第42話    2004.03.22


『トンちゃん』―チョコラザウルス―

 トンちゃんこと加賀谷一博は、私の一番のおもちゃ仲間である。第10話「男同士は気楽なものよ」で紹介しているので再読願いたい。
 平素、私は彼を「カガヤさん」と呼ぶ。彼は私より二歳年少だが、私と彼は学生時分の先輩後輩の間柄ではないので、私は彼を「さん」づけで呼ぶ。「トンちゃん」というのは彼ハンドル・ネームの「anton」からで、彼を「トンちゃん」と呼ぶのは第40話で紹介した彼のお仲間たちと、彼のかみさんである。
 今回、私が意を決してワンフェス、トイフェスへ出掛けたのは、多分にトンちゃんとの思い出づくりからだった。だから、もし彼が行かなければ、私も行かなかった。家にいてヤフ・オクの画面をにらんでいただろう。
 トンちゃんを知己に得て間もない頃だった。私は彼からチョコラザウルス第1弾のシークレット「ティラノザウルス・ホワイトバージョン」をいただいた。その頃は、シークレットといえば猫も杓子も燦然としていた。とてもとても、おいそれと他人にくれられるものではなかった。にもかかわらず、トンちゃんはまるで薄手のブルゾンでも脱ぎ捨てるように、万楽のカウンターに置いていってくれたのである。
 私には未だにこの一撃がこたえている。二つ三つあるうちの一つをくれたのではない。一つきりしかない虎の子をくれたのだから、頭陀第一と謳われた仏弟子・摩訶迦葉の清廉を思わずにいられようか、と私は最大級の賛辞を捧げたのだが、後に聞けば、
「酔いも手伝ってつい。後悔しなかったといえば嘘になるけど、まあいっか」とのことだった。
 社会に出て、殊に、社会に半ば失望したすれっからしの中年になると、口にすることさえ気恥ずかしい「友だち」が出来にくくなる。良き友を得るには先ずみずからが良き友になることなのだけれど、カネを追ううちに生活に追われ、薄汚く疲れ果て、そうした努力を怠り省みなくなる。友情は野の草のようにたくましくはなく、手入れをなまければたちまち枯れ果ててしまう。
 私はガキの頃からの友だち、学生時分からの友だち、また社会に出てからの得難い友だちの何人かには、毎年バースデー・カードを送っている。これは互いに忘れないという少々の努力で以てつづけている友情という事業の一端である。これはぜひ生涯の仕事としたい。
 トンちゃんから「熱海を離れざるを得なくなった」と聞かされたのは、今年に入ってからだった。普段はマメな彼からしばらく連絡がなく、あるいは仕事がうまくいってないのではと心配し、店を訪ねた折だった。
 彼がオーナーを務めるセブンイレブン熱海銀座町店はセブンイレブン本社が家主から借り受けている物件である。詳細は割愛するが、その家主と「酒類の販売」また「ATMの設置」で折り合いがつかず、結局、同店は今年8月いっぱいで閉店ということになった。
 トンちゃんとは何度かレア物をあさりに近隣の町へ出掛けた。コナミの「サンダーバード第2弾」の折には函南町のセブンイレブンで「アロンシャス・パーカー」を3体も釣り上げた。ダイドーのミニカーでは箱買いし、ドライブインにクルマを停めて選別したりもした。また「チョコラザウルス第2弾」の折には二人で1カートンを買ったものの、1コンプもしなかったことに腹を立てた。以後、私はチョコラザウルスから手を引いた。
 この頃が食玩人気の絶頂期であった。トンちゃんを中心にコレクター同士の交流の場「ご近所コレクターズ」を立ち上げたのもこの頃である。
 何度か宴を開いたが、食玩の退潮とともに会は有名無実化してしまった。それでも、万楽で催したトンちゃんの送別会には10人ほどが参加した。5時間におよぶ和気藹々とした席だったが、既におもちゃの話で盛り上がることはなかった。
 缶コーヒーをすすりながらのトンちゃんとのおもちゃ談義。私にはなによりのたのしみだった。セブンイレブン熱海銀座町店の事務所は、私にとってさながらおもちゃ屋さんで、それは子供の頃の夢の空間にほかならなかった。
 トンちゃんは3月1日からセプンイレブン静岡南町店のオーナーを務めている。読者諸兄の応援を切望する次第である。

(写真解説)
 トンちゃんからいただいたチョコラザウルス第1弾(UHA味覚糖)のシークレット「ティラノザウルス」全長約10.5センチ。ありがとう。 
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