第100話    2006.06.18


『アンガジュマン』―ウルトラマンの誕生―

 私のオモチャ集めはペプシマンのボトルキャップからはじまった。
 近所のスーパーへ店の買いだしに行くたびに一個二個と持ち帰り、ならべてはながめしてたのしんだ。なつかしい感触だった。
 高校卒業後二十年を東京で過ごし、結婚を機に帰郷し、かみさんの店へ出るようになった。
 同級生や同窓生はいたけれど、友だちはみな熱海以外にいた。私はひとりだった。
 少年の私は趣味人で、おそらくは最後のガキ大将で、常に周りに人がいたけれど、家にあっては菓子のオマケや当て物のオモチャなどをカンカンに入れ、ひとり遊びに興じていたのである。
 三畳と六畳の借家住まい。隣人の御鳴楽の音さえ聞こえてくる安普請。ぼったん便所に落とし紙。ペプシマンのボトルキャップはそれらをまざまざと蘇らせてくれた。またそれらは親の庇護の下にあった私の安心でもあった。今風にいえば「癒し」である。

 今は存在しないセブン・イレブン熱海銀座町店。ここにはスーパーに先駆けオマケ付の飲料水や菓子がまばゆいばかりに陳列されていた。
 経営者はどんな人なんだろう。少なくとも地の人ではあるまい。
 トンちゃんだった。トンちゃんについてはこれまでに何度か紹介した。トンちゃんは帰郷後はじめて得た友人であり、また彼を通じて私は何人かの知人友人をここ熱海で得ることができた。
 彼とは一年ほど会ってない。連絡も取り合ってない。が、会えばきっと隔てのない口調で語り合えるはずだ。
 おもちゃと文学を始めたきっかけもトンちゃんだった。トンちゃんという読者を念頭において、私は移ろいゆく自己を記録しておきたかったのだ。が、彼からの感想は一度も聞いたことがない。また求めたこともない。マメとズボラが混在する彼のことだから、たいして読んでなかったのかもしれない。
 ご近所コレクターズ。トンちゃんを中心としたオモチャとオマケの集まり。振り返れば、その頃が華だった。童心に立ち返り、いい年をしたオッサンとオバハンがオモチャ集めにうつつを抜かしていた。それもトンちゃんが静岡へ移転するまでの数年で消滅したけれど……。

   アンガジュマンとは、「拘束」「かかわり」といった意味のフランス語である。サルトルはしばしはこのことばを口にしていた。
 彼の著作『実在主義とは何か』によれば「我々があれかこれか、そのいずれかを選ぶということは、我々がそのものの価値を同時に肯定することである。また、各人はみずからの選択によって、全人類をも選択することを意味している」とある。
 つまり、私がオモチャ集めをしているということは、他人に対して「あなたもオモチャ集めにうつつを抜かしなさい。たのしいですよ」と、働き掛けているということでもあるのだから、そのような覚悟を持ってみずからの行動を選択すべきだ、とサルトルはいう。
 実に責任が重いのである。果たして、私は責任の重さを感じてきただろうか。今でもオモチャ集めを人様に勧められるだろうか。
 私にとってオモチャは、ユングのいう「箱庭療法」だった。さらにいえばニーチェのいう「永劫回帰」であり、生の肯定であった。
 私はこれからもオモチャ集めをやめないだろう。が、それは己一個のほんのささやかなたのしみにとどめ、おそらく吹聴することはあるまい。
 よって『おもちゃと文学』はこの100話を以て終了する。
 機会あらばまた他日。
 元気で行こう。
 では失敬。

(写真解説)
 特撮エースの付録「ウルトラマンの誕生」全高約8センチ。ウルトラマンとゴジラは私の世代の二大ヒーローである。にもかかわらず、私はこれまでウルトラマンを取り上げることがなかった。ここに至ってようやくその機会を得た。ウルトラマン、それは「超人」の謂である。

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