第2話  2003.02.11


『檸檬』―メタル・フィギュア―

 「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた。焦燥と云はうか、嫌惡と云はうか」
 梶井基次郎の代表作『檸檬』の冒頭である。
 梶井文学の本質は、虚無の上に作品という仮構の世界を積み上げた尖鋭な平衡感覚である。はたして、丸善に仕掛けられた檸檬爆弾は炸裂しなかった。えたいの知れない不吉な塊は「つまりは此の重さなんだな」という一顆のレモンの重みによって無に帰したのである。
 梶井基次郎および『檸檬』をご存知ない方は「なんのこっちゃ?」と思われるだろう。
 写真をご覧いただきたい。これはメタル・フィギュアと呼ばれる鉛と錫の合金でつくられた人形である。手にすると「ズシリ」とはいはぬまでも、十分凶器になりえる重さである。
 私がこいつを手にしたときにふと想い起こしたことが、ご紹介した『檸檬』であった。私もまた「つまりは此の重さなんだな」と思った次第。といって、けして夭折の天才と全き凡夫の私を比しているのではない。
 フィギュアの評価はその形状と色彩に負うところ大だけれど、手ざわりや重さも侮れない評価のひとつなのだ。未だ「えたいの知れない不吉な塊」を蔵する私にとって、メタル・フィギュアは私を実人生に留めて置くによい重さだった。言い換えれば、熱気球を地上に留めて置くロープのようである。
 私はときどきこの重みの中に、過ぎ去りし少年の日を思う。海で、池で、雨上がりの大きな水たまりで、その水面に向かって投げつけた無数のつぶてを思う。遠足前夜の興奮と、運動会前日の緊張と、草野球と模型作りの夢中とを思う。メタル・フィギュアの掌の重みとは、実に少年の日の記憶の重さであった。

追記
 前回、私は友人の長谷川夫妻の協力で、このページを立ち上げることができた。夫妻とはともにインド最北部のラダック地方を旅し、拙著三冊のうち二冊も夫妻の協力を得て上梓となった。
 持つべきものは友だなと、つくづく思う。
「人と会い、語らうことを身上とせずして、何をや身上とするか」
 けして「オモチャ」が宝物なのではない。

(写真解説)
 ユニファイブから2001年に発売されたスーパーメタルシリーズ・ウルトラセブン01。左からイカルス星人、ウルトラセブン、キングジョー。
 私はこれを東京・恵比寿のミスター・クラフトの5階にあるコレクターズ・ボックスで、定価(\3480)の半額以下で手に入れた。コレクターズ・ボックスとは、ガラス張りのコインロッカー状に仕切られたフリーマーケット会場とご理解いただきたい。使用料やロイヤリティーを店側に払い、価格は借り手の裁量で決める。玉石混交なだけに買い手の眼が試される。

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