第29話  2003.11.12


『血の日曜日』―サダム・フセイン―

 11月2日(日曜日)朝、首都バグダッドの西約50キロの町ファルージャ付近で、アメリカ軍の輸送ヘリコプターが撃墜され、少なくとも米兵13人が死亡、20人が負傷した。
 5月1日のブッシュ大統領による「主要な戦闘の終結宣言」以降、戦闘行為で死亡したアメリカ軍兵士の数(4日現在)は139人で、5月以前の115人を上回り、事故なども含めると3月20日の開戦以来の死者数は379人をかぞえる。
 私は開戦の模様をテレビで視た。夜のバグダッドに投下された爆弾。炸裂の炎、煙を、毎夏熱海の夜空を彩る花火の爆音を耳の底に聞きながらみつめていた。
 その夜の空爆で何人の、否、何十、何百のバグダッド市民が死に、そして罹災されたか? 恥ずかしながら、未だ私はそれを知らずにいる。おそらく、これが平均的日本人のイラク戦争観であろう。
 米軍のバグダッド侵攻により、引き倒された巨大なサダム・フセイン像。その首級(を切断したのは米兵か、それともバグダッド市民か?)を引き回し、足蹴にし、履物で叩きのめすお調子者の少年の姿に、私はイラク人の悲しみを忘れてしまったのである。
 実に見事は映像だった。あたかも全バグダット市民は、アメリカの戦争目的であった「イラクの解放」を歓喜で迎えているかのようだった。確かに、ある者たちはそうであったろう。家族を、親類を、友人を、恋人を、独裁政権維持のために拉致、殺害された者たちは、あの瞬間、いくばくかの恨みをはらしたに違いない。
 しかしながら、主要な戦闘の終結後の米兵の死亡者数が示すように、多くの市民が祖国イラクの敗北に、硝煙の空を仰ぎつつ復讐をかみしめたのではないだろうか? 米軍への直接的な攻撃手段に出なくとも、不服従、非協力等の抵抗手段がある。ベトナム戦争でのアメリカの敗北は、まさにこうした市民の抵抗に屈したのであった。
 復讐というならば、アメリカ市民もまた同様である。政府は「イラクと米中枢同時テロの関係を示す証拠はない」としているにもかかわらず、約7割の市民が「フセイン大統領が米中枢同時テロに関与している」と考えている。また、さらにイラクの大地が兵士の血に染まろうとも、現時点ではアメリカ軍のイラクからの早期撤退は近隣の中東諸国に混乱をもたらすだけとする見方が大勢を占めている。
  中東の近隣諸国が混乱をきたせば、その混乱に乗じて第二のウサマ・ビンラーディンが出現するともかぎらない。アメリカは再びにテロの標的になる。その恐怖と屈辱を味あわないためにも、アメリカは「イラクの解放」という旗の下に、イラク国民を屈服させなければならない。湾岸戦争の轍を踏んではならないのである。
 一方、イラク国民はこの戦争の恐怖と屈辱を末代まで語り継いでいくだろう。乾燥地帯に暮らす彼等には「水に流す」という精神文化はない。厳しい乾燥から肌をまもるために大量の油分を摂取し、食用のためには血を厭わない。この油と血の粘着性が彼等の精神の背骨を形成しているのである。
 イラク戦争の決着は、後世の歴史家にゆだねることになるだろう。しかし、犠牲者に対しては早々格別の高配を以て酬いなければいけない。

(写真解説)
 1/6ドールフィギュア「サダム・フセイン」全高約31センチ。恵比寿のレンタル・ショーケースで購入した手作りの一品である。説明には「バース党時代のフセイン」とあった。フセインとアメリカはかつて蜜月の時代もあったのだ。10年におよんだイラン・イラク戦争。戦争が戦争を惹き起こす。これもまた愚劣の連鎖である。
 

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