第38話    2004.02.12


『シェー!』―ゴジラ・その1―

 シェー!
 40代50代の方々にはさぞやなつかしい響きであろう。シェーとは赤塚不二夫の人気漫画「おそ松くん」に登場する出っ歯のイヤミのパフォーマンスである。びっくりしたときなど、写真のゴジラのままに「シェー」とやり、一世を風靡した。
 その頃の私の写真にも、このポーズのモノクロが何枚かある。子供がこぞってやるのだから、ゴジラもやらざるを得なかった。世論に迎合しなければゴジラも飯が食えないのだ。私は五歳の正月に劇場でゴジラのシェーに出くわした。場内にどよめきが起きたのをおぼえている。そして、このどよめきとともにゴジラの命脈は尽きたのだった。以降は身過ぎ世過ぎの焼き直しに過ぎない。
 いわずもがなではあるけれど、ゴジラは人間獣の醜さ愚かさの化身としてスクリーンに登場した、言わば悪魔である。が、悪魔がいつまでも悪魔のままでいられないのが日本の風土。秋田のなまはげも今日ではすっかり牙を抜かれてしまったではないか。
 場内のどよめきといえば、映画青年だった頃、私は何度か浅草の東宝に黒沢明監督の映画をオール・ナイトで観に行った。
 貧乏学生だった私は吉野家の牛丼(当時は300円だったか)が買えず、ロックの入口のパン屋で固くなりかけた菓子パンを買い、映画館での夜食とした。ジュースなどは買わずに水を飲んでいたように思う。
 映画は四本立てで、9時頃から始まり始発電車にあわせて終わった。観客は大半が私とおなじ映画青年。それぞれ『ぴあ』を手に割引サービスを受けていた。映研の連中もいた。私はいつもひとりだったので、ちょっぴり彼等がうらやましくもあった。
 『隠し砦の三悪人』は1958年に制作された黒沢初のシネマスコープ大画面の娯楽作品である。ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」のとある場面は、千秋実扮する太平と藤原鎌足扮する又七が肩をならべて城を後にする場面に倣ったという。
 あらすじは割愛するが、この映画の中で三船敏郎扮する武士が馬に跨り刀をかざし、敵を斬るべく追いかけるという有名なシーンがある。はたして、そのシーンがシネマスコープからはみ出さんばかりに大写しになると、場内からはどよめきと歓声と拍手が沸き起こった。
 私はそのどよめきと歓声と拍手を聞いて、涙ぐんだのをおぼえている。よほどひとりがさびしかったに違いない。ここでは映画が共通の言語であった。
 子供の頃は正月といえば映画だった。年少の私は近所のガキ大将に連れられぞろぞろと映画館へ行った。
 熱海には市の中心部を流れる初川をはさんで東宝と大映の二館が向き合っていた。東宝は『ゴジラ』であり『若大将』であり、大映は『ガメラ』であり『大魔神』だった。だからだろう、私は今になっても加山雄三、大魔神、往時のゴジラとガメラのファンである。
 大魔神は一年間に三本作られそれきりとなった。なんとも潔く、私の中では永遠のいのちを得ている。
 それにひきかえゴジラはいうにおよばず、ガメラも平成になってから焼き直しがはじまった。ウルトラマンと仮面ライダーの水戸黄門ぶりにはヘドが出る。アトムに至っては歯牙にもかけたくない。なにがアストロボーイか!
 さらに、星飛雄馬をCMに登場させた冒涜を私は断じて許さない。以来、私は一滴たりともNESSEKIではガソリンを入れない。中古車の宣伝に鉄人28号を起用したトヨタの罪は万死に値する。
 何人もいじくることなかれ。娯楽映画であれ少年漫画であれ、作品に敬意を表せ。思い出に泥を塗るな。金儲けがしたければ、新たな才能の発掘に、カネと、作家に負けぬだけの情熱を惜しみなく注げ。

(写真解説)
 ゴジラ特撮大百科ver.1「怪獣王ゴジラ・彩色」(イワクラ)全高約10センチ(台座含む)。例によって彩色のほかにクリアーがある。クリアーが出た日には胃に孔を穿たれる思いがする。またこれには応募券が付いており、100枚集めると「大亀怪獣カメーバ」がもらえる。100枚とは実に35,000円の謂である。シェー!
 

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