第39話    2004.02.21


『トシちゃん』―鉄腕アトム―

「汚い話しで申し訳ないんですけど、このところ下血が出るんです。痔じゃないかと思うんですが……」と、泡盛のロックをかたむけながらトシちゃんはいった。
 いつもなら広いおでこをテラテラと赤く染めている彼なのに、その夜はくすみ、しぼんでもいた。私はふと嫌な予感に襲われた。
「痔なら痔で、ともかく医者に診てもらったほうがいい」と、私はいった。
 それから半年ほどだろうか、トシちゃんは姿を見せなかった。人づてに「大腸ガンの手術を受けた」と聞いた。見舞いに行かなくてはと思いつつ時機を逸してしまった。
 ふたたびトシちゃんが万楽の縄のれんをくぐったのは、たしか二年前の年の瀬だったと記憶する。
 彼は私の最初のお客さんだった。私のお客さんというのは、私を気に入って来てくれる客という謂である。
 私は万楽のカウンターに立つにあたり、かみさんから「こういう商売は女が前に出なければいけないんだから、あんたはうしろに居ればいい」といわれ、以来、目立たぬように努めてきた。
「この店はママでもっているようなものだ」と、私を前にのたまう客もいて、それはまったくそのとおりで、だからといって私が面白いはずはなく、その野郎を引きずり出してボコボコにしてやろうかとくちびるをかんだ夜が何度かあった。
 そんな私の思いを知ってか知らずか、トシちゃんは影のような私とのおしゃべりをたのしみに通ってくれるようになったのである。
 彼は昼は郵便局員の顔を持ち、夜はトシちゃんの愛称で親しまれたコンパニオン会社のスタッフでもあった。時にスナックのカウンターに立ち、時にコンパニオンの送迎車を走らせ、したたかビー酎を呷り、広いおでこをテラテラさせながら早朝野球で汗を流していた。
「これからはのんびりやることにしました」と、退院後のトシちゃんはいった。
 郵便局を辞め、そっと差し出してくれた名刺にはコンパニオン会社の総務部長の肩書きが記されていた。
 その夜、彼は泡盛ではなく焼酎の梅割りをチビチビやりつつ好物の骨付きソーセージをかじり、洗腸のことなどを話してくれた。
 トシちゃんは人工肛門を付ける身となっていた。私などはウンコがそれに貯まるのかと思っていたのだがそうではなく、一日一回、一時間ほどかけて自ら腸を洗浄するのだという。これがなかなかたいへんだともいった。
 ついぞ口には出さなかったけれど、明日に対する不安や焦燥はいかばかりであったか。退院後のトシちゃんは私にからむことがあった。今にして思えば、再発という死の燠火にあぶられていたのだろう。
 再手術の報せを聞いて私が見舞いに駆け付けたのは一昨年の五月だった。
「痛いんです。この痛みさえとれるなら、何度でも手術を受けますよ」と、トシちゃんは頚にモルヒネの点滴を下げ力なくいった。
 私の知る彼は夜の彼ばかりで、昼の彼を見るのはこの日かぎりとなった。夜も昼もおなじ彼なのだけれど、彼が問わず語ってくれた窓口に座る昼の実直な姿を、私は彼のまるめた背に思い浮かべたことだった。
 退院、そして三度目の入院を聞いて間もなく、悲しい報せがもたらされた。
 棺の中のトシちゃんを見てようやく、私は彼がガンに冒されていたのだと自身了解した。私は三度の入院を知り見舞いにも行った。が、気持ちのどこかで恢復を信じ、物言わぬ彼を見るまで不治の病を否定してやまなかったのである。
 2003年2月19日トシちゃんこと福井豊治行年39歳。
 合掌。

(写真解説)
 鉄腕アトム(ビリケン商会)全高約19センチ。私はこれを持って再度トシちゃんを見舞うつもりだった。
 

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