第11話  2003.05.11


『そふび道ーる』―セミ人間とゼットン星人―

「こんなもんのどこがいいのか……?」と、私は思った。
「まったく子供のオモチャじゃねえか」と。
 子供とおとなの違いは、持てるおもちゃの価格である。
 今日、子供のオモチャの第一はファミコンであろう。高校受験をひかえた私の甥も夢中だ。が、私は手を触れることさえ汚らわしいと思っている。
 高校生の私はよく喫茶店へ行った。その頃である、テーブルに取って代ってインベーダーゲームが登場したのは。無論、私はちょいと手を触れただけで、ゲームセンターまがいのこうした店へは努めて足を向けなかった。
 友だちにはめっぽう好きなのがいて、ゲーム機の上に百円玉を積み重ね、ソーダ水の氷をとけるにまかせていた。そうした友だちとは、この時期を境に疎遠となった。私はゲームセンターもパチンコも、また競輪も競馬も同じ穴のムジナだと思っているから、私が賭事をやらないのは、私の親しい友だちに賭事をやる者がいないからでもある。
 ゲーム機およびソフトの価格は、子供のオモチャの限度を超えている。親が子供のオモチャとして買い与えているならば、その親はバカである。また、親もいっしょにやるのであれば、もはや子供とおとなの違いがない。わが子にナメられるのもむべなるかなである。
 家庭から父親の居場所が奪われて久しい。ホタル族といって、父親は己の養う家族に遠慮して、戸外でタバコを吸うという。井原西鶴は「打ち殺されても死なぬ子は死なん」といっているのに……。
 安いだけの発泡酒が売れるのは、親が子に気兼ねしているからである。不景気ということばは便利に使われているに過ぎない。
 戦後まもないころ、焼跡の中にあって、親は子の空腹を満たすのにそれこそ懸命だった。それを見た外国人が「日本人はたいしたものだ」と、嘆じたという。
 今日、飢える子はいない。ならば、オモチャを無闇に買い与えない。景気がどうあろうと己は好きなだけビールを呷る。子供を塾などへ通わさず、勉強が出来なければ出来ないなりの立派な生き方があると諭す。そんな親が「たいした日本人だ」と、称賛されるのではないか。
 写真は「ソフビドール」と呼ばれるPVC樹脂でできたオモチャである。奇怪に過ぎて子供はおろかおとなさえも眼をそむけるだろう。また価格も、子供のオモチャの限度を超えているばかりか、軽くなるばかりのおとなの財布も閉じさせる。
「こんなもんのどこがいいのか?」
 これは食い物にたとえると「くさや」である。鼻をつまみながら喰っているうちに虜となり、やがて家族の顰蹙を買うようになる。ただし、隣近所から苦情がこないのが救いである。

(写真解説)
 右・ゼットン星人(マーミット製)左・セミ人間(M-1号製)全高約22センチ。ゼットン星人はウルトラマンの最終話「さらばウルトラマン」に登場した謎の宇宙人。宇宙恐竜ゼットンを操りウルトラマンを葬った。その正体はケムール人か? セミ人間はウルトラQ「ガラモンの逆襲」に登場したチルソニア遊星人Q。ガラモンを操り地球侵略を試みたが失敗し、儚くも処刑された。特撮の世界も弱肉強食・優勝劣敗である。しかし、私たちはそこに滅びゆくものの美学をみないか?
 

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