第20話  2003.08.12


『女優』―ろくろ首―

 私は映像科に、彼女は演劇科に学んだ。一時期はげちょびれのうさぎのぬいぐるみを肌身離さず持っていたところから、彼女は「ウサギ」と渾名されていた。
 彼女の同期に人気女優となった原日出子がいる。ぽっちゃりしていたので「むくみ」と呼ばれていた。むくみは一年で中退し、劇団四季の研究生となった。もう一人、アチワサトミがいる。石田ひかりが主演したNHKの朝のドラマ「ひらり」に出演していたけれど、その後はとんと見なくなった。
 いなかっぺの私にとって、これら演劇科の女生徒はあこがれの的だった。殊にウサギは、皮ジャンにブルージーンズ、長い黒髪をなびかせ颯爽とキャンパスを行く姿は浅野温子を髣髴した。
 当時、浅野温子は私のアパートの近くに住んでいた。風呂桶を手に、母親と連れ立ち銭湯へ行く姿をよく目撃した。上下そろいのグレーのジャージに、はちきれんばかりの肉体をつつんでいた。
 拒食症を疑わせる痩細った今日の彼女からは想像できないだろうが、藤田敏八監督の映画『スローなプギにしてくれ』の主演に抜擢されたのをきっかけに、今日に至る大改造が始まったのである。
 ウサギもまた明日のスターを夢見ていた。卒業後は銀座で時給1300円のホステスをしながら、東宝の演劇学校に通っていた。私が彼女の知る存在となったのはちょうどその頃である。友人が彼女を主演に映画(8ミリ)を撮るというので、私は応援にかけつけたのだった。が、映画は完成を見ることはなかった。テニスのラケットを買ったはいいが一度もコートに立つことなくゴミになるという類のよくある話であった。
 しかし、私とウサギの付き合いはその後もつづいた。枕をならべて一夜を過ごした日もあった。が、それはただ私がまんじりともせずに、ウサギのオオイビキにたじろいでいたというお粗末に過ぎなかった。パンツをぬぎすて一戦を交えるほどの縁になかったというほろにがさでもある。故に、長い付き合いができたのかもしれない。
 私は彼女によって長電話の徒労を知り、詩の朗読を聞かされ、女の生理の不思議と不快とを教えられた。また女も存外に不潔で、炊事はおろか掃除や洗濯の不得手なオキャンがいるという幻滅を学んだ。その点ウサギはきちんとしていたけれど、ある日、私はウサギの部屋の便所で芥子粒大のウンコを見つけ、軽いめまいを覚えたことがある。それは清流の巌に根を張る苔のような頑固さでもって、白磁の洋便器にぽつねんとへばりついていたのだった。
 女優を断念、否、女優業という熾烈な生存競争に敗れたウサギは、印刷屋の事務員から宝石屋の店員となり、私が紹介した男と結婚。浦和に家を建て、今日ではクリスマス全般に関するコーディネーターとなった。
 先日、私は偶然テレビ番組のクレジットに彼女の名前を見出し、大いに驚き、かつ懐かしんだ次第である。もう、何年も逢っていないのだ。男女の友情など私には唾棄すべき概念ではあるけれど、ウサギに限り「それもありか?」と思うこの頃である。

(写真解説)
 日本妖怪紳士録・チェスピースコレクション「ろくろ首」(X-PLUS)。全高約4.5センチ。このフィギュアのモデルはフジテレビの人気ドラマ「大奥」に出演中の菅野美穂ではないのか? 事務所は承知したのか? 本人はご存知か? はたまた要らぬお世話か? 
 

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