第21話  2003.08.22


『鎌鼬(かまいたち)』―百鬼夜行・その1―

 子供時分の私はたいへんな恐がりで、夜ひとりで便所へ行かれなかった。そこはぼったん便所で薄暗く、足首をつかまれ糞壺に引きずり込まれる恐怖があった。
 この想像は映画館で『四谷怪談』を観てからである。死んだお岩さんの着物を浸してあった盥から手が伸びて、男の足首をつかむのである。後々まで、私はこんな恐いを映画を観るのではなかったと後悔した。実は今でも、私はその場面を想い起こすと小便をためらうことがある。明るく清潔な水洗便所になったにもかかわらず……。三つ子の魂百までということか。
 当時、私たちが暮らしていた借家には風呂がなく、母に連れられ銭湯通いをしていた。途中に小学校があった。今日とはちがい、校庭は常に開放されていた。
 私の背丈が小柄な母の背丈に追いつこうかという頃だった。気丈な母は「まだまだあんたには負けない」といい、ならば競争しようということとなり、無論、私は手加減などしないから母に勝った。夜の校庭を母は裸足で二度も走り、二度目には転んで膝小僧を切った。そう、擦りむいたのではなく、白い骨が見えたほどの傷だった。
 ところが、出血や痛みに見舞われなかった。母はけろりとして「かまいたちだ」といった。土葬の習慣が残る母の里では、鎌鼬が跳梁していたのである。
 鎌鼬とは鎌を持つ鼬の妖怪で、小さな旋風に乗って飛び回り、野道を行く人の、殊に足を傷つけるという。また、いつ傷つけられたのかは分からず、気付いたときには刃物で切られたような傷となる。が、しばらくは痛みはなく、血も出ないという。
 さて、つい最近の話である。
 母が靴下を血に染めて帰宅した。見れば親指の付け根がざっくりと切れている。なのに、どうしてこのような傷を負ったのか詳らかではなく、痛みもたいしたことはないので、三十数年ぶりに「鎌鼬だ!」ということになった。
 かみさんはそれを聞いて目を白黒させていた。蝦夷にはコロボックルはいても鎌鼬はいないのだ。
 念のためにいっておくが、母はボケちまっているのではない。現役の職業婦人であり、傷にまったく思い当たる節が無いわけではないのだ。たぶん、スリッパに剃刀の刃が入っていて、それで切ったのだろうという。が、なぜスリッパなんぞに剃刀の刃をしのばせておくのか。場所は知人宅であるから、愉快犯の仕業ではない。なにかの拍子に剃刀の刃がこぼれてスリッパの中に飛び込んだ……。たいそうめずらしい話である。だから、鎌鼬の仕業ということで落着したのであった。
 昔、夜に口笛を吹くと天狗にさらわれるといわれた。お盆には地獄の蓋が開くから、海へ行くと亡者に海の底へ引きずり込まれるともいわれた。天狗は汲々として暮らしているご近所にたいする礼儀を教え、亡者はお盆の頃から立ち始める土用波への警告であったろう。これらはみな昔の人の知恵であり、知恵とは畏怖である。
 鎌鼬が殊に足を狙うのは、足下に気をつけて歩きなさいという戒めなのであろう。古人の日々のなんと豊かであったことか。犯罪の多くは想像力の欠如による。物を、人を、命を奪われた者の、その家族の、怒りや悲しみに思い至らない者どもが罪を犯す。
 経済大国とは、貧しき想像力の国の謂ではあるまいか。

(写真解説)
 百鬼夜行・妖怪コレクション第1弾「鎌鼬」全高約9.5センチ。残念ながらこのシリーズは第2弾を以て終了してしまったが、チョコエッグだけではないフルタ製菓の仕事として、私は高く評価している。ちなみに定価は300円だった。
 

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