寛政の初め(1790年頃)時雨が峯(龍爪山)の穂積神社神輿がこわれ
造り直した際に「西奈八景」と題して句を集め、神前に奉納されたことに起因しています。
「清涼山光鏡院」の夕べを告げる梵鐘の音は、電灯ががないころの夕暮れの淋しさと静けさの中を、
田畑から家路に帰る人たちの心に響いた物と思われます。
この鐘は宝暦五年(1755)に造られたもので、胴まわり2m、高さ80cm、重さ220kgほどの大きさでした。
しかし、太平洋戦争の時、兵器を造るために国に供出させられ、今は無くなってしまいました。
清涼山光鏡院
西奈小学校の前身「循有舎」のあった大谷津の「月光山長覚寺(明治期に廃寺になっている)」あたりから見た、
裏山に昇る秋の月は一服の絵になったかもしれません。
この裏山とは、梶原山やその南の天徳山、一本松公園などです。
大谷津公民館 裏 山
長尾川西岸の飛び地、今の西瀬名町(県立東高校の東北100mあたり)が、昔は古瀬名の西が西田といわれてきました。
ここはかつては田園地帯で淋しい所でしたし、長尾川の両岸には竹やぶで覆われていました。
秋の終わりごろ、このあたりで残照の中、列を組んで雁が北の方へ飛んでゆく様は、さぞや風情のある光景だったでしょう!
西瀬名町(長尾川付近)
瀬名川地区と古庄、草薙地区の境界を流れる巴川は、かつて運河の役割を果たしていました。
その昔、静岡浅間神社の石鳥居も、この川を経由して運ばれたといい伝えられています。
昭和10年頃までは、平底舟に棹さす農夫の姿も珍しいものではなかった。
上土、川合、矢崎など川沿いの村々では、夕暮れ時、岸にはよく川舟がつないであった。
晩秋、むしろの帆を張り、稲束を積み込んだ川舟が、行き交う光景は、美しい農村の風物詩だった。
昔はもっと寒く雪も何度か積もりました。氷も日陰では一日中溶けませんでした。
文殊岳・薬師岳の二つの峯に映える夕暮れの雪は、八景の1つには欠かせない景色だったでしょう。
「龍爪山に二、三度積もる雪を見ないと本当の春は来ない」といわれていますが、それだけは今も変わりないようです。
龍爪山に二度積もる雪 (2008.2.4 W52S撮影)
瀬名の弁天池は、貞享二年(1685)地頭・大久保紀伊守の奥方の夢枕に、弁天様(七福神の中の女神)が現れて、
江戸の不忍池に模って池を造るようにといわれ、島も池も同じように造られたと伝えられています。
鳥居のそばに這うように突き出た松や、満々と湛えられた水の上に静かに降る春の夜の雨は、灯籠の灯に映え
一段と心を打ったことでしょう。
春になると、遊歩道にはきれいな桜が咲きます!
瀬名の弁天池 梶原山より弁天池を望む
鳥打山は、土を採るために削られてしまいましたが、その昔は小高い丘になっていました。
大正末期までは秋になると雑木林が紅葉し、夕日に映えて真っ赤に輝いた景色はすばらしいものでした。
昔ここに(現在の常葉学園大学、西奈中学校のあたり)瀬名砦があったという説もあります。
常葉学園大学本部 静岡市立西奈中学校
名馬磨墨にまたがって、宇治川の先陣を競った勇将梶原景時・景季・景高父子の自刃した梶原山の山頂は、
今は立派な公園になりました。
この草原に緑の風がそよぐ。富士山、伊豆、駿河湾の海を眺望する梶原山の絶景。
人の世の栄枯盛衰にしばし我を忘れて立ち尽くすが、峰を渡る晴嵐は、懐古の情を誘う。
梶原山山頂と富士山 駿河湾と伊豆半島を望む清水方面
参考資料
西奈詩『西奈わがまち』:西奈詩編集委員会
『長尾川流域のふるさと昔ばなし』:中川順一郎 著/静岡市立西奈図書館友の会“けやき”
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