第44話    2004.04.12


『お不動さん』―世界の神話・仏教神話編―

 インドでの話である。
 ガンゴートリー寺院の参道で、おもむろに筵をひろげた乞食の行者に、恐る恐るお尋ねしたことがある。
「何年修行なさっていらっしゃるのですか?」
「かれこれ800年になる」
 私はただ深くこうべを垂れたばかりだった。
 マナリでのこと。
 宿屋の主人が、私のパスポートを見るなりいった。
「ジャーパニーよ、あと一週間早ければ恩寵にあずかれたのに」
「恩寵?」
「マドラスから来たグル(ヒンドゥーの指導者)が、空中浮遊を見せてくださったのさ」
 これだけではない。主人がいうには、グルは飛行機でも4時間はかかるであろう距離を、ほとんど瞬時にして超えて来たという。私は最早うなだれるよりなかった。
 インドはこの種の話の宝庫である。詩人の闊歩する神話の国なのだ。
 以前よくテレビ番組で取り上げられたサイババも、私にとっては詩人の一人である。信者は彼の「ことば」に酔い痴れる。彼の掌からこぼれ出る白い粉ヴィブーティは、手品などという下衆の勘繰りではなく、人を酔わせることばの横溢なのである。
 熱海に「お不動さん」と呼ばれる真言宗の寺がある。
 子供の私はここの豆まきがたのしみだった。神社での豆まきが終わるとその足でお不動さんへ駆け付け、袋詰めにされた菓子をいただいた。豆もいくらかはまいたのかもしれないが、拾ったという記憶はない。
 わが国の真言宗は弘法大師・空海によって弘通された。真言宗は胎蔵・金剛の両部を立て、六大、四曼、三密、即身成仏を宗旨とする。ここ(密教)では、大日如来のことばを生身の人間が直接に聞くことが出来ると教える。
 これを拡大解釈すれば、人のことばがそのまま仏のことばということになる。
 熱海の「お不動さんはよく当る」という評判を聞いた。なにが当るのかといえば、占いがである。中世の話をしているのではない。最近の話である。
 この評判を聞きつけて、遠くからも人が来る。1回占ってもらうのに10万円とも聞いた。
 私の知人はお不動さんの信者だった。またこの方は毎月1 日と15日には油揚げをお供えする熱心なお稲荷さんの信者でもあった。
 先年、知人は腹部に動脈瘤が発見されものの、手術不能との診断をくだされた。そこでお不動さんの登場となってのたまわく。
「夏までには手術を受けられるでしょう」
 知人は手術を受けることなく、その年の12月に帰らぬ人となった。これでお不動さんが悪びれたかというと、そんなことはない。当るも八卦当らぬも八卦なのである。
 ところが、それから間もなくして、お不動さんは火災に見舞われた。人々は「罰が当ったんだ」と噂した。
 宗教は正気と狂気の二面性を持っている。密教の坊主が大日如来の威をかり、分かりもしない未来を占い多額の報酬を得るというのは、無論、正気の沙汰ではないけれど、狂気というほどの憑依でもなく、つまりは「霊感商法」と呼ばれる類の詐偽行為である。
 私はこの詐欺師と面識がある。正確にいえば、詐欺師の片棒を担いだ共犯者を知っている。
 彼はお不動さんの娘婿である。焼鳥が好きで、火災に見舞われる前まではよく夫婦で万楽へ来てくれた。子供を連れて来ることもあった。
 彼はついぞ名乗らなかったけれど、スキンヘッドで高級外車を乗り回すおとななんて、世間じゃヤクザか坊主と相場が決まっている。ヤクザの見分けはすぐにつくから、そうでなければ坊主である。坊主は横柄で、品下がるから分かるのである。私は「坊主は」と書いた。これを「ヤクザは」に置き換えても……。困ったもんである。
 出火後、お不動さんは転居した。再建せずに、新天地でまたぞろ稼業にいそしむ模様である。

(写真解説)
 世界の神話第2弾・仏教神話編「不動明王」(カバヤ食品)全高約8センチ。不動明王はヒンドゥーの神シヴァがモデルにされたという。シヴァは破壊神であり、その破壊は創造のための破壊である。お不動さんの焼失は、はたして創造のためであったか……。
※写真をクリックすると拡大します。
 

トップへもどる