第19話  2003.08.02


『ヒサ江おばさん』―鉄人28号・その1―

 去る7月9日、母のすぐ下の妹のヒサ江おばさんが亡くなった。享年68歳。農作業を終えた後の自動車事故だった。運転していたのは叔母の夫である。
 叔父は畑の急斜面をバックで下りつつ、叔母に後方を確認させていた。が、サンダル履きが仇となり、叔母を轢き、崖下に転落、みずからも額に傷を負った。叔母はほとんど即死状態であった。
 その夜、仕事を終えて帰宅すると、茶の間の明かりがついていた。おおかた母が消し忘れて寝てしまったのだろうと思った。が、母は視るでもないテレビをつけたまま、私の帰りを待っていたのである。
 そのただならぬ慌てぶりに胸騒ぎがした。が、まさか、日々元気に畑仕事をしているヒサ江おばさんが、しかも事故で、それも叔父の運転する軽トラックに轢き殺されたとは思いもよらない惨劇だった。
 翌日、母は行政解剖を終え自宅に戻った叔母の許へと駆けつけた。13日の葬儀まで帰らぬつもりで準備を整えていった。私は母の健康を気遣い「葬儀の前に一度迎えに行く」といったが、聞く母ではない。私も母の心中を察し、無理強いはしなかった。
 ところが、その翌日、母は親戚に送られ帰宅した。これで早々母の葬儀を出さずに済んだと、私は胸をなでおろしたことだった。
 葬儀には私も参列した。棺に納まった叔母の頭には包帯が巻かれ、硬直した頬には事故の際の内出血の痕が浮き出ていた。
 加害者となってしまった叔父も、額に大きなガーゼを当てていた。顔はむくみ、内出血の痕が痛々しかった。本来なら安静にしていなければいけないのだが、とても寝てなどいられまい。うつろな眼差しで力なくたばこをくゆらす叔父の横顔を、私は正視できなかった。
 告別式、火葬。そしてただちに埋葬。墓所は自宅の敷地内にあった。雨に濡れた土を掘り起こした、骨壷を納めるだけのちいさな穴ぼこだった。それは旧家が所有する広大な山林田畑の、何千万分の一にも満たない面積である。これっぱかりの穴ぼこのために、嫁いでからこの方、叔母のながした膨大な汗の量を想うと、私は生きるということの労苦にうなだれるよりなかった。
 埋葬の後、初七日の法要、忌中払いとつづいた。忌中とは四十九日間をいうのだが、この場合は葬儀のあとの会食である。申し訳程度に酒もでた。ところが、その酒を根こそぎあつめて大酒をくらうというゴクツブシがいた。
「どうせけえって寝るだけだべ」と、差しつ差されつ銚子をなぎ倒し、意気天を衝く勢いであった。
 叔父をはじめ叔父の兄弟は酒好きなのだ。事故の折にも叔父は酒を飲んでいた。しかし、これが常態なのだから、責めても栓無いことである。
 とはいえ、死んだ叔母の兄弟は収まらない。
「叔父からお詫びのことばがあってもいいべよ」という声が漏れたのも、むべなるかなであった。
 たしかに、叔父は加害者である。人殺しである。叔母は泣けど叫べど帰ってくることはない。しかし、叔母の死に最も傷ついたのは叔父である。死んでお詫びがしたかったに違いない。ならば、もう叔父を責めるのはやめにしなければいけない。生きることこそが叔父にとっては最大の責苦なのだから。

(写真解説)
 アンチモニー製・レトロ鉄人28号(まんが宿)。限定300体、桐箱入りの逸品である。全高約22センチ。ヤフオクで落札し、叔母が亡くなった日に送られてきた。これを以て叔母の形見としようか……。
 

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