第14話  2003.06.10


『続・シークレット』―チョコエッグ・その4―

 今日、私が大枚をはたいて買ったキタダニリョウおよび盲導犬の価格は4分の1である。私は慌ててババをつかんだ! のではない。
 酒飲みとコレクターはともに酩酊をこよなく愛するという点で同類であり、ともに言い訳の達人である。以下くだくだと言い訳を記す。
 シークレットの価格は4分の1に暴落したけれど、それは浮気な市場の話であって、シークレットに対する私の愛着、つまり価値はまったく変わらない。むしろ、その出来栄えもさることながら、買った当時(2年前)の思い出と相俟って価値を高めている。
 私はかみさんの「買っちゃいなさいよ」というひと言に蹴飛ばされ、腰砕けとなった。うれしさよりも戸惑いを、こんな向こう見ずな女といっしょに暮らしていけるのかという不安をおぼえた。反面、心強くもあった。
 この年になると、しでかした後悔よりも、しでかさなかった後悔のほうが大きい。やっとけば良かったと、骨をかまれる夜がある。だから、たとえウンコでも一度は食べてみるべきだと、日々己に言い聞かせている。
 おそらく、かみさんはウンコを食べたことがあるのだろう、と私は怪しんでいる。
 シークレット6体を手にした私は、その足で静岡駅地下街の食堂に入った。その場で検品すればよいものを、否、カネを払う前にすればよいものを、私は興奮と羞恥とで我を失い、早いとこブツを手にしてその場から逃げ出したかったのだ。
 商店街の籖引きで特等が当たったときもそうだった。私は大衆の面前で恥ずかしげもなく「チリンチリン」とやられて卒倒しそうになった。これはあまりにも唐突に、非日常が津波のように押し寄せてきた衝撃による。
 私はふるえる手で袋を開け、慎重に部品をしらべ、さらに慎重にチョコレートのオマケを組み立てた。こんな高い買い物をした己の無鉄砲に満足した。否、これは私一人の買い物ではなく、かみさんの買い物でもあったのだ。ならば、私はかみさんの心中を慮って満足し、あるいは満足したふりをしなければならなかった。
 後日、私は三頭の盲導犬を飾るための小さなプラスチック・ケースを買い求めた。日々こうした己の愚行を眼にすることによって、なにかしらを感じ、何事かを考えてみたかった。
 仏教に「色即是空・空即是色」という。難しい説明は専門書にゆずり、その意味するところは「モノの価値はその時の個人の裁量に委ねられる」ということである。「形あるものはいつか滅びる」などと分かり切ったことをしたり顔でいわず、一切皆苦のこの世にあって、一瞬間という永遠にこそ仏教の真面目を観るのである。
 この一文を草するにあたり、私は改めてシークレット6体をながめ思った。性懲りもなく、私はあらゆる愚行を繰り返して行くことだろう。自分が自分であることの不快に堪えながら、生きて行くのである、と。
 追記
 先般、件の彼女は「メーカーの汚いやり口(80個入り1ボールを買ってもシークレットはもとよりそれ以外の24種がそろわない)にすっかり興醒めした」といった。いつもながら黴が生えそうなほど陰気な風体ではあったが、束の間、晴れやかな表情をのぞかせていた。
 
(写真解説)
 チョコエッグ・ペット動物1弾(フルタ製菓)のシークレット盲導犬3種。全高約4センチ。現在、私の部屋には茶色(チョコQ・ペット動物3弾のシークレット)が加わり四頭の盲導犬がならんでいる。愚行の連鎖である。
 

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