第17話  2003.07.12


『北帰行』―タイムスリップグリコ・その2―

 先月下旬、かみさんの実家がある北海道は旭川へ、三泊四日で行ってきた。
 昨年は九月に、やはり三泊四日で行った。七月末に十年飼っていた猫が死に、急遽、行くことにした。
 今年は梅雨のない六月。滞在の間は好天に恵まれ、Tシャツ一枚で昼夜を過ごした。が、「夏でもストーブを焚いた記憶がある」と、かみさんがいうものだから、私は想像をたくましくして、ひどくかさばるダウンのインナー・ベストとフリースのジャケットをザックにしのばせて来たのだった。
 初日はかみさんの老父母をはじめ兄弟とその家族とで、松尾ジンギスカンに上がり込んでの宴となった。いわずもがなではあるけれど、ジンギスカンとは羊肉の鉄板焼である。羊肉なら私はアジアを旅してさんざん食べた。それぞれにスパイスを効かせ、羊肉の臭みを殺いでいた。松尾ジンギスカンが繁盛店になったのも、消臭効果の高い生姜を効かせたタレの賜物だろうと愚考する。
 私は勧められるままにビールを呷った。私はしたたかに酔い、かみさんはそこそこに酔い、他は皆しらふであったことを白夜を仰ぎつつ大いに恥じた。
 この時季の旭川は午後八時を過ぎても空が明るい。また宿酔のまなこを覚ました午前三時にあって、既に夜は明けていた。加藤登紀子がつまびいた『知床旅情』にみる「白夜は明ける」とは、はたしてこうした光景であったか。ハマナスの咲く頃である。
 旭川郊外、石狩川のほとりに神居古潭(かむいこたん)という名所がある。カムイとはアイヌの神。潭とは水がよどんで深い所。今日でも秋にはアイヌの伝統行事が催される。また、神居古潭はかつて国鉄の駅でもあった。現在はレールが外され、サイクリングロードとして活用されている。駅舎は休息所である。
「以前はおおぜいの観光客でにぎわっていたのに……」と、かみさんが溜息をもらした。
 この日この時、ここを訪れたのは私たちだけだった。静寂と新緑とキラキラとした木漏れ日と、あろうことかデコイチ(D51)が出迎えてくれた。
 ここに蒸気機関車が展示されているとは、かみさんから聞いて知っていた。が、まさかデコイチとは……。
 私はにわかに興奮し、往時の夢にタイムスリップしたのである。
 小学校の高学年を、私は科学工作クラブで過ごした。工作はもっぱら「HOゲージ」と呼ばれる鉄道模型だった。熱海は色街なので、模型の部品を買いに沼津のマルサンや小田原の弁慶に足しげく通った。
 購読誌は『鉄道模型趣味』。発売日には朝からいたたまれない思いだった。この雑誌は今日でも販売されている。目にすれば手にとってページをめくる。束の間、鉄道少年の日の己がよみがえる。
 当時、東海道線国府津駅の機関庫に「デコニ」ことD52蒸気機関車が置かれていた。私は重い父のカメラをくびに下げ、友だちと撮影に出掛けた。煤だらけの車体をいとおしみ、その日はついぞ手を洗わなかった。
 いつかデコイチを見てみたい。それが鉄道少年の日の私の夢だった。
 こんなところでおまえに逢えるとは……。私は輪廻転生を信じる者である。

(写真解説)
 新タイムスリップグリコのオマケ「C62-2号・スワローエンゼル(雪景色)」全長約6センチ。デコイチの代用としてご登場願った。
 新タイムスリップグリコは50円の値上げと急速な食玩ブームの終熄とで売上げ低迷。江崎グリコは海洋堂に引きずり回されたと思うのは私ひとりではあるまい。が、今秋には第4弾が発売予定。「クルマは急に止まれない」ということか。
 

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