更新2011/5/23 
日本全国地域情報 Town Information in Japan 日本全国地域情報 Town Information in Japan

いなさ町に生まれて、いなさ町に育った男が言った。
いなさには美しい山や川、湖がある。(パノラマ写真館)
これらを紹介するホームページを作りたい。
そして男のホームページ作りの挑戦が始まった。プロジェクト
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掲示板 コース(概略) ブログ引佐まるごと発信 リンク集

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画像をクリックすると詳細ページが開きます。

三岳山
三岳山(みたけやま)は山頂近くまで車で行けます。ここでは、ふもとの井伊谷からのハイキングをご紹介します。1時間30分ほどの行程を上り切れば大パノラマに思わず感嘆の声をあげる事でしょう。
立須峰
立須峰は石灰岩の奇岩が立ち並ぶところです。浜松市からでもその山容は見ることができます。ここから浜松テクノポリス、遠くは浜名湖が望めます。
富幕山(幡教寺コース)
富幕山(とんまくやま)は引佐町で3番目に高い山です。奥山半僧坊のある門前町の町営駐車場から、2時間30分で頂上へ着きます。眼下に奥浜名湖を望むことができます。
富幕山(高原コース)
奥山高原レジャーランドの上の駐車場から登り始めます。いなさの山々望みながら1時間の快適コースです。
富幕山(周遊コース)
富幕山は整備の行き届いた、すばらしいハイキングコースです。今回はマイカーを林道脇において周回して、元に戻るコースを紹介します。初秋の山野草を楽しむには、最高のコースです。       
富幕山(大周遊コース)
富幕山は整備の行き届いた、すばらしいハイキングコースです。今回はマイカーを林道脇において周回して、元に戻るコースの大回りコースを紹介します。初秋の山野草を楽しむには、最高のコースです。
城山無線中継所
城山は天山(あてやま)とも言って引佐町では2番目に高い山です。麓の田沢部落から林道を行くコースです。頂上まで車で行けます。
兎荷山から三岳城址
兎荷山(とっかやま)は三岳山三山の一番西の山です。途中まではみかん園の農道やユーカリ畑を行く景色の良いコースです。最後の急登は中級者向きの非常に険しいコースへと変わります。 
兎荷お寺裏から兎荷山
兎荷山(とっかやま)をお寺の裏から登る遠回りコースです。このコースはすぽるてんのテニスコートを出発するようになっていますのでマイカーで来れば駐車場があります。
上下の浅間山
愛知県との県境にある浅間山は頂上に仏様が鎮座するスピリチュアルな山だです。静けさや霊場めぐりの好きな方にお奨めのハイキングコースです。
枯れ山(ギフ蝶観察コース)
引佐町の渋川地区と天竜市はギフ蝶の生息地として有名です。3月下旬から4月上旬の桜の季節にギフ蝶の乱舞が見られます。ここではふもとの部落から林道を散策ようの遊歩道を歩くコースを紹介します。    
渋川つつじ公園
公園と言っても小山です。しかし気軽に登ることが出来ます。渋川つつじの咲く頃(5月中旬から6月上旬)はイベントも開かれ農産物や、ごへいもちのおみやげを販売している時もあります。ぐるっと回って1時間のコースです。
城山公園
城山公園は我が町井伊谷を見下ろす小高い山です。毎日のウォーキングに最高です。また桜の季節には花見が楽しめます。南北朝時代の歴史の物語る城山城址でもあります。
東海自然歩道
東海自然歩道は引佐町の最北端をちょっとだけ通っています。引佐町の最高峰鳶の巣山を南巻きして進む林道はとても静かです。
鳶の巣山
鳶の巣山は引佐町の最高峰です。山の反対側は愛知県です。東海自然歩道沿いに登山口があって、そこから登れば40分ほどで登れます。頂上のすぐ近くに植林された見晴らしの良いところがあります。
いなさ湖西岸散策
いなさ湖は春の桜の頃と、秋の紅葉がいいですね。年中つりも楽しめますし、バーベキューサイトとしても利用できます。最近はきれいなトイレも新設されました。
竜ヶ石山(360度のパノラマ)
2億5000万年の眠り、神秘の大鍾乳洞でおなじみの竜ヶ岩洞から登るコースです。整備された登山道のうちで一番昔からある直登コース。
最近はバイオトイレも完成しハイカーに喜ばれている。
竜ヶ石山(カルスト地帯コース)
2億5000万年の眠り、神秘の大鍾乳洞でおなじみの竜ヶ岩洞のある山です。整備された登山道と頂上に建てられた展望台からの眺めはたいへんすばらしいですよ。
観音山「治山の森」散策
観音山は少年自然の家があることで有名ですが、ここのウォークラリーコースの一部でもあります治山の森を歩くコースを紹介します。沢登りも体験出来て楽しいコースですが、長袖、手袋、虫除けスプレーなどの支度が必要です。
神秘の池と霧山(北コース)
霧山は引佐町のほぼ中央に位置している。引佐町にある2つのゴルフ場を南北に抱え、色々なハイキングコースが存在する。ここでは北の林道から行くコースを紹介する。
霧山縦走コース(いなさ湖より)
いなさ湖の西岸を北上すると猿渡り沢が湖に注いでいる。そのクボ沿いに登山道が開かれていて、浜松市野外活動センターのコースになっている。ここの尾根伝いに登って行けば活動センター上部に着く。さらに展望台、霧山山頂へと続いている。
富幕南山から尉ヶ峰
尉ヶ峰は細江からのコースが有名だが実は奥山側からも登ることができる。冬場の空気の澄み切った時なら富士の霊峰も見えるし、アルプスも見える。場所を換えれば眼下には浜名湖も望むことができる。


ホームページ製作にあたって

“いなさの山からこんにちは”のホームページをごらんくださいまして、ありがとうございます。今後とも少しずつ更新に励みたいと思っております。近場で楽しめるハイキングコースをと思いましたら是非“いなさの山からこんにちは”を思い出してください。
(以下の文は合併以前に書いたものです)
さて「いなさ」って初めての方は読みづらいですね。静岡県の浜名湖の北に引佐郡があります。引佐町、細江町、三ヶ日町の3町で構成されております。細江町は姫様道中、三ヶ日町は三ヶ日みかんでそれぞれ有名ですね。当引佐町についてはこのあとたっぷり紹介します。近々浜松市との合併の話が取りざたされておりまして、引佐郡が消滅するのも時間の問題でしょう。平成の大合併の号令のもと多くの伝統ある町や村がなくなってしまうのは悲しいことですが、行政改革の一環としてしかたがないのでしょうか。どこかに「いなさ」あるいは「引佐」の名前を残していただければ“いなさの山からこんにちは”のホームページ製作者の立場からもうれしいですね。
引佐町と書いて「いなさちょう」と読みますことは前にも述べましたが、その語源を紹介いたします。引佐は和名抄に伊奈佐と称し、中世は井伊庄と称されていたようです。しかしいつから引佐の文字が使われるようになったかは定かでないようです。万葉集に歌われている「遠江引佐細江の・・・」から、の名前にしたというのが一般的な引佐の語言説です。 

奈良・平安時代は、遠江国引佐郡渭伊郷に行政区画された地で、その郷名は現在の井伊谷という地名に受け継がれているのですが渭伊と言う地名は本来「井」であり、井(泉)や井水が多い地であったということらしいです。浜名湖も都田川の下流の一部とされておりますが上流であるこの「いなさ」の地はまさしく水源にふさわしい地名が付いていたわけです。話は戻りますが天竜浜名湖周辺の合併構想の区割り案の一つに浜松市の北部と引佐3町を合体した地域を一つの行政区にする案が浮上しておりますが、そうなれば、いにしえの時代の復活です。たいへんに興味のあるところです。

緑と花に囲まれた“活力とやさしさあふれるまち いなさ”簡単に“緑と花のまち いなさ”っていうのがわが町、引佐町のキャッチフレーズです。ほんとうに引佐に来て頂ければわかりますが、三方原台地を抜けて引佐の地に入りますと山が近づいて来ます。昔は(三信街道)鳳来寺街道、今は国道257号線を北上すれば、井伊谷の地着きます。この辺りからさらに進むと山懐に抱かれいくようすが実感して参ります。昔の人もきっとこの地から心を引き締めて山間を抜ける旅のスタートを切ったことでしょう。山があれば緑もあるのが当然ですね。緑ばかりで花が無いって悪口を言われた時代もありましたが、最近では路上の花壇や、街路樹の整備も進み“緑と花のまち いなさ”にふさわしい引佐町になって来ました。もともと花の生産はは引佐町の基幹産業であったので“緑と花のまち いなさ”とキャッチフレーズをつけたのではないかと思われますが、ここへ来て名実ともに“緑と花のまち いなさ”になりました引佐町のさらに応援して行きたいと思います。

最後に引佐町の木と、引佐町の花の紹介をいたします。引佐町の花は、 渋川つつじが選定されております。 県天然記念物にも指定された貴重なもので、引佐町特有のものであるそうです。引佐町の北部の渋川つつじ公園でその群生が見られます。毎年5月20日から6月上旬まで艶やかなピンクの渋川つつじを観察することができます。“いなさの山からこんにちは”を見ていただければ詳しく載せてあります。是非御覧下さい。そしてお出かけください。静かな農村の傍らで戴く五平餅の素朴な味わいと渋川つつじの艶やかさがあなたの心を癒すことでしょう。是非お出かけください。
引佐町の木は ヒノキです。 引佐町の土質に適し将来の町の発展に象徴にふさわしいものであるという事で指定されました。町内の至ところで植林されております。特に引佐町最北端の鳶の巣山あたりのヒノキ林の植林地はすばらしいところです。鳶の巣山は上部は視界が開けていませんが、ヒノキ林の途中から南方向を望めば、引佐町内の山々がおり重なって見えます。まさに引佐引佐の山って感じがします。残念ながらここまで北上して来ますと、隣の天竜市に高い山があって富士山の雄姿は見ることができません。富士山を楽しむなら引佐町の南の山、三岳山、富幕山、竜ヶ石山がいいでしょう。冬場の空気の澄んだ日なら遠くに見える富士の雄姿と浜名湖の夕暮れに心を打たれることでしょう。各ページを隅々までごらん頂くことをお願いします。

話は少しそれますが平成16年10月12日の新聞に「中国は西安市内の工事現場で墓誌が見つかりその墓誌は一辺39センチの正方形の石で、表面に171字が刻まれていた。個人が収蔵していたものを西北大の博物館員が収集した。」とあった。奈良時代の717年に阿倍仲麻呂らとともに遣唐使の一員として唐へ渡り、勉学途中に客死した留学生の生前の功績を記した墓誌に刻まれたのは井真成という人物である。ここでその人物像を考察するに中国風に姓を1字に変えているが、日本、中国の文献には相当する名前はなく、全く知られていないので井上とかいう姓ではなかろうかと古代史の著名な先生の談である。そこで当地引佐町を思い起こしてみよう。井八郎なる人物が保元の乱に義朝に随って上洛したと吾妻鏡にあるのを引佐町の古代史を研究しているものには知られている。保元の乱は1156年であるから遣唐使の時代と400年の隔たりがある。その400年の月日を長いと見るか、わずかだと見るかは別としてこの井伊谷の地に井という名の一族がいたとしたらである。
この井伊谷は古くから中央政権とはつながりも多い。733年には龍潭寺の前身地蔵寺が建立されたように仏教を中心とした中央政治の政策を実施すべく貴重な地域であったことに間違いはないと思う。この井伊谷の地に生まれ育った秀才、今で言うエリートが中央政治を目指し、さらに遣唐使に抜擢されたのではなかろうか?目的半ばにして不運な死を遂げてしまうが、このまま任務を終え、日本に戻ったとしたらである。一辺の墓誌から推察してロマンの世界をついつい漂ってしまった。そういえば「あまのはら ふりさきみれば かすがなる いなさの山にいでし月かも」と読んだの仲麻呂さんでしたよね。
引佐町は古くから色々な文化が栄え、自然の残るいい所です。ぜひ遊びに来てください。
今後とも“いなさの山からこんにちは”ともども引佐町をよろしくお願い致します。

浜松市合併

平成17年7月1日より近隣11市町村が浜松市に吸収合併されました。ここに引佐町50年の歴史を閉じたわけでありますが新浜松市になってからもなお、「いなさ」を忘れないでほしいと思っています。
さて、合併の話の中でよく新浜松市の構想を語るときにクラスター型の地方分権を残した行政と言われます。これはぶどうの房の一粒一粒のように今までの地方の良さや特徴を生かした集合体をもって新市を形成していくと言うことです。行政改革なしでは増え続ける行政コストの増大にストップをかけることはできない。そこで首長と市町村議員の首を切ったり施設の統廃合で行政コストの削減を図るわけですが首長と市町村議員とは地方の声を代弁する人たちであります。このことが浜松中央部の一極集中になってしまう恐れが出てくる懸念があるわけで対策として地域協議会を設けて地方の声を反映させる仕組み取り入れたわけです。この地域協議会の構成員に私も微力ながら選ばれましたの前置きが長くなりましたが、その心積もりを述べさせていただきます。

地域協議会の構成員
構成員の響きはなんとも恐ろしく裏街道を行く人々の集合体のように聞こえます。それはさておいて、旧引佐町からは16名、他の市町村も旧地域の人口に応じて10名から16名選任されており、総数187名になります。もちろん旧浜松市からも選出されております。新浜松市合併構想にあるクラスター型都市づくりの根源をなす地域協議会ですが、一言で言えば「低コストの地方分権」だと思います。我々地域協議会構成員は無報酬です。別にお金がほしくと、こんなことを書くのではないのですが、今まで町村議員や首長さんが努力され、やって来たことを無報酬の我々構成員がその一翼を担うわけです。大変荷が重い仕事であると、心引き締めています。どうかすると、お題目に終わってします恐れがあります。合併当初の地方を丸め込むだけの話に終らせないためにもこの低コストの地方分権制度を大いに利用しようではありませんか?

ぶどうの種
ぶどうの種は食べれば吐き出します。吐き出すとはちょっと、はしたない表現ですが捨てると言う事です。中には種無しぶどうと言って種すらない栽培方法もあるようです。ここでは一般的に種ありぶどうで話を進めます。普段捨ててしまう種を上手に発芽させてみましょう。やがて苗になり木になりつるを作り、実も付けることでしょう。まさしく地域協議会とはこのような存在なのです。使い方によっては捨てられるものも役に立つということです。しかし現実、ぶどうの種を発芽させるのは至難の業でしょう。地域協議会もまさしく同様だとおもいます。
この話、まだ何処でも聞いたことのないオリジナルな話なのでこのページにこっそりと載せておきますが、何処かでこの話、聞いたら「いなさの山からこんにちは」の作者も同じようなことを言っていたなと思ってください。まるで校長先生が生徒に訓示するようなネタですが地域協議会の存在はこんなものと理解してください。実はこの協議会が発足した日、某TV局からインタビューを求められ、おどおどと何も応えられなかったことに猛省して自分なりの考え方をまとめて行くうちに思いついたことです。今度マイクを向けられたらこのように話したいと思いますが、読者が理解するには時間が掛かることでしょう。

青葉の笛
旧市町村において役職にあった人、功労のあった人などがアクトシティーにおいて合併のセレモニーに招待されました。地域協議会の面々ももちろんご招待を受けました。旧市町村の伝統芸能、コーラス、ブラスバンドなどが披露されました。最後浜松市消防音楽隊によるブラスバンドの演奏とドリームフラッグス119の演技は圧巻で、さすが浜松その巨大な財政力をまざまざと見せ付けてくれました。セレモニーのフィナーレにふさわしく、その感動は今も目に焼きついております。
さてその中でわが旧引佐町は「青葉の笛」の演奏を行いました。比較的はなやかな演出がされる中で静かな音色の演奏は館内に静寂なひと時を醸し出しました。この「青葉の笛」は戦国時代の初期、当地の豪族井伊氏と実行支配していた今川家の争いに端を発した事件が生んだ渋川地区にある伝説です。そのくだりは以下のようになります。亀乃丞という当時9歳の子が父の死によって今川家から追われる身になり、縁のある信州市田郷の松源寺に逃がれました。松源寺の和尚や松岡家の人たちに暖かく育てられ、学問や武術を教わり、日に日にたくましくなり12年の月日が過ぎました。その間、故郷のことを思い出すたび、笛を吹き鳴らして、寂しさをまぎらわせていたようです。やがて弘冶元年の春、井伊谷からの知らせでもう安全な所となった事を聞き帰郷することになりました。帰路、井伊領の渋川にある八幡神社に、無事帰国を報告し、信州思い出の笛を奉納しました。この時20歳の青年でありましたがその数年後亀乃丞改め井伊直親は再び今川の謀略に巻き込まれ、27歳の若さで殺されてしまうことになるのです。この知らせを聞いた渋川地区の人々が薄幸の貴公子を偲び形見の品として今でもその時の青葉の笛をたいせつに保管しているとのことです。セレモニーではこの伝説から悲しく響く笛の音を再現して発表されました。この笛のレプリカは青葉の笛本家和泉村の青葉の笛資料館にも展示されております。

和泉村は福井県と岐阜県の県境にある村で、福井県の一番東にある山深いところですが、平治の乱のころの伝説源義平公と青葉の笛で有名です。もう一つは「一の谷のいくさにに破れ討たれし平家の公達あわれ」と唱歌に歌われた須磨寺の青葉の笛です。内容はそれぞれ有名なお話ですのでここでの説明は省かせていただきます。いづれにしても時の勢力下にあって、その勢力に屈した側の悲哀を奏でる点で一致していると思います。

平成の大合併の号令のもと浜松市とその周辺市町村との合併が平成17年7月1日こ行われました。合併のセレモニーで演じた前出の旧引佐町の「青葉の笛」の話に戻しますが、それは時の勢力新浜松市に合併された側の悲哀とも心意気とも取れるメッセージを含んでの演奏であったかと思います。さすが元引佐町の教育長、粋な計らいをしてくれたものだと感服しております。クラスター型地域分権都市作り構想が実現できるよう、監視をし、意見を堂々と述べて行きたいと思います。平成版青葉の笛にならないようにしたいものです。伝説は悲哀をこめ、情緒的で美しいと感じられますが現実はきびしく生き延びることだと思います。そして夢のある未来に向かって平成の大合併が価値あった事だと感じられる日が来ることを望みます。地域の声を大にして叫んでみましょう。

地域協議会たより  平成18年6月28日

風力発電施設建設について
引佐町の三岳山周辺に風力発電設備が出来るようです。これらを踏まえて浜松市ではガイドラインを作成するようです。その風力発電施設等の建設に関するガイドラインの作成に当たり、地域協議会に説明がありました。要約すると、クリーンエネルギーである電力システムであるから、これから推進されて行くべき事業である。これらのことが騒音、電波障害、自然環境などに影響を与えることのがあってはならないのでガイドラインを決めるとのことでした。

ここで反対、賛成を唱えるつもりはないのですが、これからのエネルギー対策上、これらは国家レベルでガイドラインを作るべきであって、地方自治体がそれぞれ、頭をひねって作るべきことかな?と疑問を感じました。

何でも地方の時代と言われますが、国家的な指針と地方分権と、うまく分業して行くべきだと思います。引佐町では事業者の説明会があったりと、すでに事業が進んでいるようですが当局はまだ知らないようでした。知らないと言うより正式に届出がされていないとのことかも知れません。ガイドラインがまだ出来てないので早い者勝ちかもしれませんね。

クリーンエネルギーであることはは勿論、観光開発にもなったりと上手にやればいい地方活性化作になると思います。上手く進展して行く事を望みますが、指針が示される前のどたばた設置ではこまります。アンテナを高くして情報を収集して
ほしいものです。  

地域協議会たより  平成18年7月16日
引佐地域協議会が10日開催されました。主な内容としては政令指定都市移行時の組織(案)についての説明を本庁の担当者から説明を受け、それに対する質問等を行いました。

 要するに組織図の説明ですが、その膨大なピラピッド構造を見ると唖然としてしまいます。これだけの組織を構築するためには相当のエネルギーを要したことでしょう。数字的にみても合併のメリットが現われる組織を希望し、かつ住民サービスの低下が起こらない末端組織の維持を願うのものです。担当者のさらなる英知の結集を望むところです。

 さて引佐地域協議会のある旧引佐町を見てみましょう。

地域振興課   13名 地域協議会 地域自治振興費事業 一市多制度事務 公聴等 自治会
               住居表示 管内の産業
               文化・スポーツ振興 生涯学習等
地域生活課   9名  戸籍 住民基本台帳 印鑑登録その他の市民窓口業務 防災 防犯 
               市民相談 税務相談 教育相談 環境
地域福祉課  12名  生活保護 障害者福祉 児童福祉等の相談 受付 介護保険
               高齢者福祉 年金 国保

 以上の34名に体制になります。これだけ見ればほとんどの窓口業務はこなせる論理にはなりますが、はたして34名が一致協力してあたってもスーパーマンで無い限り業務が混乱するのではないかと危惧されます。そうでなければ予め、薄いサービスを容認しているのかと感じ取られます。
 協議会の委員の質問の中にも例えば、文化・スポーツ振興においても今までと同様の仕事ができるのか?消防団や自主防災においても地域の防災の担い手の役割を持っていたが手薄になりはしないか等の質問が出されました。私の場合も商工会と税務課の行政が両輪のようにやってきたことが片方のサービスの低下が商工会への負担増にならないかと心配されましたので質問をさせていただきました。一般市民も税務課の窓口を訪ねて青色申告等の相談を受けていましたが、そういう現場の実態を本庁の方々は把握してないような気がしました。

 さらに合併の公約である一市多制度について、それぞれの旧市町村が行ってきた行事などが担当職員の不足からくる弊害からなおざりになってジリ貧になってしまうのではないかと思われることです。NPOとか市民協働とかでこれからは地域のイベントは地域住民が中心になってやって行こうとする方向にあると思います。そうした考え方に切り替えていくことも大切なことだと思います。しかしながらそこまでにたっする時間が余りにも短い気がします。辺地が切り捨てられ一市多制度の崩壊にならないよう何らかのセーフティーネットを張る政策を考えてほしいと思います。単なる甘えなのでしょうか?

 さて人員構成をみると本庁で仕事をする人たちが多い気がします。県からの権限委譲で仕事量が増えることは否めないにしても、こちらの人員を末端から吸い上げて動員しているような気がします。クラスター型の地方分権をめざすとされた今回の合併ですが、ぶどうの房のイメージからトウモロコシのイページに変わりつつあります。一粒一粒はぶどうと同じように点在するが芯こばかりが太いという意味です。