第1話  2003.02.02


『玩物喪志』−ペプシマンボトルキャップ・その1−

 三十八で結婚し、長年かみさん一人できりもりしてきた温泉場の焼鳥屋を手伝うようになった。
 水商売ははじめてではないけれど、酔払いどもの無遠慮な視線に馴れるにはニ年を要した。とはいえ、今日でも酔払いどもは苦手だ。銘酒や銘店を口にしながら一本百円の焼鳥を頬張る賢しらの、そのふやけたどたまをかち割りたくなる衝動をおぼえる。店をほおりだして元のプー太郎に戻りたくもなる。
 独り身は気楽だった。金の代わりに時間があり、責任の代わりに孤独があった。孤独の繭の中から世間を透かしみる鬱屈と倦怠は、甘美な背徳として私を実人生から遠ざけていた。
 何故に結婚をしたのか? 縁というのがもっとも無難だし、縁というよりほかにことばもない。
 オモチャやオマケとの出逢いもまた縁であろう。
 私は子供の頃からオモチャが好きだった。殊にオマケが大好きだった。グリコをはじめケロッグや駄菓子屋の当て物。それらをお菓子のカンカンにしこたま詰め込み、隠し持っていたのである。
 そう、私はけしてこの我楽多を人に見せることはなかった。カンカンごと便所へ持ち込み、落し紙の箱をリングに見立ててひとり遊びに興じていたのである。
 ひとつひとつのフィギュアには名前があり、ラゴンは人間発電機のブルーノ・サンマルチノ、ジャイアントゴリラは横綱の佐田の山といった塩梅で、さながら異種格闘技戦であった。
 時に、私は熱狂のあまり糞壺に戦士を取り落としてしまった。浅ければ母に拾い上げてもらい、深ければ戦死ということで、糞尿に埋もれるにまかせた。「糞死」であったか……。
 こうした秘めやかな遊びを、私はおそらく十歳頃までつづけていたと思う。その後はプラモデルにはじまりHОゲージやUコンといった模型づくりに熱中していったのである。
 橋の下をたくさんの水が流れた。
 焼鳥屋のおやじにおさまり二度目の初夏を迎えたある日。私はスーパーでペプシコーラの首に下がった奇妙な袋を見つけた。袋を手にするとゴツゴツとした手ざわり。中にはオマケのボトルキャップが入っている。ただし、中身は開けてみてのおたのしみ。
 私はなにげに二本買った。店ではコカコーラを出していたので、たくさんは要らない。ともかく、どんなものかを手にしてみたかったのだ。
 それからというもの、私はスーパーへ行くたびに二本ずつぺプシコーラを買った。また袋の上から執拗にモミモミし、オマケがだぶらいようにもした。
 全十五種類。十種類ぐらいまではすんなり揃った。が、それからがなかなかにたいへんだった。いいおっさんが売り場に立ちはだかり、脇目も振らずにモミモミしている図をご想像いただきたい。しかも、私はいやしくもこの地で二十年つづく焼鳥屋のマスターである。私はめぼしい品を買い物カートに乗せ、店内を巡りながらモミモミし、的外れならば取り直し、またぞろ店内を巡りつつモミモミを繰り返した。
 全部が揃ったのは、売り場からオマケ付のヘプシコーラが消えはじめた頃だった。
 最後のひとつは、兇暴なブルドックがペプシマンのお尻に噛みついているという5番の「BОWーWОW!」である。これを手にしたとき、私は雀躍りしたほどだった。それは、酒場という鬱憤の掃き溜めでもがいていた私がおぼえた懐かしいひとり遊びの秘めやかなぬくもりであった。

追記
 5番の「ブル公」については後日また記したいと思う。

(写真解説)
 ペプシマン第三弾・アクシデント・シリーズ。
 写真中央(9DAMN!)は、私がおとなになって初めて手にしたオマケ。これから私のオモチャとオマケの遍歴が始まった。

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