年もすると苔むしてくるので、苔が生えない素材の方が、後々の為に良いと。

早速、Nヶ谷に連絡。標準屋根からハイセラコート仕様屋根に変更。60万円余分にかかりますと。

1999.5.20

D栄ホームNヶ谷さんに建物の契約代金の一部50万円を支払。建物の契約書にもサインをする。

1999.5.23

Nショナル住宅の静岡県菊川町にある静岡工場の工場見学会に参加した。

工場は清潔でほとんどがオートメーション化されていた。あまりにも簡単にパネルが出来上がっていくので驚きである。

1999.6.17

静岡のM下電器設備(株)のショウルームにキッチンの件で、訪問した。これはNショナル住宅の標準で付いているキッチンが気に入らなく、代わりにM下電器産業(株)製のキッチンに変更することで、その打ち合わせに行ったのであった。

1999.6.25

吉田町の事務所で、我が家の工事監督となるY竹さんと初顔合わせ。若くて好青年である。

この日は外壁材の色と仕様、窓枠の色形、扉の形状の打ち合わせを実施した。

1999.7.23

トイレ、風呂の色、各部屋の扉、洗面台の打ち合わせを実施した。

1999.8.27

土地の決済日。R働金庫焼津支店で、不動産屋、売り主、司法書士、Nヶ谷さんと私。約一月遅れの支払いとなった。購入した分の土地の固定資産税と不動産屋への手数料残金も、勿論お支払いをした。これでやっと土地に手を着けることができる。早速9月1日にアスファルトを剥がす作業に取りかかれる。

1999.8.28

この日は、購入した土地のご近所の方にご挨拶に伺った。

「明日から工事に入ります。騒音等でご迷惑をお掛けします…・。」

1999.9.1 アスファルトを削る作業は1日で完了。この時点の上棟予定日は9月21日に設定した。  
1999.9.3 土地の地盤調査会社の調査。結果は後日に。  
1999.9.4 雨。予定どおり地鎮祭を執り行う。私と下の子供と工事関係者で行った。  
1999.9.11

名古屋にあるM下電工(株)のショウルームツアーに参加した。中部地方で一番大きなショウルームだそうだ。今回の目的は「照明」を見学することにあった。

たくさんの照明器具を見上げて首が痛くなった。また、照明に付けられている値札に驚きで胸も痛くなった。

1999.9.14

Nヶ谷さんが至急に連絡したいことがあると、自宅を訪ねてきた。話の内容は9月3日の地盤調査の結果報告であった。

 話の内容は「藤枝は元々湿地帯なので何らかの基礎の補強をしなければならない。この土地もその例に漏れず補強が必要です。それも安定地盤がある約8m地下まで杭を打込で補強をする必要があります。近所の家々は特別ひび割れ等で塀が傾いているとは目視では確認できないので、この補強をやらなくて良いかもしれないが、科学的な地盤調査の結果がありますのでこの補強工事を行わないとNショナル住宅の保証が受けられなくなってしまいます。」であった。

 
非常にショックだった。追加工事費約180万円。とは言っても安全対策に金の出し惜しみは出来ない。補強工事をお願いすることにした。 この時点で上棟日は当初の9月21日から9月28日に変更となる。

1999.9.15 基礎工事の杭打ち作業開始。下の管を44本打ち込んだ。

この車で杭を入れる為の穴をあけていった

 
1999.9.18

杭打ち作業終了。  

 
1999.9.20 基礎の土台部分のコンクリート打ちを実施。  
1999.9.21 基礎の上部分の工事を行う。天候は「くもり時々雨」  
1999.9.23

基礎工事全て完了。

 
1999.9.25 水道管とガス管の基礎敷設工事実施。

雨がちの天気からやっと晴れました。

 
1999.9.27 上棟日前日。足場の組立と防虫防湿シートの貼付作業を行う。天候は晴れ。(写真は夜間に撮影)  
1999.9.28

上棟日。天候晴れ

 朝6:30分に現場に行ってみたが既に大型トラック4台と、クレーン車が準備を開始していた。クレーン車の位置固定の作業をしていたがディーゼルの音は早朝にはよく響く。ご近所に迷惑にならなければよいのだが。

8:00作業開始。途中昼の休憩をはさみ、作業は夕暮れまで続く。D栄ホームの関係者と私たちだけの上棟式を17:30から行う予定でいたが、工事が少し遅れており18:30から上棟式を行った。各外壁パネルには窓枠等がセットされているので遠くから見ると、1日にして建物が完成してしまったように見える。

 全て完成予定が12月中旬。順調に進捗して欲しいものである。明日からは約1ヶ月かけて外壁回りの工事を行うと、工事監督のY竹氏が言っていた。屋根瓦工事が終わるまで雨が降らなければよいが。…

1999.10.4

屋根瓦工事完了。上棟日以来雨は全く降らなかった。よかったよかった。

1999.10.6

玄関の扉、設置完了。今日まではベニヤで中に入らないようにしていただけだった。内部は既に電気配線等の工事が外壁工事と平行して行われていた。

1999.10.9

工事監督のY竹さんと、マルチメディアポートの件で打ち合わせを実施する。

希望では将来的に家庭内LANを敷きたいと考えているので、それに対応できるようにと考えたが、インターネットの将来像が全く見えない現在、アナログ電話回線での接続が可能ならばOKとした。しかし配電盤は各部屋に電話ポート(アナログ2回線、ISDNが1回線)と、衛星放送用端子が配備され、見られる様にする予定である。

1999.10.10

Pナホーム静岡(株)施工の新築住宅展示会の案内が、新聞の折り込み広告として入っていた。明日の打ち合わせのためにも見学に行くことにした。入り口ではしっかりD栄ホームで施工中のことを告げ、堂々と見学した。

1999.10.11

D栄ホームのS木さんと、クロス、照明、カーテンの打ち合わせを実施する。

照明は既にM下電工の名古屋ショウルームで素案を作成してもらってあったので、それをたたき台にして打ち合わせを実施した。

1999.10.15

Nヶ谷氏が住宅のつなぎローンの書類を持って自宅に訪れた。

 収入印紙、印鑑証明書、ローン申請書等を作成する。

1999.10.18

Nヶ谷氏に印鑑証明書カードを渡し、後処理をお願いする。

1999.10.20

R働金庫焼津支店から確認の電話連絡があった。大きな金額が動くのでその確認であった。10月28日にD栄ホーム1,660万円を振り込む予定です。

1999.10.25

O谷建設(株)のK田さんがおとずれ、書類を置いていった。公道から私有地までの上下水道の配管を敷設する工事を藤枝市の依頼で行ったものだった。敷設先の所有者に工事完了の確認を求めて市役所に提出する文書であった。 何も知らない私は、Y竹さん確認の電話を入れたのだった。

1999.10.26

外壁回りの工事が完了した。足場も撤去。予定だと10月17日に足場撤去となっていたので、工事が10日間遅れている?のだろうか。

1999.10.30

Y竹さんと押入、家事室の棚やパイプの打ち合わせを実施した。  台所には既にシステムキッチンが納品されていた。がここで問題が発生した。6月に静岡市にあるM下電器設備(株)にキッチンの件で訪問し、そこのアドバイザーに、妻の要望を元に見積もりを御願いしたのであったが、その時に御願いした内容と備え付けられていたキッチンの仕様が違っていたのである。妻は担当者に自分の要望をぶつけて、アドバイザーが見積もりを作成する方法であったが、その中で、収納部分の一部が、キャスター付きの前に引き出すタイプで御願いしたはずだが、開きのタイプになっていた。もう一ヶ所は、ソフトダウン収納で御願いしてあった箇所が通常の、収納になっていたのであった。後者は、見積もりと違うことが分かったが、前者は、頂いていた見積もりには欠如していたのだった。それを指摘できなかった自分たちが悪かったのだろうが、M下電器設備(株)の対応も不満が残る物であった。とりあえず、Y竹さんには、M下電器設備(株)にクレーム処理を御願いしてくれるように頼んだのだった。  Nショナル住宅の標準仕様で付いているキッチンをわざわざ自分たちの使いやすいように変更した事が、ただ余分な出費をしただけになってしまったようだ。


1999.10.30
1999.11.1

Y竹さんから電話連絡が入る。10/30のシステムキッチンの件の電話だった。M下電器設備(株)に連絡を取ったところ、クレーム対応してくれるとのことであった。ただし納品までに3週間かかります。

1999.11.20

Y竹さんから電話連絡が入る。「大工工事は11月25日をめどに終了予定です。その後建具屋の工事に入ります。27日の土曜日に、確認のため工事現場で打ち合わせを実施したい。」と言う内容であった。クレームで御願いしてあった、システムキッチンも打ち合わせどおりの物に変更になっている予定ですので確認をしておいて下さい。

1999.11.27

予定どおり打ち合わせを実施した。25日で終了しているはずの大工工事はまだ終わっていなかった。2階は既にクロスを張ってある部屋もあった。順調に進んでいる。

予定だと12月15日完成予定で、12月20迄に引き渡し予定でいますとのことであった。早速毎日のように電話が来る「アリさんマークの○越社」にTELをしようとした矢先、また向こうからかかってきた。しめしめ、仕方なく見積を御願いするふりをして用事を済ませたのであった。見積日11月30日19:00から。

1999.11.30

アリさんマークの○越社の営業のY辺氏と見積もりの打ち合わせを行う。引越でもって行く荷物を確認しながら、トラックの大きさを決めるらしい。パンフレットを元にあれこれ説明を受ける。見積金額は、経済コース(荷造りは自分達で行う)で9万円強になった。後一社ぐらい見積を取りたかったが、初めから○越社にお願いする予定だったので、12月23日8:00からで引越をお願いする事とした。
1999.12.05

引越の日が決まり、新しく組に入れていただくために、同じ組になる町内会長様の家に挨拶に伺った。町内会長の次男と私は同級生で、中学校の時、同じサッカー部であった。その親である町内会長も、私のことは当然覚えていてくれた。知っている人が同じ組にいることはとても心強い。
1999.12.15

駐車場部分の鉄メッシュ、コンクリート打ち完了。およそ1週間、コンクリートが乾くまでは立入禁止である。上棟日に清酒をいただいていた、ご近所のS田さん、K納さんのお宅に「御礼」をもって伺った。両家ともご在宅で、23日に引っ越しするこ

1999.12.18

上棟日に清酒をいただいていた、ご近所のS田さん、K納さんのお宅に「御礼」をもって伺った。両家ともご在宅で、23日に引っ越しすることを会わせてお話しした。
1999.12.20
引き渡し日。午後1時の約束で新居で引き渡しを行った。D栄ホームからは、課長、Y竹さん、工事課責任者、アフターサービスのR知さん、とちょっと遅れてNヶ谷さんが来てくれた。
一通りの説明を受けて、まだ袋に入ったままの真新しい鍵を受け取った。感無量である。これが私の家の鍵か。Nヶ谷さんからは最終的な金額の提示があった。当初の見積金額からすごく膨らんだこと。あれが欲しい、これも欲しいと言ってお願いしたための結果である。公庫の借り入れ4200万円、自己資金1400万円にふくれた。
1999.12.21

午前中、朝からは、遅れていた2Fのエアコンの設置、Bリーズ ホーエイの冷蔵庫、レンジの納品、お昼頃には家具のF越のベット、食器棚、食卓の納品を行った。

1999.12.23

引越の日。今まで住んでいた近所の人達に引越の挨拶をして回った。初めて引越の事実を知る人がほとんどで、大変びっくりした様子であった。
朝8:00から予定どおり引越屋の4トン車が家の前に横付けされた。積み込み作業約2時間30分。この会社の作業員の仕事ぶりに感激してしまう。きびきびとした仕事、実に気持ちのいいこと。
新居での作業1時間30分。家具等はしっかり予定の位置に配置してくれた。
午後からは引っ越して来た挨拶をしに、組内の家をまわった。その後段ボールに詰められた荷物をひも解くのだが、箱には大雑把な内容物名しか書いていなかったので、目的の物を見つけるのに時間がかかることかかること。まあだんだんに整理をすればいいか。
こうして新居での生活が始まったのだった。4200万の借金を抱えて。
2000.12.27

築された我が家に引っ越して1年を経過した。その間D栄ホームの点検は3ヶ月後に1回実施されてた。

本日突然、D栄ホームのM田さんから電話が入る。(妻が出た)
「実は○○さんのお宅に8ヶ月点検にお伺いする予定でいます。明後日の12月29日の都合はどうでしょうか?」

妻は「おいおい待てよ、8ヶ月点検を1年を経過した時点で実施する。おまけに年末のこの忙しい時期に」と心の中で思った違いない。
妻は私が帰宅する時刻にもう一度電話を掛けてもらうこととした。、、が電話が来ない。「まいいっか。忙しいし29日では断るつもりだし」
と言うことで21世紀に突入したのであった
2001.01.11

 D栄ホームのM田さんから連絡が入る。定期点検が実施されていません。近日中にお伺いしたいのですが?
1月17日の9時からお願いするようにした。
2001.01.17

 時間どおり9時に点検に来てくれました。「今から点検を始めます」の一言で、何を点検するのかの説明はなかった。約45分で点検は終わった。付いてまわったわけではないので何を点検したのか分かるはずもなかった。最後に「点検終わりました。ここに署名と印を下さい。」形だけの点検か?
2001.06.16

 寝室の扉が開閉時に異音を発するようになりました。D栄ホームさんに連絡して指定された日が本日でした。40分ぐらいの作業で異音がすることなく戸が閉まるようになりました。
無料で良かった。
2001.12.24
 本日、D栄ホームの定期点検日。1週間前に電話がありこの日を指定した。いつものとおり「今から点検します」の一言で何を点検してくれるのか説明はありませんでした。戸の開き、サッシの閉まり具合等を点検していってくれたみたいだ。本日も30分で点検完了。点検表に署名と印鑑を押印して欲しいとのことで、4枚に印を押す。通常1枚はユーザにくれるものだが、4部とももって帰ってしまった。点検はどうであったのか。不明のままだ。
2006.08.19
 久しぶりに夜9時ごろD栄ホームから電話があった。話を聞くと、パナホームからリコールがあったとのこと。ドアノブの部品に不具合があり、開閉できなくなってしまった家が何軒か出たとのことであった。同じロッドの家の部品を無償で交換したいとのこと。予定を聞かれたので、土曜日日曜日を指定すると明日(8/20)の9時30分と約束した。
2006.08.20
 時間通りに来て2階の部屋の3つのドアノブを交換していった。いつのもごとく、印鑑を求めてきて、詳細な修理の報告は無かった。5年前に点検にきた男性で、5年間の月日を感じるぐらい、やせていた。
2007.05.19
 
思えば、自宅を新築した7年前にネットがADSLや光が現実味があれば、LAN配線を施していたのであるが、その当時はISDNが主流であったため、それ用にマルティメディア配線を全室に施した。

 2007年、我家にも光インターネットの環境が整った。それに伴いLAN配線を施すことにした。ADSLを使用していたときは。自分でケーブルを購入し、家の壁伝いに線を施していたのであるが、見栄えが悪いので、業者に頼んで、配線を施した。
ちょっと問題が発生した。1階から2階壁の伝えに上げたかったが、断熱材が邪魔してそれができない。仕方なく一度家の外に配線を出し、外の壁伝いに配線を2階に上げることになった。
1階にリビングから壁に穴を開け、2階の、2階の子供部屋の線を引き入れた。そこにHUBを配置し、2階の屋根裏に線をまわし、残りの2つの部屋に線を引き込んだ。
 1階に2箇所、2階に3箇所でネットの使用が可能になった。光は何台でも端末の接続が可能なため1階部分にHUBを配置すれば、もっと使用することが可能である。今1階は、パソコン2台、DVDレコーダーの3台、2階にパソコン2台の計5台を接続している。
 一緒に電話は、光電話に移行。基本料金が安くなった代わりに、市内でも市外局番からダイアルする必要が生じた。
 
2009.02.01
 
1999年に自宅を新築し、今年で10年目となる。当初は、D栄ホームでパナホームを立てたのであるが、2007年にはD栄ホームが他の住宅メーカーのブランドを扱うことになったため、管理会社がパナホーム静岡(株)に変わっていた。
 昨年12月にパナホーム静岡から10年目の点検を実施したいと連絡がある。パナホーム友の会に加入しているが、この会に10年無料点検がある。その点検を実施したいと日程調整の連絡である。
基礎から屋根まで点検して悪いことろは、瑕疵担保として、無償で修理となる。
実際点検をやってみると、悪いところが複数見つかった。
1つは、庇の裏側にしみが浮き出ているとのことで、無償修理。本年1月の中旬に実施したが、家全体を覆う足場を組み、工事となった。自転車置き場の屋根も外して大掛かりであった。作業は2日ほどで完了した。
2つ目は、基礎の亀裂の修理である。これは2月6日から3日間で修理を実施するとのことである。どうなるかわからないが、基礎部分であるのでちょっと心配である。家の中に入ることはなく、自宅の電源と、水道だけを借用したいとのことである。
前回の足場の工事もそうであるが、誇示終了後には工事内容の報告があってもよさそうであるが、、、、、、 今回の作業が終わった後であるのだろうか?