*江戸時代(1603−1867)頃
わさび栽培発祥 1604年
安倍川上流の有東木(うとうぎ)はわさび栽培歴史の始まりと言い伝えられています。
現存する「井戸頭」という湧水地に自生していたわさびを採って試しに植えたことが初めとされる。
門外不出
駿府城に居を構えた大御所、家康公にわさびを献上したところ大変気に入り、門外不出のご法度品として珍重された。
その徳川家の家紋にわさびの葉が相似していることで、わさびを門外不出にしたという俗説もあります。
和漢三才図会(わかんさんさいずえ) 1712年
「山葵は本朝式で山薑と書き、わさびと読む。
〜中略〜
これを研していり酒と和ぜ、さしみ・なますを食べると最も佳い。蕎麦麪(そばきり)を食べるときも欠かすことはできない。魚毒・麪毒を解する効果があるからである。」
天城山麓での人工栽培 1744年
天城湯ヶ島村の板垣勘四郎は三島代官の命によりシイタケの人工栽培の方法を教えるために有東木に派遣される。そこでわさびの人工栽培を目にし、国に持ち帰り、天城湯ヶ島の浄蓮の滝近くの岩尾地蔵伽藍で試作を始めた。
山守であった板垣が栽培を始めたことで周辺各地で次々と栽培が始まった。
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