第16話  2003.07.01


『やきとり屋』―あぶさん―

 本名・景浦安武。昭和48年ドラフト外で南海ホークスに入団。当初はバットに酒しぶきを吹きかける代打専門だったが、南海がダイエーに身売りしてからはレギュラー。プロ野球生活31年目、56歳となった今シーズンも現役最年長選手として活躍している。
 ご存知、水島新司の人気漫画『あぶさん』のプロフィールである。
 さて、この『あぶさん』のモデルとなったプロ野球選手をご存知だろうか?
 永渕洋三、昭和17年5月、佐賀県生まれ。佐賀高(現佐賀西高)からノンプロ東芝(川崎市)を経て42年ドラフト2位で近鉄に投手として入団。後、外野手へ転向。51年日本ハムへ移籍し、54年に引退。首位打者1回、通算打率2割7分8厘。
 永渕は水島新司が『あぶさん』のモデルにしたほどの大酒飲みである。その酒量が人の口の端にかかるようになったのは、40年秋、西鉄ライオンズの入団テストに落ちてからだという。
 それ以降、永渕は練習後に川崎駅に近い飲み屋へ通いつめ、30万円に上るツケをこしらえた。当時は大卒の初任給が3万円の時代である。借りる方も借りる方だが、貸す方も貸す方である。よほど永渕の人柄に惚れ込んだか、高度経済成長期のガムシャラというものだったのだろう。
 めでたく近鉄に入団した永渕は、その契約金400万円の中からツケを返済。入団時に「これで飲み屋の借金が全部返せる」とコメント。これが水島新司の目に留まり、『あぶさん』誕生となったのである。
「この話は漫画そのもの。そこで主人公を底なしの酒飲みに決めた」と、水島はいう。
 引退後、永渕は郷里の佐賀市柳町でやきとり屋を開業した。店名は「あぶさん」。
 店を訪れた水島は「カウンターの中で串を焼く姿があまりにも板についていて驚いた。と同時に安心した」と、語っている。
 ここまでを、私は産経新聞に掲載された記事をまとめて書いた。
 今、私の手許にある写真の永渕は、ビールのジョッキをならべた棚を背に写っている。ジャンバーを着込み、縁無しメガネをかけ、腫れぼったい二重まぶたをしている。
 店は繁盛しているように思われる。これは同業者の勘である。さらに勘を働かせる。永渕は今でも酒を飲む。酒量は現役時分には及ばないが、それでも「大酒飲み」で通っている。贔屓の客がいて、やきとりの煙の中で酒をすすめられる。話がはずむ。閉店の時刻には、毎夜ほろ酔い機嫌となっている。
 あぶさんこと永渕洋三は、なぜ居酒屋ではなく「やきとり屋」を開業したのか?
   板前としての腕がなかったからである。やきとり屋の包丁は、乱暴な言い方をすれば「切れればいい」のだ。腕がないから材料は良いものを使う。大切なのは火加減だ。中華料理では「火は最後の調味料という」と、私の親友が耳打ちしてくれた。なに、三カ月もすればコツがつかめる。なにせ、44年のパリーグ首位打者を張本勲と分け合った男なのだから。

(写真解説)
 手前『野球群像』のあぶさん(コナミ)。奥『大虎ジオラマセット』のあぶさん(キャンパス)。大虎とはあぶさん馴染みの居酒屋。
 

トップへもどる