第41話    2004.03.12


『ワンフェス・2004冬』―リセヴィネ―

※第40話のつづき。
 多分に不眠不休の疲れからだろう、情熱が尽きかけたのを潮にトイフェス会場を後にした。
 トンちゃんとそのお仲間たちは、ワンフェス会場に在って「昼飯どころじゃない!」ほどの争奪戦を繰り広げている。外へ呼び出し「ちょっと入場券(小冊子)を貸してくれ」とは言われまい。ならば、顔で笑って心で泣いて、入場料2000円を払うよりないか……。
 そう思いつつ階下のワンフェス会場へ通ずるエスカレーターに乗ると、なんのことはない、フリーパスで入場できちまったではないか! が、その後すぐにエスカレーターは封鎖。試運転でもしていたのだろうか? 故障の原因は会場内の熱気に違いない。
 ともかく人・ヒト・ひとである。人間嫌いでは人後に落ちない筋金入りのオタクどもが人の波と化し、右往左往している様はなんとも滑稽であった。
 オタクの殿堂・海洋堂のブースをのぞく。この日販売された「リセビィネ」およびその「コンプリートボックス」は午後になっても相当数の在庫があった。とはいえ、会場を一歩出れば2倍3倍どころかヤクザ者の手にかかれば5倍以上の値で売りさばかれるのである。私はこれを「惡」だとは決していわない。ただ、こういう手合には「鬼面毒笑」を以て応ずるだけである。
 隣接する江崎グリコのブースでは2メートルほどの鉄人28号が飾られていた。タイムスリップグリコの第5弾はどうやら鉄人一色になるらしい。写真をお見せできないのが誠に残念だけれど、10点ほどの試作品が陳列され、鉄人コレクターの私は大いに闘志を掻き立てられた。
 グリコ・ブースの裏手だったか、「TVチャンピオン」で知る人ぞ知る存在となった山田卓司(第22話参照)が、模型教室の講師として招かれていた。
 ここに来れば彼に逢えるかもしれない。はたして、彼はステージの裏側で冷えた弁当を頬張っていた。
「卓司!」
 私はずかずかと彼に歩み寄り、ポンと肩をたたいた。
 卓司が食べかけの弁当を平らげたどうか。彼は私の名前を聞いてたいそう驚いてくれた。あとはもう隔てのない語調で、彼が講師としてステージに登るまで、思いで話に花を咲かせた。
「あんたさんといえば、酒飲んじゃケツ出してたよね。菊の御紋とかいってさ」と、卓司はいった。
 そう、当時の私は酒が入れば肛門どころかキンタマさえも出し惜しまなかった。それは結婚するまでつづき、ほとんど私の習性であった。
 私と卓司は親しかったわけではない。私の親友が彼と親しく、その関係でことばを交わす程度だった。ただ、卒業後に電話をもらったことがある。国政選挙だったか、彼が応援する政党の候補者に投票してくれとの用向きだった。
 以来、24年ぶりの再会。彼の差し出した名刺には「情景作家」とあった。たいへんな醜男にもかかわらず郷里の浜松で結婚し、小学生の子を持つ親となった。私はこころから卓司の活躍を祈る。どうか我等同窓の誇りになって欲しいと願う。彼との再会がトイフェス・ワンフェス2004冬の一番の収穫であった。
 卓司の講師ぶりを拝見しようかとも思ったが、菊の御紋の私が視界に入ってはさぞやりにくかろうと、そっとその場を引揚げた。
 その後、トンちゃんと合流。お仲間たちは会場の片隅でカレーライスを食べていた。さすがにどの顔も疲れの色をにじませていた。それでも、これからトイフェスへ行かれる闘魂の士もいらした。
 私はトンちゃんと二人、いくらか人出の引いた会場内を廻った。彼はかみさんへの土産にウサギの人形を買った。私はU.S.TOYSの「ケムール人追跡セット」浪漫堂の「鉄人28号のレリーフ」トイグラフの「大魔神」と「カネゴン卓袱台付」を購入。
 途中、横浜に寄り、熱海に着いたのは午後9時。翌朝、快い疲労感にひたりながら、また行こうと思った次第。
 追記
 お仲間の皆様、この度はご親切にしていただきありがとうございました。この場にて再度御礼申し上げます。

(写真解説)
 リセヴィネ「05・e-karaでノリノリかよっ!」(タカラ製)全高約8センチ。12個入り1セットで3500円。私はこいつをまったく理解していない。なんてこった!
 

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