第22話  2003.09.02


『ホビーロビー東京』―百鬼夜行・その2―

 この道の方の中には仰ぎ見る思いの方もいらっしゃるであろう「ホビーロビー東京」とは、ガレージキット・メーカーの雄「海洋堂」の直営店である。JR秋葉原駅電気街口より徒歩数十秒、ラジオ会館四階にあり、今日の秋葉原はホビーロビー東京をはじめ多数この道の店舗がひしめき、さながら「おたくのメッカ」の様相を呈している。
 かつてこの街の大手電器店に私の友人が勤めていた。十階建てビルの最上階が社員寮となっており、入社当初、友人はそのタコ部屋にいた。私にとって「アキバ」は古い馴染みである。
 私はチョコエッグに魅せられ海洋堂を知った。『チョコエッグ百科(小学館刊)』でホビーロビー東京を知り、まったきおのぼりさんの心持ちで同店を訪れたのは二年前、一月の日曜日であった。
 まずは巨大なガメラの頭部模型が目に飛び込んできた。価格は45万だか50万だったか……。私はとんでもない道に足を踏み入れたのかもしれないと、いささか冷水を浴びせられた思いでその模型を見上げつつ、店内へと進んだ。
 カウンターではチョコエッグのトレードを行っていた。こちら3体に対して店1体というレートだった。これは海洋堂のファンサービスなのだろうが、こういう手口でふところにした大量のブツを、いったいどうするつもりなのだろう? これは今なおつづく私の素朴な疑問である。
 ショーケースにはウルトラマンやゴジラといった60年代のテレビや映画のヒーローの、実に見事な出来栄えの模型がならべられていた。少年の日の私がこの光景を目の当たりにしたならば、狂喜したに違いない。が、おとなの私には若干の免疫があった。
 私は専門学校の芸術課程映像科に学んだ。芸術課程にはほかに美術科とデザイン科があり、美術科にはテレビ東京の人気番組「TVチャンピオン」で名を馳せたこの道の匠・山田卓司がおり、デザイン科には「エアーガルフォース」で知られる柿沼秀樹がいた。
 入学して日も浅い頃、私は柿沼がこしらえた模型を見せられ「世の中には凄い奴がいるもんだ」と、つくづく思い知らされた思い出がある。それはGIジョーを内蔵したスポンジで出来たゴジラの着ぐるみだった。今日メディコムトイ社から「リアル・アクション・ヒーローズ」として販売されているゴジラの、まさに先駆けであった。
 初めて訪れたホビーロビー東京で、私は柿沼を超えるプロの技を見せつけられた。おもちゃといえども狂気と正気のせめぎ合いから紡ぎだされた逸品であり、造型師と呼ばれる匠の意の再現に努めたその工業力とに目を瞠った。
 なかでも、チョコエッグの甘さに酔い痴れていた私にとって、カウンター脇にさりげに飾られていた百鬼夜行の妖怪どもは、背筋がひんやりするほどの不気味さをもって私を惑わしたのである。
 私はそれがすぐにお菓子のオマケだとは分からなかった。よく模型屋のショーケースに陳列されているマニアご自慢の品だと思った。
 我国はいつからこんなものを、何故お菓子のオマケなんぞにしたのか? その答えはじきに知った。それはここ数年来であり、オマケとして販売すると桁違いに売れるからだった。無論、オマケとして買っている人は少なかろう。だから、お菓子がべらぼうにまずくても平気なのである。

(写真解説)
 百鬼夜行・妖怪コレクション第2弾「輪入道・彩色」全高約6センチ(フルタ製菓)。このほかに金色と象牙風の2種がある。輪入道とは、一輪のみで夜道を駆け巡る大坊主の妖怪。竹谷隆之氏による造型は見事というよりない。
 

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