第12話  2003.05.22


『ジャイ・ガンガー・マー』―印度の人形―

 この時季、西方インドは過酷な夏を迎える。
 日中の気温は優に四十度を超え、なにもかもがぐったりとして、日没までの時間をやりすごしているかのようだ。私はひとりパンヤの木陰にうずくまり、ぼんやりと白想に沈んでいた。
 この国には時間がなく、生と死の別がない。一瞬間が永遠となり、永遠が一瞬にして無に帰する。無は有を生じ、有は無に抱かれる。とどのつまり、世界は個人の想像の域に尽きるのだ。神宿る者には神の世界が、魔宿る者には魔の世界が。
 聖なる大河ガンジス。この時季のガンガーは源流の雪解け水をたたえ、濁流としてほとばしる。河底にまかれたおびただしい人骨を洗う。
「君はなにを信じる?」という私の問いかけに、
「ガンガーだよ」と、インドの友はこたえた。
 その友の遺灰はガンガーの砂礫と化した。ヒンドゥーの民は墓をつくらない。肉体は滅ぼうとも魂は輪廻する。いつかどこかでまた逢える。次の世か、その次の世か……。
 12年前の5月19日、私ははじめてこの国を訪れた。そして翌20日、ガンガーのほとりに拓かれた聖地リシケーシュで、彼と出逢った。
 その二年後に私はふたたびインドを訪れ、ガンガー上流の町ウッタルカーシーで、彼と再開した。それは、まったくの偶然であった。
 町のバザールを所在なげに歩いていた私は、突然、見おぼえのある顔に呼び止められたのだ。
「二三日前に、日本人の夢を見たのさ」と、彼はいった。
「つまり、夢のお告げかい?」
「信じられるかい?」
「信じるよりないだろう。インドは国土も人口も日本の約八倍。こんなドでかいところでばったり出くわすなんて、奇跡だよ!」と、私は彼を前に興奮した。
 彼は勤めていた旅行社を辞め、失業中だった。私は彼の案内で二週間ほど北インドを旅した。旅の終わりは首都デリーだった。
「家族とホーリーをお祝いしなくちゃね」といって、バスに乗り込んだ彼を見送った。
 その三年後に、彼は交通事故で死亡した。オートバイの運転をあやまり谷底へ転落したのだった。酔っていたとささやく人もあった。
 後には妻子が遺された。が、妻子に同情を寄せる者はなく、事故で大金を手にしたからかえって幸せだという。彼はかわいそうだったとも聞かされた。
 1991年10月20日、ウッタルカーシー一帯を襲った強い地震で、彼は両親と弟の三人を亡くした。無事に救出された妹を嫁に出し、ようやく所帯を持てたとよろこんでいたのに……。
 ビレンドラ・シン、愛称ビルー。君の名をここに記す。
※ホーリーとは春の到来を祝うインド最大の祭。色とりどりの水をかけあう奇祭である。

(写真解説)
 私の結婚祝いにインドの友人からいただいた人形。貧しかったビルーの結婚式は、これほど華やかではなかった。彼は野球帽にジーパンという出立ちだった。そのかたわらで、赤いサーリーを纏った新妻がはにかんでいた。
「ジャイ・ガンガー・マー(母なるガンジスを讚えん)」
 

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