#1

「暗黒の剣です。あなたに差し上げます。」

 机の上に置かれたそれはどう見ても玩具の剣だった。マルスは無意味に瞬きを繰り返してみたが、見えるものも置かれた状況も、はたまた向かいに座る女神の表情も(それはそれは綺麗な笑みを敷いていた。)特に変わることはなかった。

「どうします?」
「どうするも……」

 唐突な問いにマルスが口籠ってしまうと、静寂ばかりがその場に居座る。女神が子供をあやすようにあらあらと身を揺らした。

「では、導いてあげましょう。剣を手に取りなさい。」

 女神の言葉が、まるで魂の取引を促すかのように響く。目の前の剣は紛れもなく玩具だ。手に取ったところで相応のちゃちな質量を感じるだけだろう。そう確信している。そうだ。ならば、動けるはず。膝の上で堅く握りしめていた拳をゆっくりと開いた。じわりじわりと剣に手を伸ばす。汗ばむ手の平。やはり寸前に手が止まってしまう。縋るように向けた視線の先で女神が笑っている。誘うかのように微笑んでいる。さあ、人よ!さあ!

(言われている気がする!)

 勢いのままに、剣を手に取った。


#2

「マルス、その指。」

 苛立ちを隠せない声でそう訊けば「夕飯の支度をしてるときにやっちゃって。」とうららかに答えてみせる。そうじゃないだろ。僕はその大したことの無い傷なんかよりも、君の細い腕に巻き付く、見覚えのある忌ま忌ましい色に気を取られているんだ。予想は悪い方へばかり展開していく。そして恐ろしいのは、これからそれが現実になるということだ。

「血がなかなか止まらなかったんだけど、アイクが止血してくれたんだ。優しいよね。」

 僕の目の前で無配慮に腕を掲げて見せる。ああ、ほら、これだよ。こちらの感情を一切汲んでいない満面の笑み。いつだって彼の笑顔は魅力的だ。けれど、今回ばかりは殺してやろうかと思った。


#3

 体を重ねた翌日の朝がすごく苦手だ。

 そんなことを思いながら手早く身支度を整えるスネークさんを見ていた。既に暗い色の迷彩服を着込み、手にはバンダナを握っている。ぼくはというと未だ肌着のまま、ぼんやりとベッドに座っていた。この瞬間、いつも痛いほど実感する。昨夜どんなに優しく触れられても、どんなに密やかに囁かれても、ひとたび袖を通せば二人は再び肩書きを背負い、他人に戻ってしまうのだと。
 バンダナを額に巻くとスネークさんは何のためらいもなく銃を携えた。アイスブルーと呼ぶには濁りすぎているその目は、どこを見据えているのか見当もつかない。この人はもう、ぼくの知らない人なのだろうか。

「また死にそうな顔してるな。」

 部屋に笑みを含んだ静かな声が響く。ぼくは女々しい未練をすべて見透かされたような気がして、シーツの中に大急ぎで逃げ込んだ。


#4

 身動き一つ取らずともじわりと肌が湿るような夏の夜。寝苦しさを覚え、ふと目を覚ました。きっとしばらくは眠れぬ時間が続くのだろう。汗ばんだ体に纏わりつくシーツを煩わしく思いながら、隣人はどんな様子なのかと横たわるマルスに視線を移す。伏せられた睫毛。静かな寝息。白い肌から吹き出た汗の粒が頬の曲線に沿って転がっていくのが見え、何となく額に張り付いた髪を払ってやった。マルスが小さく呻いたかと思うと体を震わせる。砂糖細工のような色の髪が、ベッドシーツにさっと散らばった。

「悪い、起こしたか。」

 髪に触れている手を止める。まだ夢の世界に遊んでいるのか、口を半開きにしたままマルスは何も言わない。些か不満げな表情になった彼の髪を撫で、再び梳くかのように指を動かすと心地良さそうに目を細める。俺の手のひらに頬を摺り寄せる仕草は幼い少年のようだ。しばらくそんなことをしているとはたと目が合って、薄い唇がなだらかな弧を描いた。

「……スネークさんのにおいがする。」

 その言葉の持つ妙な色気に、じわりと理性が溶けていくのを感じた。

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